大河ドラマ『光る君へ』第37話「波紋」見ましたー。

 

 

『源氏物語』はほとんど興味のないワタクシですが、『源氏物語』の製本作業というのは面白みがあって良かったです。

 

紙の一方の辺を外から綴じる「四つ目綴じ」とは異なる、なんだか手間のかかっている綴じ方。

 

数枚重ねた紙の折り目を赤い糸で綴じ、それをいくつか揃えたら、さらに糸で綴じる。こうすると、平らに開くことができる。まるでノートのように。

 

この装丁を「列帖装(れっちょうそう)」と呼ぶんだそうな。

 

裏表に字を書いても裏写りしない、厚手の紙を用意できてこそ、為せる製本方法となりそうですね。

 

しかし、資料映像のように見えながらも、お嬢様育ちの藤壺の女房たちに、こんな地味で根気のいる作業ができたのかな…という疑問は残しつつw

 

 

というわけで、今回も気になった所などをリストアップしたいと思います。

 

 

 

◆まひろの里下がり

 

里下がりを希望して、「堤邸」に戻った まひろ。

 

「なんだか、みずほらしい感じがする…」と心の中でつぶやいたのは、華やか過ぎる藤壺での生活に馴染み過ぎてしまったせいですかね。

 

そして、弟の惟規も交えた懇親会(?)では、お酒を呑んでおおはしゃぎ。

 

宮中で経験したこと、ぜんぶ語りたい!みんな聞いて聞いて!になっておりましたw

 

いますよね…こういう人…(思い浮かぶあの人この人)

 

まひろ以外の参席者は、ムスっとして沈んでいる賢子の様子が気になってしょうがないご様子。だったら、まひろ頼みにしないで自分から声かけてあげればいいのに…。

 

宴の後、ろうそく灯してまで意味ありげに書いていた「罪」「罰」も、全く意味不明…。いつもの「意味ありげにやってるけど中身空っぽ」の1つかな?(笑)

 

それにしても、まひろが賢子に全く拘わらないのは何故?「老いた父と娘の顔が…」と言って里下がりの許可もらってましたよね…?

 

「為時の娘」「惟規の姉」「乙丸たちの女主人」としての面は見せるのに、「賢子の母」だけは見せていないんですよね…。

 

幼い頃に母を亡くしたから、母としての接し方が分からないとか、そういう描写?ということにしたのですが、さて…。

 

あと、賢子の唐突な「嫡妻じゃないから~」発言って何なんでしょうか?

 

賢子は、まひろが道長の「召人」になっていると思っている…って理解でOK?いとや為時が、左大臣のことになると微妙な顔をするから、そう察してしまったとか?

 

あるいは、宮中での華やかな暮らし(自慢話?)を聞かされた腹いせに、「こっちが貧乏なのは、お前のせいやろが!」ってブチギレちゃったってこと?

 

ワタクシには前者に思えて仕方がないんですが、何かのフラグなのかな…一応、覚えておきますか。

 

為時が「正五位下」に出世して、まひろも為時も惟規も不思議がっていましたけど、これは道長が「為時が出世すれば、まひろは里に下がらなくてもいいだろ」と環境を整えた…ということなんですかね?

 

説明不足と描写不足は『光る君へ』では珍しくない問題点ですけど、もうちょっと丁寧に話をつくってほしいですよな…。

 

まひろは、賢子から一方的に嫌われるまんま、なすがまま、解決しないまま宮中へ。でも仕事に戻ったら、賢子のことは綺麗さっぱり忘れたようで、よかったよかった(のでしょうか…?)

 

 

◆倫子からの手紙

 

今回で最も残念だったのは、まひろに宮中へ戻るように促す手紙を、彰子が手掛けていたこと。

 

使いが持ってきた黒塗りの箱に、彰子が書かせたらしい手紙が入っていましたが、『紫式部日記』によると、本当は倫子の手紙が入っていたようです。

 

殿の上の御消息には まろがとどめし旅なれば ことさらに急ぎまかでて 疾く参らむ とありしも そらごとにて ほど経るなめりと のたまはせたれば たはぶれにても さ聞こえさせ たまはせしことなれば かたじけなくて参りぬ

 

殿の北の方様(=倫子)からのお手紙では「私が引き留めた時には『すぐに戻りますので』とおっしゃってましたけど、あれはそらごとで長く里にいらっしゃるようですね」とあったので、戯れ言であっても、確かにそう言って下がっているし、お手紙も頂戴したので恐れ多くて帰参した…と書かれています。

 

道長を巡って2人は微妙な関係になっているから、この日記の再現はできなかったんでしょうけど、すごく残念。どうしてこういうことになってしまったのかなぁ。ねぇ、脚本家さん?

 

 

ついでにいえば、この直前には「大納言の君」と贈答歌を交わしている記述があるのですが、この部分もなかったですね。

 

大納言の君の 夜々は御前にいと近う臥したまひつつ 物語りしたまひしけはひの恋しきも なほ世にしたがひぬる心か

 

浮き寝せし 水の上のみ恋しくて
鴨の上毛に さへぞ劣らぬ

 

返し

 

うちはらふ 友なきころの寝覚めには
つがひし鴛鴦ぞ夜半に恋しき

 

書きざまなどさへいとをかしきを まほにもおはする人かなと見る

 

里帰りした紫式部は、宮中に残して来た友人たちのことを懐かしく思い返すようになってしまったようで、仲の良かった大納言の君に和歌を送ります。

 

「あなたと仮寝をしていた宮中が恋しくて、お会いできない一人寝は鴨の上毛に積もる霜にも劣らず冷たいものです」(水鳥の「浮き寝」と「憂き寝」が掛詞)

 

すると、大納言の君が歌を返してきます。

 

「オシドリのように共に羽根で打ち払っていた友がいない目覚めは、夜半にあなたが恋しくなります」(オシドリは夫婦で互いに羽根で露を払い合うと言われます)

 

お互いを想い合う、仲良し女房仲間(身分は違うんですけどね)

 

しかし、この描写もなく…

 

って、そりゃそうですよね。『光る君へ』では、藤式部はほかの女房と仲良くしたり交流したりする様子は、まっっったくありませんでしたからね。大納言の君も例外なく。

 

楽しみにしていたのになぁ。そこもなんだか残念ですなぁ。

 

 

◆後見人の宣戦布告

 

為時が「正五位下」になった一方で、道長と同じ「正二位」へと上がった伊周。

 

「敦康親王の後見人は俺!左大臣は敦成親王の後見人!お忘れなきよう!」と、すっかり気分は宣戦布告…。

 

一条天皇が伊周を加階したの、「後見から外れても大丈夫だと安心させるため」だったような気もするんですが、ねぇ…。

 

なお、ドラマではこのシーンよりも前に、道長がまひろに「敦成親王は次の東宮になる御方」と漏らす場面が入っています。これ、順番を逆にした方が良かったのでは…道長がキャラ急変したようにしか見えないぞ。

 

伊周邸では、高階光子と源方理(かたまさ)が姿を見せました。

 

 

高階光子は、伊周の叔母。母・貴子の妹。

 

源方理は、伊周の妻(ドラマでは幾子)の兄。

醍醐源氏・重光の子。

 

系図で見てみよう(醍醐源氏/代明親王)(関連)
https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-12838983981.html

 

この2人は、後に伊周を巻き込んで、とんでもないことを起こすのですが…それは、次回をオタノシミニ…ですねw

 

 

◆華やかサロンの後継者

 

寛弘5年11月17日(1008年)、中宮彰子が内裏に還御。

 

(あれ?紫式部と同じ車に乗るのをイヤがった「馬中将の君」の最大の見せ所は…?)

 

帝に愛されていると自信がついたのか、皇子を産んでシアワセが見つかったのか、表情が豊かになった彰子。

 

さっそく敦康親王がご機嫌伺いに訪れます。

 

「弟は?」と、当然のように尋ね、そして当然のように敦成親王を兄宮に披露する。後年の出来事を思うと胸も痛みますが、ここは普通にいいシーンですねw

 

 

「宰相の君」が抱っこしているのは、彼女が敦成親王の乳母だから…ですねー。そういう説明、入れても尺はそんなに取らないと思いますけど…。

 

彰子に釣られるように、帝が「読書の会」を開催させるほどに、藤壺も雰囲気が明るくなっています。

 

これはこれで『光る君へ』らしい「時代の変化」を見せるシーンですけど、宮廷文化・宮廷文芸というのが、政治とは切っても切り離せないものなんだなぁと、痛く思わせてくれますねー。

 

彰子のサロンが、定子の明るく教養高いサロンを目指していたかどうかは不明ですが、一条天皇の趣味・趣向を考えると、あり得ないことではなかったと思います。

 

一方で、それを確実に意識しただろうなという人は、もう1人います。

 

それは、定子の遺児・脩子内親王。

 

「清少納言は定子の娘である脩子内親王に仕えていた」。しっかり言及されました。言質取りました(何)

 

脩子内親王は「着裳の儀」以来ですなー。相変わらず可愛い。

 

 

食べているのはヤ*ザキのお菓子ですか?(違)

 

 

清少納言が仕えたのは、定子への忠誠の延長線上でしょうけれど、後世には歌人の「相模(さがみ)」も、このサロンに出仕しています。

 

相模は『百人一首』65番歌の詠み人ですねー。

 

 

うらみわび ほさぬ袖だに あるものを
恋にくちなむ名こそ惜しけれ


相模/後拾遺集 恋 815

 

相模が脩子内親王に仕えたのは、定子のサロンを標榜した内親王の意向があったのかもしれません。そこで清少納言が推挙したかもしれません。

 

というのも、相模は清少納言の息子である橘則長と、一時期結婚しておりました。時期は不明なのですが、寛弘5年(1008年)頃の可能性はあります。

 

ゆえに「清少納言の息子の嫁」として『光る君へ』に登場してくれたら面白いな…と思っていたのですが、今のところキャスティングの発表はなく…これも"やっぱり"絶望的かな(苦笑)

 

そもそも則光も出てないのに則長が出るわけもなく。まぁ無理ですわね…。

 

相模が脩子内親王のサロンに出仕したのは、2番目の夫と離縁した万寿2年(1025年)以降と考えられます。道長が亡くなる直前ですが、希望は失わずにおきましょう…「菅原孝標女」すらキャスティングされているくらいですからな。

 

女流歌人の親戚たち(関連)
https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-12834049709.html

 

 

◆みそかの盗賊

 

寛弘5年の大晦日。藤壺では盗人が入る大事件が起きました。その様子が『紫式部日記』に記録されています。
 

つごもりの夜 追儺はいと疾く果てぬれば 歯黒めつけなど はかなきつくろひどもすとて うちとけゐたるに 弁の内侍来て 物語りして臥したまへり 内匠の蔵人は長押の下にゐて あてきが縫ふ物の 重ねひねり教へなど つくづくとしゐたるに 御前のかたにいみじくののしる 内侍起こせど とみにも起きず

人の泣き騒ぐ音の聞こゆるに いとゆゆしくものおぼえず 火かと思へど さにはあらず 内匠の君 いざいざ と先におし立てて ともかうも、宮下におはします まづ参りて見たてまつらむ と 内侍をあららかにつきおどろかして 三人ふるふふるふ 足も空にて参りたれば 裸なる人ぞ二人ゐたる 靫負 小兵部なりけり かくなりけりと見るに いよいよむくつけし

御厨子所の人もみな出で 宮の侍も滝口も儺やらひ果てけるままに みなまかでにけり 手をたたきののしれど いらへする人もなし 御膳宿りの刀自を呼び出でたるに 殿上に兵部丞といふ蔵人 呼べ呼べと 恥も忘れて口づから言ひたれば たづねけれど まかでにけり つらきこと限りなし

式部丞資業ぞ参りて 所々のさし油ども ただ一人さし入れられてありく 人びとものおぼえず 向かひゐたるもあり 主上より御使ひなどあり いみじう恐ろしうこそはべりしか 納殿にある御衣取り出でさせて この人びとにたまふ 朔日の装束は盗らざりければ さりげもなくてあれど 裸姿は忘られず 恐ろしきものから をかしうとも言はず

 

大晦日の夜、「追儺式(ついなしき)」が終わってしまった後、「弁の内侍」と世間話をしたり、居眠りしてしまったりしている時、突如として鳴り響く女性の悲鳴。

 

「何事!?」とばかりに「弁の内侍」と「内匠の君」の3人で、恐怖で足をガクガクさせながら様子を見に行ってみると、「靫負の君」と「小兵部の君」の2人がスッポンポンになってうずくまっているのが発見されました。

 

どうやら内裏に盗人が侵入し、2人は身ぐるみ剥がされて衣類を持ち逃げされてしまったみたい。

 

藤式部は「兵部丞(ひょうぶのじょう)という蔵人を呼んで!」と指示を出すのですが、もう帰ってしまって姿を現すことはありませんでした。

 

やがて、式部丞(しきぶのじょう)藤原資業(すけなり)が参上して事後の対処に回り、一条天皇の使いも駆けつけて、この騒ぎは落着。

 

2人の裸の姿が頭から離れず、恐ろしいけど滑稽だった…そんなこと周囲には言えないけどね、という言葉で締められています。

 

「追儺式」というのは、鬼を追い払う儀式で「節分の鬼と豆まき」の起原とされています。「鬼を追い払った直後に鬼より恐ろしい盗人に入られた」のが、滑稽だったのでしょうかね(^^;

 

悲鳴が聞こえて、それが中宮様のいる方だと気付いた時、ぶるぶる震える足を、それでも中宮の元へと頑張って歩かせた紫式部。

 

宮仕えがイヤだったはずの自分に、いつの間にか中宮への忠誠心が芽生えていたと、気づいた出来事だったとも言われる、この事件。

 

途中で「兵部丞という蔵人を呼んで!」と指示していますが、これ実は、弟の惟規のことでした。手柄を立てさせようと呼びに行かせたのですね。

 

しかし、追儺式も終わっていたので、家に帰ってしまっていたのです。

 

 

「つらきこと限りなし(情けないことこの上ない)」と感想を漏らしていますが、これまた「弟の手柄を考えた?宮仕えもイヤだった、この私が?」と、後になって驚いたかもしれないですね。

 

さっさと帰っていたために「情けない」と言われた惟規とは正反対に、大活躍している式部丞の資業は、兼家に「我が目なり」と頼りにされた東三条家の家司・藤原有国の息子。母は一条天皇の乳母・橘徳子。これも、ドラマ中では既出であってほしかったですね…。

 

 

ドラマに話を戻して、盗賊団が捨てていった衣類を拾ったのは、「追儺式」で鬼を払う役目「方相氏(ほうそうし)」を演じていた人物。


これは、キャスティング発表されている「双寿丸」ですね。

 

ワタクシはもう『光る君へ』のイイ男なオリジナルキャラはコリゴリなので(直秀、周明…)、あんまり注目していないです。精々、爪痕(いい方の爪痕で是非!)を残せるよう頑張ってもらいたいものです。

 

 

 

というわけで、今回は以上。

 

 

『源氏物語』は興味ないけど、それでも見れるドラマだよ…ってことで、中宮定子の崩御後も、これまで見続けて感想みたいなのもアップしてきましたけど、どうも宮中パートが面白くないんです…。

 

なんか、思っていたのと違うんだよなぁ…。

 

その「思っていたの」って?というと、もっと宮中のドロドロした派閥政治劇を見たかったです。

 

「馬中将の君」もロクに敵対しないし(一番の敵対シーン、スルーされちゃった…)、仲のいい癒しポジションだったはずの「大納言の君」や「小少将の君」の存在感が空気過ぎる。

 

「宮の宣旨」も、話を進めるための便利キャラ。威厳もなければ、周囲から礼を尽くされることもない…「上臈中の上臈」なんですよ、彼女。

 

本当にこれ、紫式部大河なんですよね?(笑)

 

内裏に盗人が入った日の、惟規がのほほんと帰宅済みだったことを知った紫式部の台詞「つらきこと限りなし(情けないったらありゃしない)」ですね、まさに今のところの平安クラスタの気持ちは…。

 

しかし、いよいよ「左衛門の内侍」が敵意を剥き出しにするフラグが立ち、それどころか、道長が権力欲でテカテカに輝き、まひろがついに左府と袂を分かつ可能性さえも見えてきました(これが「波紋」ということ?)

 

それよそれ。そういうのが欲しいんです。味のしないソウルメイトとか、肝心の主人公自身が忘れてそうな不義の子とか、意味のない仮面夫婦とか、展開を苦しめているだけのホワイト道長とか、無駄で不快なオリジナリティはもういいから、そういうのください。

 

放送は残り11回。これから「起承転結」の「転」とするには若干遅きに喫した感もありますが、なんとか「愚作」に終わらないよう、ここから立てなおしてもらいたいものです。

 

 

 

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