スタイル | 豊島区『大塚・池袋』のカイロプラクティック

豊島区『大塚・池袋』のカイロプラクティック

カイロプラクティックとは、自然の法則に基づいた哲学、科学、芸術である。それは、手のみによるアジャストメントという方式で、dis-easeの原因となる椎骨の変位を正すことである。

あるカイロプラクターのブログ記事を読んで思った。

ああ、これ、この考え方に僕は違和感を覚えてストレートをやめたんだってことを。

簡単に要約すると、、
【以前とはカイロプラクティックの提供スタイルをよりシンプルなものへと変えた→その結果、理解されなかったりで患者さんの数は減った→しかし後悔など一切ない→これからもカイロプラクティックを追求していく】

これを読んでどう思うかは、読んだ人によってまったく異なるだろう。
僕もカイロプラクティックの世界に入ったばかりの頃と今を比べれば、提供する内容はシンプルなものになっている。しかしそれは自分で必死に考え苦悩し、最終的に『長い目で健康を考えた場合、これこそが患者さんのためになる!!』という強い確信に基づいてのものだ。
それがもしも、症状の緩和・消失を目的として様々な治療法を混ぜて行うものであったとしたら、潔くカイロプラクティックの屋号も、己をカイロプラクターと名乗ることもやめたことだろう。

上記のブログ記事はそれとは違う目的が読み取れた。

ある人によっては『素晴らしい!』
ある人によっては『ストイック!』
ある人によっては『独りよがり!』

自営業としてカイロプラクティックの看板を掲げて自分の好きなことをやっているのだから、誰に何かを言われる筋合いもなく、実は考え方に正解も不正解もない。

しかもこの先生は社会的モラルとしてのカイロプラクティック学位もお持ちのため尚更だ。こう言うと、「日本にはカイロの法律がないんだからルールなどない、我々がやっていることは違法ではない、そして何より名ばかりの学位持ちの先生方なんぞよりよほど真面目に我々はカイロプラクティックをやっている」などと思う方々もいるだろうが、それなら一生その考えで生きていけばいい。
カイロを名乗りながら、実際はほぐししかできない問題外の連中は除くが、法律うんぬんの前にヒトの身体、しかも脊椎という重要かつある意味危険な場所へ手技を行うのだから、カイロプラクティックを行うにあたって定められた教育や、せめて医療系の何らかの国家資格くらい取得しておくべきだろう。そこはもうこの国においてはモラルの問題でしかない。
最低限やることべきことをやり、それから実践してものを言うのでなければ、このとても小さなカイロ業界の中でならばともかく、社会という大きなスケールで考えた場合では、誰も何も聞いてくれやしない。

話を戻すが、僕が思うのはカイロプラクターになろうと思った最初の動機はなんであったのかということ。初志貫徹という言葉があるが、途中でその初志よりも高い志ができたのなら貫徹する必要はない。しかし僕の場合はその初志よりも大切なものはないため、貫徹する必要がある。

ストレートの世界で僕の初志は場違いもいいとこだ。
やはりなるべくしてこうなったのだと今更ながら最近は特に強く思うと同時に、『俺はストレートと称することをやめるべき』という解釈と選択は間違っていなかったのだと思う。
良い、悪いではなく、そうであるのか、ないのかということだ。

カイロプラクティックをやっている形だけを見れば、開業して今も昔も変化はない。しかし目には見えないが、明確化された目的というものは、大きな変化をまず何よりも自分自身にもたらす。ことわっておくが、それは明確化された目的であって、中途半端であやふやな目的では何の変化も起こらない。

患者さんのため?
クライアントのため?
カイロプラクティックのため?
名誉のため?
プライドのため?
金のため?
ただ単に生きていくため?

カイロプラクターで在ろうとする動機こそが自らの【スタイル】を決める。

偽りの目的と動機では人を惹きつける魅力など生まれない。

僕は目的も動機もハッキリしている。
これからもカイロプラクティックを健康の回復と維持、病院などでは救われず対応が難しいとされ苦しみを抱えている患者さん達のために、第一に用いる。そして元気、病気、dis-ease(健康の欠けた状態、前病気状態)関係なく目の前の患者さんに脊椎サブラクセーションがあれば、それを手によってアジャストする。それは健康にとって有益なことだから。

そのためにカイロプラクターとしての自分がいるのだ。




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