ヴィム・ヴェンダース監督 「セバスチャン・サルガド」 | Gon のあれこれ

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読後感、好きな太極拳、映画や展覧会の鑑賞、それに政治、ジャーナリズムについて、思いついた時に綴ります。

汝らは地の塩なり、塩もし効力を失はば、何をもってか之に塩すべき。

汝らは世の光なり。

人は灯火をともして燈台の上におく。
かくて灯火は家に在る凡ての物を照らすなり。

かくのごとく汝らの光を人の前にかがやかせ。
これ人の汝らが善き行為を見て、
天にいます汝らの父を崇めん為なり。
(マタイ伝5-13文語訳、中略)

地球へのラブレター と副題の付いたこの映画の原題は
「The Salt of the Earth」
聖書にある、よく知られた句である。
たしか映画の冒頭で、
接頭語Photo-は「光」を意味し
接尾語-graphは記録する、描くとあった。
つまり写真家セバスチャン・サルガドは、地の塩であり世の光である。

サルガドとヴェンダース


1944年ブラジルの農場主の家庭に生まれ、サンパウロ大学で経済学を学ぶが、60年代半ば、軍事独裁政権下で左翼政治運動に参加。
逮捕の危機を免れるため妻と共にパリ大学へ(博士号取得)。
建築を学ぶ妻が建築物の写真を撮るために買ったカメラに魅了されて自分も写真を撮りはじめる。
一旦は国際コーヒー機関に就職して調査の為アフリカを度々訪れる。
そしてその惨状を世界に知らしむため1973年フリーランスの写真家に転身した。

1984年飢餓に苦しむエチオピアなどサヘル地区を「国境なき医師団」
とまわり「サヘル」を上梓。

86年湾岸戦争後のクエートの油田大規模火災やブラジルの金鉱を撮影。

93年ルワンダ難民でフチ族とツチ族の凄惨な大量虐殺を取材。ユーゴ内戦の取材で、人権先進国ヨーロッパでまさか、と思っていたが、それまで融和していた民族が、一転して恐怖と猜疑に駆られて憎しみを募らせ非情な殺し合いを始めるのをみて、自分の魂を傷つけ精神を病む。


妻と共に老親のもとに帰り、旱魃で荒廃した農場を妻の発案で再生に取り組む。この過程で、傷ついた魂を癒してくれたのは自然の持つ再生能力とその美しさであった。
以後その経験を「大西洋岸森林再生プロジェクト」に結実させ、写真家としては地球、自然ー動植物を含むーの始原(ジェネシス)的なイメージを世に問う。


Genesisは旧約聖書の創世記を意味するが、もとより世界の始原に思いを馳せることで世の紛争、戦争、大量虐殺、難民の問題が解決されるわけではない。

彼の悲惨な状況を報道する写真家から、自然に対する敬意(オマージュ)、あるいは地球環境の写真家への転身は何を意味するだろうか。

それは被写体の変化ではない。

それは彼の人生を通してなしえたもの、なしえているものは、原題の「地の塩」にあるだろう。

悠久の地球の生命体の中ではまことに小さな一個の人間ではあるが、いったん生を受けたからには地の塩、世の光となって、免れがたき死を迎える事の尊さを思うのだ。

その意味が何処にあるかが感じられない
「セバスチャン・サルガドー地球へのラブレター」
との日本の題名はなんとも軽薄に感じるのだ。
事のついでで恐縮であるが、東急文化村のパンフは映像的には洗練されていて、結果値段も高いのだが、内容に乏しい、と感じる事が多い。
この評が私だけであれば良いのだが。