「今この場で音楽が生まれるような演奏」
という意味が少しわかった気がする。

一つ一つの音への配慮の深さが全然違う。
先を見据えすぎると、今生まれるはずの音への意識が薄れる。

今音楽が表わしている世界がどんなものなのか、
その瞬間の世界が自分の心と体全体に行き渡っているか。
ほんの少しだけ先をイメージしながら演奏する。


たぶん、昨日ぼーっと弾いた曲(まさに、その瞬間に生まれた音楽)を楽譜におこしても、
同じ表現は二度とできないだろう。



シベリウス先生の交響曲は全部好きです。
7,5,3,1,6,2,4くらいの順番で好きです。

7番では特に、序盤に出てくる木管の、
「ドーファーシ♭ー、ファミ♭ーーミ♭」
がたまりません。

ため息のようだし、鳥の鳴き声のようにも聞こえます。
広くて、とても遠い世界に独りで来てしまった、という印象です。


7番の終わりも大好きです。
こんなに白丸ばっかりの終わり方は、結構珍しいと思うのですが。
すごく容積の大きなものを感じる。
Vnのシ→ドの移行がたまりません。
何かを静かに確信するような熱い響きが、耳と心臓に残ります。


この感動を倍増させるため、
今度1番から順番に7番まで通して聴いてみたい。
1番の地上の風景から、さまざまなところをめぐって、
7番のとても遠い、行き着くところまで行ってしまった世界へ。


シベリウス:交響曲全集(5枚組)

喜怒哀楽を端的に表した曲をまとめてみよう。

ということで、まずは聞いてていつも楽しい曲をまとめてみた。

意図的に、Allegro系に絞ってあります。



・ローマの謝肉祭

・こうもり序曲

・雷鳴と電光

・カルメンのジプシー達の歌(題名わからん)

・白鳥の湖、プリマドンナがひたすらくるくる回る曲(ほんとは一幕だけど演出によっては三幕で出てくる、以下くるくる)

・白鳥の湖、スペインの踊り

・トレパーク

・剣の舞(ゲルギーの暴奏)



どれも思わず体でリズムを取ってしまう、楽しい曲です。


主調をあげてみると、上から順に、

A、A、D、Emol、G、F♯、G、G。



やっぱりシャープ系の曲は、フラット系の曲に比べて身軽なようです。

澄んだ響きとなるので、重量感が少なく、快速にしやすいのでしょう。


この曲達をシャッフルループすると、3分の1はGdurになるので、

曲がずっと続いてるかのような錯覚に陥ります。

(実際、くるくると剣の舞は始まり方がほとんど変わらない。)


最近、アダージョばっかり聞きたくなっちゃう傾向を脱した気がします。

エネルギッシュな曲を体が欲する傾向。



おそらく、新入社員研修で今までに無いことをやることで、

これまでとは違った自分や、今ままで気づかなかった自分を発見したり、

人への見方が変わったりして、

自分の意識が外に向かってることと、関係があるのかも知れません。

(じっくり腰を据えて、音楽に身を委ねて聞く時間があまり無いというのも

原因のひとつだと思いますが。)



いろんな人を見たい!

いろんな物も見たい!

いろんな自分に出会いたい!


会えば、いつも楽しい人になりたい。



人のために歌えるというのは、素敵なことだと思う。


自分のために弾くだけでは、辿り着けない思いがあると思う。

そこに照れは一切無くて、全身全霊で相手に何かを伝える。

音楽家の端くれとして、そうできるようになりたい。


ギター一本で僕を感動せしめた素敵なおっちゃんの演奏を聞いて感じた。


演奏を届ける人たちの喜びを自分の喜びとしよう。

練習に、なんとしても、という思いが出てくる。



壁にぶつかった時は、どれだけ自分が真剣に思い続けられるかが、

自分を大きくする糧となると思った。

なんとしても、と思えることがあるか。


最近はほとんど執心がなくなってしまったと感じる。

何も考えないように、変化が無いように、無意識に仕向けている気がする。


少しずつでも、自分が実現したいと思えることを実現していきたい。

必ず壁に当たる。

そこで真剣に悩むことを放棄してしまったら、真っ直ぐに進めない。

なんとしても実現したいと思い続けられなくなったら、自分がこの世に生み出せるものは何も無くなってしまう。