去る7月13日の衆議院平和安全法制特別委員会では、元外務省北米課長で現在政府コンサルタントの岡本行夫と同志社大学学長の村田晃嗣が「安全保障の要請は憲法に優先する」との趣旨の、自公応援意見を陳述した。
改めてブログで書くつもりだが、この陳述はアーミテージ、ナイリポートの日本に対する「指示書」の方向に沿ったものである。
一方今年8月1日、WikiLeaks は米国国家安全保障局が日本政府や日銀、日本企業などを盗聴していた事を暴露した。
当初安倍官邸の反応がドイツやフランスに比べて鈍かった事を批判されて、5日過ぎには気の抜けた抗議をオバマホワイトハウスに行っている。
更に遡って、昨2014年9月には、同じウィキリークスが日本側の情報源、つまりスパイとして河野太郎議員や安倍官邸の飯島参与が米国にしきりに情報提供を行っている事が暴露された。
盗聴についてはこれまでも米軍三沢基地が担務している事、この情報を、英国、豪州、カナダ、ニュージーランドが共有している事が知られている。
盗聴は何のために行っているのであろうか。
言うまでも無く、ターゲットの動向を探る直接的、一時的情報源になるからであるが、そこで得られる情報には、時にスキャンダルー汚職や個人的醜聞なども副次的に得られる。
このスキャンダル情報は、脅迫に使うことも出来るし、エージェント(スパイ)を通じて週刊誌などに流して、意に染まぬ相手の信用を失墜させる事もできる。
週刊文春や週刊新潮のスクープのネタ元に飯島氏、とうわさされる事は過去何度かあったことを記憶している方もいるだろう。
さて、国際政治や外交の専門家は大概が米国留学の経験者である。
岡本氏は言うに及ばず村田氏も、あるいは国際政治学者の東大藤原帰一氏もそうだ。
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アーミテージ、ナイ リポートの提案と言うよりは指示書に近い内容を、なぜかくも唯諾々と自民党が従うのであろうか。
小泉政権時代には、例の郵政改革も含め、「日米構造協議」で米側から提議された内容を、竹中大臣が中心となって実現させていった事も記憶に深く刻み付けられている。
日本は「主権国家」ではなかったか。
今も、実は「占領状態」が続いているのだろうか。
など「国のかたち」にまで疑念を持たざるを得ない状態だ。
リポートの共同署名者のナイ氏は、アメリカ外交を「ソフトパワー」に立脚すべし、と主張した事でも知られる。
以上、諸々挙げた理由でこの書を手に取った次第であるが、必ずしもそれらの問題意識に直接応答するものではなかった。
が、アメリカのソフトパワー戦略が、ナイ氏が主張するはるか昔の戦後間も無くから始まっており、それは東西冷戦を背景に、所謂「逆コース」に対する日本のリベラルの反発や、日本の赤化に対する深刻な不安(同書p131)があった、との事実を知った事は収穫であった。
アメリカのソフトパワーとは米国の現実主義的な思想(プラグマティズム)であり、その具現化としての、アメリカ的生活様式である。
アメリカ学会を日本に設立して、米国の学者から講義を受けさせる、交流を通じてアメリカの学問の魅力を浸透させる。勿論研究者を増やす試みとして、米国留学(フルブライト奨学金はその好例)の便宜供与だけでなく、研究に対する助成金制度もあった。
ここに面白いケースが報告されている。
「京大法学部のK助教授は、前途有望な国際法の若手専門家で、当時ロックフェラー財団から社会科学助成金を付与され、米国で研究していた。同財団のスタッフは、京大を訪れ、人事が未補充の状態にある法学講座とその教授のポストに米国から帰国後のK助教授にあてがう約束を取り付けた」
この未補充の講座と教授ポストは、同財団が独自に入手したものであろうか。あるいはK助教授からの示唆ないし要請があったのであろうか。
同書では、K教授と書かれているが、高坂正尭氏であろうことは容易に想像がつく。
高坂氏はほぼ一貫して親米的立場から自民党政府に助言しただけでなく、著作を通じてそれを人口に膾炙した人物である。
ここで誤解の無いように一言付け加えておかなければならないが、アメリカに留学した学者やジャーナリストが総べて親米、あるいは時として従米であったわけではない。
例えば、昨年亡くなられた坂本義和元東大教授(1927年生まれ)はシカゴ大学に留学して、ハンス・モーゲンソー(米国の国益の観点からベトナム戦争を批判した)に学び、後に「中立日本の平和構想」などを著わして、高坂とも活発に論戦を行い、リベラル期待の星であった。
最後に著者はアメリカのソフトパワーは、それが日本に対して有効に働いた事は認めつつも、それが総べて「好影響」だと述べているわけではない、と言うことを付け加えよう。
ソフトパワーに対する日本側は、指示待ちの主体性欠如の姿勢、東大と京大の面子の争い、足の引っ張り合いなど、特有の醜さを米国に見透かされ、成熟度合いを軽蔑されてもいる。(p192前後)
同時にソフトパワーの持つ潜在的危険性ー依存心を生み恒常化する(p268)も指摘されている。
あるいは学者の権威主義。政治の主流に対して批判を避け殻に閉じこもっ足り、迎合したりする。(p250他)
歴史家ウイリアム・A・ウイリアムズは「私たち米国民が必要としているのは、私たちに過去あるいは現在の行為を改めることが出来ると忠告してくれる友人であります」と著者は引用し、日米間の胸襟を開いた真の対話が欠如している事を指摘している(p272)が、それは勿論従米の立場からでは絶対ありえないことは言うまでもないだろう。
安倍首相はドイツのメルケルやフランスのオランド大統領に比べて、ホワイトハウスや米国人の信頼や尊敬を受けているであろうか。