高松引越し作業の影響が、これほど酷くなるとは思いもしてなかったし、
この異常な暑さで、手術後の体調も良くない・・・・・・。
また、高松なんていうド田舎の町では、身障者の就労に消極的で、
まあ、クソ田舎の同年代の健常者であれば、俺より元気で動き回れるヤツばっかりなんで、
ロクに仕事も出来んくせに、トイレはプライベートやとか、
疲れやすいし休憩は充分に取るなんて言う「身体障害者」は来るなと言われても仕方が無い・・・。
いざとなりゃ、こんな田舎のマンション売って、
日本海の近くの空家でも安く買って、小さく質素に暮らせばええと思ってる・・・。
少なくとも四国なんていう中途半端な町には住みたくない!!!!
高松なんていう、ホンマに中途半端なクソ田舎には、絶対に住みたくない!!!!
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さてさて、たぶん再訪問は不可能な北九州だが、
国鉄時代の電気機関車が風前の灯火となっている・・・・・・。
どうにか2017年11月に、直方再訪を果たし、鹿児島本線でのEL撮影も出来たが、
以後の再訪問は身体や財布へのリスクが大きすぎて不可能やな・・・・・・。
高校生の時の夏休み・・・・・・。
蒸気機関車の撮影で訪れたとき、少しは電気機関車も撮影していた。
鹿児島本線全線電化によって、西鹿児島機関区に集中的に配備されたED76。
奇しくも、梅小路から転入し、鹿児島で命耐えたC57-127とED76の並び・・・。
全線電化の前はまだ、ED72やED73が主力機関車だった。
SL撮影の最終日は、熊本からの夜行急行列車に乗るため、午後の熊本駅撮りになった。
ジョイフルトレインの元になった「和風お座敷列車」。
必ず熊本で、ED72からED73への機関車交換があった・・・。
少しだったがED75の運用もあった・・・。
やがて鹿児島本線はED76の天下となって行く・・・。
※赤い電気機関車なのにモノクロ写真でスイマセン!!!!
鹿児島本線の北端、門司からの関門トンネルは、
塩害対策ステンレス車のEF30が重連で貨物を牽いていた。
客車運用は単機で行っていた。
たまにED73とEF30のコンビで運用されることもあった・・・。
当時、新製であったEF81ステンレス車「300番台」が、
12系客車の先頭に立ち、関門トンネルを潜っていた・・・・・・。
最初にパーイチのステンレスを見たのがこの時で、
当時17歳やったとして、完全に50年は経ったのだと痛感している・・・・・・。
そう思うと、手術して、こないにボロボロになった身体でも、
生きている「人間」ちゅうのは大したもんやなぁ~と、思ってしまう・・・。
出来れば九州再訪問を果たし、EF81やED76を撮りたいと思うけど、
こんなポンコツでは、どうしようも無いよねぇ~~~。