僕も33歳にもなれば分別のついた大人のつもりである。しかしもはや我慢の限界を超えて絶対に許せないことが起きた。父親(とは呼びたくない)が五歳の我が子を餓死させた事件についてなので、気分を害したり胸が痛くなる方もいると思うので、その可能性のある方はこれ以上読まないことをお勧めする。
この事件を知ってからずっと腑が煮え繰り返るほど怒っていた。何度その怒りをブログにしようと思ったかしれないが、基本そういうことに関しては書かないので我慢していた。しかし昨日『最後にか細い声でパパと呼ばれて怖くなったから部屋を出た。一週間後、冷たくなっていた。』という供述を目にした途端理性のタガが外れた。幼い息子がいる一人の父親として絶対に許せない。許してはならない。保護責任者遺棄致死罪?ふざけるな。これは悪質極まりない殺人そのものだ。この事件は親の庇護がなければ死んでしまうという幼い子供に対して、護り育てるべきはずの親が育児放棄し餓死させるという悪質極まりない絶対に許してはならない子殺しだ。それも数年という時間を経て衰弱しながら苦しんで心細い中、孤独に死んでいったのだ。。本来なら護られ育てられるべき年齢の子どもがそんな生き地獄を親に与えられたのだ。。ただ可愛いだけの時期の子供を餓死させるなど、現代の日本において如何なる理由があろうとも許されるべきことではない。この子は夜には灯りもなく、助かる出口もなく、何もない中で筆舌に尽くし難いほどどれだけ心細く苦しく辛く怖く悲しい思いの中で死んでいったのだろう、、それでもパパが帰ってくることを待っていたに違いない。ごくたまにでも帰ってきた時は嬉しかったに違いない・・・・・・哀れみと悔しさと怒りで涙が出る。怒りで拳を握り締めても今更何もできない。どれだけこのニュースを聞いて心を痛め同情する人がいてもその子にはもはや何も届かず、してやれず、救うこともできない。泣けば魂が救われるならいくらでも泣いてやりたいがそんなことで救われるはずもない。誰がなんと言おうとこの世には神も仏もいないと確信するし、どんな言葉も受け入れられない。あるのは非情なまでの現実だけだ。同じくらいの歳の子供をもつ親としてどうしてもこういう悲惨な事件は重なる。幼い子に一番必要なものは愛情だ。愛情はおろか死ぬまで食べ物すら与えられなかったなんて、、許しては絶対にいけない。こういう事件が数年前に大阪であった。母親が幼い娘と息子を置き去りにして餓死させた事件だ。あの時も怒り心頭ですごく苦しんだがまたこれだ。それに所在の確認のとれない子どもはたくさんいるという。行政にも腹が立つ。いろいろ言い訳はあるのだろうが申し訳ないがそんなことに耳を傾けて行政の状況を慮るような心の余裕は一切ない。政治屋の無駄に高い給料を含め、くだらんことに税金をつかうのではなく意味あることに活かせ!!ただただ許せない。殺人よりある意味残忍な今回のような幼い子を餓死させる殺人鬼には、苦しんだ子供の何倍もの苦痛を与えてから極刑に処すべきだが、百歩譲ってもせめて同じ苦しみを与えるべきだ。無人島にけして出ることのできない鉄の檻を作って放り込んでおけばよい。ごくたまにコンビニのおにぎりでも放り込み五年は死なぬように管理しながら最後は餓死させるべきだ。自分が我が子にしたことを身をもって思い知りながら餓死させるべきだ。裁判になればこの子殺し殺人鬼にも弁護士がつくだろうがそれにも腹が立つ。どんな凶悪犯にも弁護士がつく加害者の人権を尊重する失笑もののおめでたい社会だが、今回の事件に関しても何をどう弁護するのか?僕が仮に弁護士ならいくら金を積まれようが絶対引き受けたりしない。いや、それか引き受けて弁護する気など見せずに怠慢な仕事を行い、最高に重い罪をきせるように持っていきたい。そしてDVに怯えて子供を置いて出て行った母親も同罪だ。お腹を痛めて生んだ我が子が死んでいたと知らなかった?七年も経っていて知らなかった?ふざけるな!!その前に我が子がちゃんと育てられていないことなど知っていただろうが!!夜に裸足でさまよっていた時に何故助けて連れていかなかった!?そんなに長い期間幼い我が子を放置することだけでも異常であり狂っているとしか言いようがなく庇うことなどできない。そして祖父や祖母はいないのか?この両親がどんな幼少期を過ごしたのか僕は知らない。しかし幼少期につらい経験をしてきたにも関わらず、子どもに愛情を注いで育てている人を何人か知っている。先日サファリパークで子どもと仲良く常に寄り添って行動を共にしていたゾウとサイの親子を見た。テレビでは自分の卵を守るためにそれを食べようとするカメと戦う魚のつがいを見た。動物や魚ですら子どもを護り育てるのだ。餓死はもっとも苦しい死に方の一つだという。自分ではまだどうすることもできないほど幼い我が子に地獄のような思いと苦しみを与えて見殺しにして、自分は遊び呆けていた人間の皮を被った悪魔に生きる価値は一切ない。生きていてはいけない。か細い弱った声で『パパ』と呼ばれた時に、悪魔とはいえ目が覚めなかったのか!?我が子が自分をパパと呼ぶ声が本来ならどれほど愛しいものか・・・昨晩夜中に僕の息子が起きてパパと呼ぶ。どうしたの?と聞けば喉が渇いたというから水を持って来てあげるとコクコクと飲んでいた。その姿が愛しく、それと同時に親に見離され苦しみと孤独の中で死んでいった子のことを思うとどうしようもなく泣けた。本当に怒りと悲しみで涙が出る。こういう奴らを許してはならないし生かしておいてはならない。どうして世の中には子どもが欲しいのに授からない夫婦がいる一方でこんな事が起きるんだ?人道的な社会は結構なことだ、しかしこいつらは心や愛を持った人ではない!!時としてこの世のシステムが邪魔して裁くべきことを裁くことができない。絶対に許してはならないことだ!!
普段なら様々な事件や汚職や政治など腹が立つことがあってもブログに書くことなどしないし、どんなことでもある程度常識の範囲内で『僕はこう思う』的なものの書き方をするが、今度ばかりは忍耐や理性を超えた。
子どもを餓死させながら自分は肥え太りよろしくやっていた奴らに大した罪も与えず許すような世界であって欲しくない。償うことなど最早できないが、極刑をもってケジメをつけるしかない。しかしそんな判決が出ることなどないだろう。情けとは、かける価値のある人間にこそかけるべき人の情であるはずだが・・残念でならない。
汚れなき命を救うような神はいないが、地獄があればいいと願わずにはいれない。
家に着いたらおそらく寝ているであろう息子達を代わりに抱きしめようと思う。
iPhoneからの投稿