12系客車が終焉を迎えたようです・・・。 | 髙松在住の娘の出産で、四国のド田舎に引越して体調は悪化、何もかも大失敗‼‼

髙松在住の娘の出産で、四国のド田舎に引越して体調は悪化、何もかも大失敗‼‼

仕事も、趣味も、飲み友達も、飲めない友達も、すべて上手く行ってた環境を捨ててまで、高松に住む娘の出産というだけで、高松などというド田舎に引越して来ましたが、前後の作業で体調も悪化するばかりで、何もかもが上手く行かず、絶望と惰性だけの日々です・・・。

 

私が初めて12系客車を見たのは「奈良駅」。

レンズシャッターカメラで巻き上げを忘れていたため、ファーストカットがこれ・・・。

蒸気機関車のD51が牽引して、この先、亀山方面に行ったのか、京都へ向かったのか・・・。

初めて見た12系のブルーに白帯の車体は、すごく新鮮やった。

 

梅小路機関区にC62が来て最初の、京都~姫路のイベント列車。

乗客満載の12系12両を軽々と牽引し、加古川駅を駆け抜けて行った。

 

まだまだモノクロフィルム時代、9600やD60などのSLを撮りに行ったとき、

門司駅で見かけたEF81(銀釜)に牽かれて関門海峡を潜る12系。

 

カラーフィルムになった頃でも、12系は沢山走ってた。

やはり12系の魅力としては10両越えの長編成になろうか・・・。

 

天理臨でも、長編成で雄姿を見せてくれた。

 

90年代の、通称「朝練」でも、快速ムーンライトで14系との混雑編成を楽しませてくれた。

 

特に私が好きだったのが14系寝台との組み合わせで、

繁忙期には12系が6両まで増える、夜行急行「だいせん」や、

 

同じく、夜行急行「ちくま」であった。

この寝台車と座席車の組み合わせは、全国いろいろで楽しかった。

 

そんな12系やったけど、最後は豊岡~米子の普通列車で定期運用を終えた・・・。

 

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さて昨日は、娘の旦那の家族を招いて祝宴となった。

 

先方は大バアチャン(90歳超)も健在で、車に乗って来てくれた。

 

とりあえず京都から持って来た、造り盛りの船に手巻き寿司ネタを盛り合わせた。

JAZZ好きの先方のオヤジさんとは、誕生日も同じという事もあり、

久々に火を入れたアンプで、少しレコードを楽しんだ・・・。

 

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私は先日、地元のマンション管理会社で、管理人の面接を受けてきたが、

正直なところ、体調などの心配事もあるので、何とも言えない・・・。

 

話しは前後するが、先日(6/27)の、ひとり運転会の様子・・・・・・。

 

583系寝台特急電車、481系ボンネット車、485系(電気釜)に、スーパー雷鳥、

完全に気分は「向日町操車場(京ムコ)」・・・。

 

もちろん、このような特急車両の並びは良いのやけど、

こうなると、花形の特急車両を引き立ててくれる普通列車や快速列車が気になる・・・。

 

という事で、さっそくネット徘徊・・・・・・。

 

まずはパンタ破損+プラ車輪のジャンクを仕入れ、

パンタ交換、車輪交換、カプラー交換で、113系が4両入ります。

 

やっぱり後は117系「新快速」の6両が必要になるので、またネット徘徊します・・・。