なんのためのカイロプラクティックか? | 豊島区『大塚・池袋』のカイロプラクティック

豊島区『大塚・池袋』のカイロプラクティック

カイロプラクティックとは、自然の法則に基づいた哲学、科学、芸術である。それは、手のみによるアジャストメントという方式で、dis-easeの原因となる椎骨の変位を正すことである。

いろいろ考えることがありまして、この際ですからこの場で宣言しておきたいと思います。


私にとってのカイロプラクティックは自分のオフィスに来てくださっている方々や、この先カイロプラクターとして出会っていく方々のためのものです。別段、症状やら病気があるわけでもなく健康をケア・維持するためにお越しになる方、何らかの不調に困っていて健康を回復したいと切実に思っている方々のためにカイロプラクターとしての私がいて、カイロプラクティックを自らの職業に選んだわけです。


今はカイロプラクターと名乗っている人達も、カイロプラクティックを職業にするにはいろいろな理由があったと思います。


◎手に職をつけたかったから

◎自分がカイロプラクティックで救われたから

◎自分の家族がカイロプラクティックで救われたから

                                  などなど


しかしオフィス名にカイロプラクティックを用いている以上はカイロプラクティックを人に提供することが自らの職業に対する礼儀であり誠意であり、この職業を後世に残していく道であるとも思っています。そういった意味でカイロプラクティックを実践していますし、元はミキサーであった私が本当の意味で人の健康というものを考えた答えがストレートカイロプラクティックだったわけです。


しかしくどいほど繰り返しますがカイロプラクティックを職業にしている大前提は人のためです。カイロプラクティックは症状や病気を治療するわけではありません。その人に元々備わっている生命力でもイネイトでも自然の力でも言葉は何でもいいですが、それを引き出すきっかけを与えて、あとは何らかの不調で悩まれている人達が自らの力で健康を取り戻してもらうことを目的としているわけです。・・・わけですと断言してしまっていますが、私はそう思っています。


カイロプラクティックオフィスに来られる99%の方はなんらかの不調に苦しんでいます。いきなり「いろいろ痛いとこはあって困っていますが、それよりも私の潜在的な力を引き出してください!」なんて言う方はまずいません。ミキサーだろうがストレートだろうが、そこを訪れる方々はなんらかの不調を治してもらいたくて、または改善したくて来るのです。それは何故か?こちらがそれを期待させるメッセージをHPなりblogなりオフィスに訪れた方々なりを通して世間に発信しているからです。自分でそんな気がなくてもそういった方が多く来るのであればそれが現実です。


ストレートカイロプラクターは極力言葉の用い方、表現の仕方に注意します。特にストレートの中でもオブジェクティブストレートは「治療」という言葉は絶対に用いません。「治すのはあなたの力であって私が治しているのではない」という認識があるからです。しかし結局のところ相手にしている多くの方々は何らかの不調に苦しんでいたり悩んでいたりして、その人が治る手助けと介入をストレートカイロプラクターは行っているのです。


そういった意味でいくらカイロプラクティック、つまり「自然」を追求していっても我々が相手にする方の多くはなんらかの不調に困っている方々です。


カイロプラクティックをきっかけ(踏み台)にして自然を究極に追求していくならば、辿り着く先は「何もしない」ことだと思います。おそらく・・・というか確実にストレートを熱心にやっているカイロプラクターの全てが、今自分が行っているカイロプラクティックの世界で生み出された様々な検査という行為自体が「不自然な行為」なのではないか・・・と考えたことがあるはずです。


脊柱の左右の温度差、下肢長差などなどいろいろあるわけですが、考えてみればそれはその人のイネイトが適応してきた、または適応している段階での形なのではないかと・・・。そして人間が考え出した、つまりカイロプラクティックの世界でいうところの後天的知能で考えた検査、そしてアジャストによって患者さんの訴える不調が改善されようが改善されなかろうが、脊柱の温度差にストレートラインが出たとか、下肢長差が改善されたとか・・・それは本当に自然の一部である人間に対して行うべき自然な行為だったのか?そしてカイロプラクター的には満足した結果がその人にとって正しかったのか?今日アジャストしたサブラクセーションはその人のイネイトによって自然にアジャストされたのではないか・・・?


カイロプラクティック行為は自然であり正しいことなんだと盲目的に思っていない人間であれば、このように考えたことがないわけがありません。なぜならその人にとっての正常とはその人自身の先天的知能にしかわからないからです。究極に自然を追い求めるのならば、アジャストを手放す・・・つまり「あなたの内にはあなたを生かしている素晴らしい力が存在しているんです。」ということを理解してもらうだけでいいのではないか?と考えたりもするはずです。思考はエネルギーであり、現実を変え、そして創造していくのですから。


ある一人のD.C.に「自然を究極のところまで追求して、あえてカイロプラクティックをやっていくというのなら、そこには自然療法、原因療法などといった言葉すらふさわしくないのでは?HPを作ってもオフィスで提供することをまとめるならば1ページで足りてしまうと思います。そこにはあなた自身が治すとかそういったことですらが不自然なものになるのでは?」と訪ねたら頷かれていました。


しかし結局のところ最終的には「カイロプラクター」である以上は、「カイロプラクティック」という言葉にこだわり続ける以上は自然にはなれません。これは特にストレートカイロプラクターが自覚しておかなければならないことだと思います。


そしてなんだかんだ言っても不調を抱えている人達を多く相手にしている以上は、治るという行為にカイロプラクティックが関わっているということも。そして潜在的に備わっている力をより表現させようと思って実践するカイロプラクティックは、全てとは云えないまでも結果として様々な不調に苦しむ方々の力になれるということも。


自然は何も意に介しません。しかし心や感情を持った人間は・・・人間である以上は意に介すのです。


今回のblogは一般の方は当然、ミキサーやトラディショナルストレートの方々からは「意味わからん、考えすぎで頭大丈夫?いくら自然といっても飛躍しすぎだろ・・・」と思われる内容かもしれません。ストレートカイロプラクターが「ミキサーがやっていることは厳密に言えばカイロプラクティックではない」ということで(逆パターンもあり)いざこざが絶えませんが、究極に自然というものを追求していったカイロプラクターは、ミキサーやトラディショナルからしたらもはやそれはカイロプラクティックではないと思われているのかもしれません。常識とは常に変動し、また個人によって全く異なるものですから。ついつい自分のことは見えなくなり他を批判したり上から目線で言葉を発したりするものです。それは人間である以上私自身も含めて。


ただしどう考えていこうと一つだけ変わらない大前提は、最初に書いたように・・・

私にとってのカイロプラクティックは自分のオフィスに来てくださっている方々や、この先カイロプラクターとして出会っていく方々のためのものです。別段、症状やら病気があるわけでもなく健康をケア・維持するためにお越しになる方、何らかの不調に困っていて健康を回復したいと切実に思っている方々のためにカイロプラクターとしての私がいて、カイロプラクティックを自らの職業に選んだ・・・ということです。


カイロプラクティックを学ぼうと志した初心だけは絶対に忘れませんし、忘れることはできません。


一人でも多くの方々の健康に奉仕し、自らの内にある偉大な力に気づいてもらえるようにカイロプラクティックを実践していくつもりです。