「嫌われるのが怖い」という感覚
程度の強弱こそあれ、持っている方は多いのではないでしょうか?
だからこそ、アドらー心理学の本
「嫌われる勇気」が多くの人の心に届いたのかもしれません。
心理セラピーをやっていても、この訴えをなさる方は非常に多いです。
人から嫌われることが怖い。
嫌われることが怖いので、嫌われないように生きている。
嫌われないように生きようとすると、自分の思っていることが言えなくなる。
いつも相手が何を望んでいるのか?と察し、その期待に応えようとしてしまう。
そうすると我慢してばかりなので、だんだんと辛くなってゆく。
それでも我慢し続けていると、そのうち、自分が何を思っているのかもわからなくなってしまった。
そんなお話を、それはそれはよく耳にします。
このように
「人から嫌われないように生きる」
と決めた人たちは
嫌われないように細心の注意を払い、自分を押し殺し、人の期待に応えるように行動します。
それはとても苦しいいことですが
ここまで苦しい思いをした上に
さらなる理不尽が襲いかかります。
それは・・・
そこまでしても必ず誰かには嫌われる、ということ。
だって、そりゃ、そうです。
どんなに細心の注意を払おうとも、世の中には人の数分だけの価値観が存在しているのに
あらゆる価値観に合わせるなんて不可能。
価値観が異なること=嫌う
ではないのですが、まあたくさんいる人の中には、「あなたと私は価値観が違う」って嫌ってくる人もいるわけで。
そしてこう言われるかもしれません。
「おまえのそうやって人に合わせてばかりで自分がないところが嫌いなんだよっ!」と・・・・・。
そしてまた深く傷つく・・・。
もう、なんたる悲劇。
なんたる理不尽。
言葉もありません。
チーン。
という感じになります。
まあ何を隠そう、20歳の頃に私はこんな思いを経験しました。
私はそのとき、あまりの理不尽さに(まあ今思えば当然の帰結なのですが、あくまでも当時の私にとっての理不尽)ショックを受けました。
半端ないショックです。
それこそアイデンティティが崩壊するくらいの・・・。
「私っていったい・・・」な感じでした。
で、いったんアイデンティティが崩壊したので、反動で、
「うりや~、これからは言いたいことはなんでもいってやる~!」的な、真逆の方向に振り切れる、みたいな感じになりました。
ところでそもそも、どうして
「人に嫌われるのが怖い」という感覚は生まれたのでしょうか?