ミキサーからストレート、治療家からカイロプラクターへの変遷 4 | 豊島区『大塚・池袋』のカイロプラクティック

豊島区『大塚・池袋』のカイロプラクティック

カイロプラクティックとは、自然の法則に基づいた哲学、科学、芸術である。それは、手のみによるアジャストメントという方式で、dis-easeの原因となる椎骨の変位を正すことである。

「カイロプラクティック哲学にみる東西思想」は日本上部頚椎カイロプラクティック協会のHPから今でも見ることができるので、興味がある方はそれを読んでいただきたい。

とにかく人は得てきた自分の知識(後天的知能)が多ければ多いほど、それを手放すことが出来ないものである。もちろんそれは私自身も例外ではない。しかしやたらとストレートカイロプラクティックの言葉が印象に残る。たとえば・・・

カイロプラクティックに他の療法を混ぜることは、カイロプラクティックを小さく見せ、自分を必要以上に大きく見せることである。

カイロプラクティック関係者以外は意味不明だろうが、カイロプラクティックを学んでいるつもりであった私はこの言葉にも考えさせられたし、胸が痛かった。

段々とストレートカイロプラクティックが自分の中で大きくなっていくのだが、なにせ自分の周りに誰もストレートカイロプラクターがいないのだ。一人もいなかった。「朱に交われば赤くなる」というが、ミキサーカイロプラクターばかりだったし、自分がお世話になっていた先生もまったくストレートに理解を示そうとしていなかった。

先生曰く「俺も昔はガンステッドだけで人を治せると思っていた。しかしな・・・」といった具合に、カイロプラクティックに限界を感じたのか、ご自身に限界を感じたのかはわからないが、結果として様々な治療法をミックスして行うスーパー治療家と形容してもけっして大袈裟ではない先生であった。しかしカイロプラクティックは治すという表現を用いることはない。この言葉こそがカイロプラクターとしてよりも治療家としての先生の生き方を表わしていた。そんなわけで私にもいろいろな治療法を勉強するように勧めてくれる。AKの関係でというよりもマッサージとして経絡を教えようとしてくれたり、とにかく引き出しが半端ではない先生だったのでいろいろな資料もくれるのだが・・・

治療家を目指すのであればありがたい環境だったのだろうが、私にはそれが苦痛になっていった。治療家として尊敬はすれど、生意気にも「これはカイロプラクティックではない」と思わざるを得なかったし、カイロプラクティックを否定するような言葉を尊敬していた先生の口から聞いたときにはあまりに落胆し、離れていかざるを得なかった。

ストレートが周囲にいないだけでも当たり前なのに、上部頚椎専門のカイロプラクターなどいるはずがなかった。そんなわけでHIOと同じようにストレート色が濃いといわれるガンステッドテクニックに傾倒していくことになる。ガンステッドはお世話になった先生もよく治療法の一つとして用いていたので、私もずっと見ていたし、受けていた。その当時の私が抱くガンステッドのイメージは、カイロプラクティックの多々あるテクニックの中でも修得が困難で、多くのカイロプラクターから憧れられるテクニックといったものだった。(そんなことないかな!?)

もう一人ガンステッドにこだわろうとする学生が同級生にいたので、二人でガンステッドテクニックの修得と勉強に切磋琢磨することになる。

次第に「カイロプラクティック哲学にみる東西思想」の内容も薄れていき、「ガンステッドこそが最高のカイロプラクティックだ!」という意味不明な思想を持つようになっていった。


つづく