大河ドラマ『光る君へ』第24話「忘れえぬ人」見ましたー。

 

 

「チャラ男正夫・宣孝」vs「国際ロマンス詐欺師・周明」

 

ファイッ!!

 

その結果は…?というと、バカヤロー!!

「謎の男」ごときが史実補正に敵うかってんだ!!

 

 

というわけで、今回も気になった所をリストアップしてみたいと思います。

 

 

◆宣孝まさかの本筋プロポーズ大作戦

 

「都に戻ってこい。わしの妻になれ。戯れではない」

「あの宋人と海を渡ってみたとて、忘れ得ぬ人からは逃げられまい」
「忘れ得ぬ人と言われて、途端に心が揺らいだ。そうであろう」
「都人は心の内を顔には出さんが、おまえはいつも出ておる」
「愚かなところが笑えてよい。わしの心も和む」
「自分が思っている自分だけが自分ではないぞ。ありのままのおまえを丸ごと引き受ける。それができるのはわしだけだ。さすればおまえも楽になろう」

まひろ「忘れえぬ人がいてもよろしいのですか?」
宣孝「よい。それもおまえの一部だ。丸ごと引き受けるとは、そういうことだ」

 

 

宣孝さまのプロポーズ。

 

ワタクシは「宣孝、チャラっw」と、半ばニヤニヤと笑いながら見ていた…のです…が。

 

ネット記事によると「大人の余裕」「さすがの包容力」「惚れた」「しびれた」「カッコ良過ぎる」として、SNSで大評判だったそうで…。

 

あわわ…そそそそ、そうなんスね…(襟を正しつつ)

 

まひろがなんだかんだ言い返しているから、本筋に見せかけた寄り道…というギャグシーンやネタ扱いかと思っていた…んです。

 

周明のロマンス詐欺によるドタバタ劇をやりつつ、横道で宣孝との和歌のやり取りをして、次第に本筋へ…というシナリオにするのかと…。

 

これまでチャラ男として描かれてきた宣孝なんで、そういう目で見ちゃったわー。

 

恋愛・結婚・夫婦モノの機微、読み取るの苦手なんだよなぁ(^^;

 

ってか、宣孝はこの時期「近江守の娘」も同時に口説いてますから(『紫式部集』からすると、おそらく史実。為時も「年寄りだが未だに女にマメ」って言ってましたよねw)、紫式部ドラマとしては、本来はギャグシーンとして見るのが正しいんよ…と思うw

 

(つーか、宣孝と紫式部の和歌のやり取り、カットなん??三郎とは散々やっておいて??)

 

まぁ、しかし「これで宣孝の妻になる正史ルート行ける?大弐三位生まれる?」と心配はしていたので、順当に正史へと行ってくれるのは安心できて良きであります。

 

 

◆行きめぐり…

 

為時が越前巡回から帰って来て、三等官・大野国勝ともだいぶ馴染んだご様子。

これなら、安心して父を越前に置いてけぼりにできますな(言い方)

 

国勝がお盆を持っていて、何かと思ったら国府に届いたお手紙でした。

 

その中に、まひろのもとに届いた1通の報せ。

 

それは、遠くに離れた女友達・さわの訃報でした。

 


行きめぐり あふを松浦の鏡には
誰をかけつつ祈るとかしる

 

 

同封されていた和歌は『紫式部集』に収められている「筑紫の君」の和歌の1つですねー。

 

筑紫に 肥前といふところより 文おこせたるを
いとはるかなるところにて見けり その返ごとに

あひ見むと 思ふ心は松浦なる
鏡の神や 空に見るらむ


紫式部/紫式部集 18

 

(筑紫の肥前というところから手紙を送ってくれたのを、とても遠い所で読んだ。その返事に)あなたに会いたいと私が思い望む気持ちは、筑紫の松浦にご鎮座されている鏡明神さまも、きっと空からご覧になっていることでしょう…という和歌。

 

返し 又の年もてきたり

行きめぐり あふを松浦の鏡には
誰をかけつつ祈るとか知る


筑紫の君/紫式部集 19

 

(返事は翌年に頂いた)月日が巡れば再び会えますようにと、鏡明神に祈っております。これは誰のことを願かけしているか、ご存知でございますよね」…という「筑紫の君」からのお返事。

 

『紫式部集』では返事としてもらった和歌を、「辞世の句」のようにして受け取った…という演出にしているわけですね。

 

(いや、返事かもしれないですが…手紙を送った描写が無かっただけで…)

 

 

ちなみに『紫式部集』には、ほぼ「筑紫の君が詠んだもの」と明らかな和歌は「3つ」掲載されています(不確定なのは、もういくつか)

 

1つは以前にも取りあげましたが、せっかくなので、もう一度ご紹介。

 

越前雁行和歌旅情(関連)
https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-12854161959.html

 

行きめぐり 誰も都に かへる山
いつはたと聞く 程のはるけさ


筑紫の君/紫式部集 16

 

「行きめぐり」で始まるところが、今回の和歌と全く同じですな。

 

紫式部が越前に行った(もしくは行くと決まった)時に詠まれたようで、「かへる山(鹿蒜山)」「いつはた(五幡)」と、越前にある歌枕が詠み込まれています。

 

今回の和歌は紫式部から筑紫の君へ送った歌の返歌ですが、もとの和歌も返歌も「松浦」「鏡の神」と、肥前にある「鏡神社」が詠み込まれています。

 

 

こうやって、互いに関係のある土地の「歌枕」を詠み合うのが面白さを生み出し、できるのが教養である…というかんじがしますねー。

 

そして、残りのもう1つの「筑紫の君」の和歌は、こちらの贈答歌。

 

筑紫へゆく人のむすめの

西の海を 思ひやりつつ月見れば
ただに泣かるる ころにもあるかな


筑紫の君/紫式部集 6

 

(筑紫へ国司として下向する人の娘が送ってくれた和歌)筑紫へ向かって渡る西の海に思いを巡らせながら月を見ていると、わけもなく泣けてくるこの頃です…という「筑紫の君」からのお手紙。

 

紫式部は返事を詠んでいます。

 

返し

西へゆく 月のたよりに たまづさの
かき絶えめやは 雲の通ひ路


紫式部/紫式部集 7

 

(返歌)西へ行く月に託して往来する私たちの手紙(たまづさ=玉章=手紙)が絶えることなんてありましょうか。そんなことはあり得ない、雲の通い路ですよ…という和歌。

 

「お手紙書くから、もう泣かないで」という和歌ですけど、「雲の通い路」という言葉は、どことなく「あの世」と繋がっている感じがして。

 

「筑紫の君」が亡くなったと聞いた時、紫式部は「雲路」を詠み込んでいます。

 

 

遠き所へ行きにし人の亡くなりにけるを
親はらからなど帰り来て
悲しきこと言ひたるに

いづ方の 雲路と聞かば尋ねまし
列離れけむ 雁がゆくへを


紫式部/紫式部集 39

 

どちらの雲路を進んでますかと聞くことができたなら、訪ねて行きたいものです。親しい人々から離れて、飛び立ってしまった雁のようなあの友の行方を…という和歌。

 

だから、「これから絶やさず手紙を送りますよ。雲の通い路ですよ」って、何か意味深なかんじがするんですけど、どうなんでしょうかね…。

 

 

とまぁ、個人的な『紫式部集』のナゾは置いておいて…。

 

横から和歌を見て「お前に会いたかったのだなぁ」と、こぼす為時。

 

なんか他人事…?

あっさりし過ぎてません…?

あなたが看取った妾の娘ですよ?

(まぁ、他人っちゃ他人だけれども)

 

「さわ=筑紫の君」だと思っていたので、越前にいるうちにいなくなるかもな…と予想はしてましたが、本当にいなくなってみると、中々にショック。

 

もっと天真爛漫な綺麗な瞳を見たかったですの…。

 

 

◆大赦と不信と

 

病に倒れる女院さまこと詮子。

 

「伊周がそこに立って恐ろしい形相で私をにらんでいた…」

 

と、病弱な体質を(相変わらず)祟りや呪詛のせいにして、泣いておりました。

 

そこで、帝は「大赦」を決行。

伊周と隆家を都に召還するかどうかを「陣の定」にかけます。

 

俊賢「罪を赦すべきことであるのは明らかであるが、召還については勅諚によるべきである」

斉信「両人の罪は赦すべきだが、召還については明法博士に勘申させるべきである」

公任「罪を赦すべきだが、なお本所に留めるべきである」

実資「罪を赦すべきであるのは明らかであるが、召還については先例を調べるべきである」

道綱「…同じです」

公季「罪は赦すべきだが、召還については先例を尋ねるべきである」

顕光「両人の罪は赦すべきだが召還については勘申させるべきである」

 

天皇の御心のままに:1

本所に留める:1

明法博士に勘申させる:2

先例を調べて従う:3

 

この中では、公任の「本所に留めるべき」が毅然として目立っておりますな。

検非違使別当として捕縛したその人なので、厳しめの意見になっているんでしょうか。

 

あと、公季と顕光の苦渋の顔。

「中関白家」の没落後、娘を入内させ、でも寵愛はまだ得られていない2人ですからね…。伊周・隆家が戻ってくるのは、素直には喜べないんでしょうな。

 

そして、よくよく見ると、道綱がこの場の議論の方向を決めてしまっているようにも見えます(笑)

 

この議定により、一条天皇の御意向が決められます。

 

「大宰権帥・藤原伊周、出雲権守・藤原隆家の罪を赦し、すみやかに召還せよ」

 

ここで、一条天皇は道長に、ポロっと恨み言を言います。

 

「陳は愚かであった…。冷静さを欠き、伊周、隆家、そして中宮を追い詰めてしまった…今は悔いておる」

 

「あの時、そなたに止めて欲しかった」

 

「後に聞けば、伊周が其の方と母上を呪詛したと言うのは噂に過ぎず、矢も院に射かけたものではなく、車に当たっただけと言うではないか!」

 

「其の方は知っておったのか!?」

 

だんだんと声が大きく、強くなっていく一条天皇。

 

「そもそもは、院が何者かに射かけられた…とのことでございました」


冷静にこの場を躱す道長。

そこで、振り返ってみると、道長に思い当たる人物が。

 

「俺は斉信にしてやられたのかもしれん…」

「院のお体を狙うのと、車を狙うのとでは罪の重さが全く違う」

「それなのにあいつは…」

「斉信のほうが上手であった…」

 

事件の後、まっ先に道長のところへ駆け込んで、情報をもたらしたのは斉信。

その時、すでにバイアスがかけられていたのか…?

 

というわけで、その場面(第20話「望みの先に」)を見返してみると、こんなかんじ。

 

斉信「先程、一条邸で院が何者かに射かけられた」

道長「……………い、院が、い、射られたのか…!?」

斉信「そうだ」

道長「何故そこに院がおられたのだ!?」

斉信「院は我が妹・たけ子の元にお通いだった。そのお帰りの時」

道長「御命は?」

斉信「ご無事だ。お怪我はない」

斉信「ただ…院の従者が乱闘で2人死んだ」

道長「死人まで出たのか!?」

斉信「捕えた者は二条邸の武者であった」

斉信「武者たちを置いて馬で走り去った者は2人」

斉信「1人は伊周。もう1人は隆家やも」

道長「その2人が院の命を狙ったのか!?」

斉信「だとしたら、伊周と隆家は終わりだな」

道長「嬉しそうに申すな!!」

斉信「フッフッフ」

 

確かに「ご無事だ。お怪我はない」だけで「車に当たったから」とは言ってない。

わざと言わなかった?ミスリードしている風にも取れますかねw

 

(ということは、「車に当たった」とは道長も知らなかったわけで)

(しかし「院と知っていて射かけたこと」と「大元帥法」を執り行ったのは、おそらく事実なので…)

(あと、一条天皇「死人まで出ていたから怒った」ことをお忘れなのかな…)

 

その後、「伊周が女院と道長を呪詛した」と、実資から報告された場面では。

 

お上「女院と右大臣を呪詛するは、朕を呪詛すると同じ…」

お上「身内とて罪は罪。厳罰に処せ」

道長「お待ちくださ…」

お上「実資、すみやかに執り行え!」

実資「ははっ」

 

うーん、道長くん止めてましたねぇ…。

それを張り切っていたのは一条天皇のほうで…。

 

不意に深まり始める、一条天皇と道長の間の溝。

これは、今後が楽しみですねぇw

 

 

◆家隆カムバック

 

顕光「隆家が帰って来たそうではないか」

道綱「出雲から空でも飛んできたのか?」

顕光「普通なら20日はかかろう」

実資「不可解なり」

3人「「「不可解」」」

 

説明しよう!!

 

長徳2年5月1日、隆家は匿われていた(潜伏していた?)姉・定子の里宮で、検非違使により大人しく逮捕されました(ここは大河ドラマでも描かれておりましたね)

 

5月3日、「病気で出雲まで行けそうもない」という書簡を、実資を通じて奏上。

 

5月5日、出雲への送使である藤原陳泰(右衛門少尉。検非違使)の邸に入り、出雲へ出立。

 

ちなみに陳泰は、素性は分からないのですが、正暦元年(990年)に実資の娘(最初の妻との間の娘)が夭折した時に「陰陽道に詳しいから」と葬儀について相談しているので、実資と親しく、そして頼りにしている人物だったようです。

 

5月15日、先の意見が容れられて、「病が癒えるまでの間、但馬国に置かれる」ことが決定し、現地で逗留。

 

長徳3年3月25日(997年)、伊周と隆家は「恩赦」により赦免となります。

 

4月5日、「陣の定」を得て、2人は京に召還されることが決定(これが先の「陣の定」かな)

 

『小右記』によれば、一条天皇は隆家に対し、出雲まで迎えを差し向けたようです(伊周については不明。ただ、定子が使いを派遣しているみたい)

 

4月21日、隆家が都に到着。

 

というわけで、隆家がこんなにも早く入京したのは、「出雲」よりずっと手前の「但馬」に逗留していたから…なんですねーw

 

 

ということは、不可解なのはむしろ顕光・道綱・実資の3人。

 

「病を理由に但馬に留まっていた」なんて上流貴族ならみんな知っているでしょうに、なんで知らないフリしてるんだろう?1年も前の頃だから忘れた??

 

というか、その手配をしたのは実資じゃないですか…。

実資なら忘れそうもないんですが…。

 

あの「出雲のシジミ」もどういう意味が…。

アリバイ工作っぽく出してましたけど…。

 

 

◆謎の男・周明のポンコツぶり

 

前回、まひろに取り入って左大臣に手紙を書かせる!というミッションを勝手に背負った周明。

 

しかし…かなりのポンコツぶり(^^;

 

会話の「一緒に宋へ行こう」までのスパンが性急過ぎるんよ…。

 

ここで怪しまれるから、抱き着いた時に「あなたは私を好いてはいない。利用しようとしているだけ」と簡単に見抜かれるんよ…。

 

逆ギレして瀬戸物の欠片で喉元を切るぞと脅すのは自分の退路も断っていてサイアクなんよ…。

 

これは「宋に憧れている まひろ」を完全にナメていたのが原因ですかね。

 

「お前をコロして自分も死ぬ」

 

脅しのつもりで言ったはずが…

 

「『死』という言葉をみだりに使わないで」

「私は母を目の前で殺されるのを見た…友も虫けらのように殺された」

「周明だって海に捨てられて命の瀬戸際を生き抜いたのでしょう?」

「気安く死ぬなど言わないで!」


まひろの地雷だなんて思いも寄らなかったろうな(笑)

「言っておくが宋はお前が思い描いているような国ではない」
「宋は日本を見下している。日本人など歯牙にもかけておらぬ」
「民に等しく機会を与える国などこの世の何処にもないのだ」
「つまらぬ夢など持つな」

捨て台詞を吐いて、まひろの前から姿を消す周明。

これ、まひろの夢を砕くようでいて、本当は「かつての周明が持っていて砕けた夢」もしくは「そんなものは無いと骨身に染みた絶望」だったのかな…と思いました。

 

その後、語学勉強のノートを焼こうとして、焼けなかったまひろ。

 

スキルは自分を裏切らないよ。裏切るのは時代と政治だけ。

 

そこは思い止まって良かったな。
 

その後、周明が失敗を謝った時、怒るでもなく、失望を露わにするでもなく、「そうか、残念だったな」みたいな態度で出迎えてくれた朱仁聡。

 

「お前の心の中からは消え去るとよいな」

 

まるで父のような温かい言葉をかけてくれる朱仁聡。

 

もう、2人で羊を焼いて語り合いながら食べてほしい(;w;

 

 

◆職御曹司の再会

 

「中宮を内裏に呼び戻します」


一条天皇、ついに咆える。
 

「娘の顔も見ず、中宮にも会わずにこのまま生き続けることはできません」

 

公卿たちの支持を失っても、内裏に波風が立っても、覚悟の上。

 

「これは私の最初で最後のわがままである」

 

一条天皇、儚げでいて、大人しそうでいて、こういう我の強さが秘められているのよな…。

 

詮子の子であること、兼家の孫であること、忘れちゃいけないよね(笑)

 

「道長、お上の望みを叶えてさしあげてよ」

 

詮子からも後押しされて、もはや退くことはできなくなった道長は、行成に意見を求めます。

 

「では…職御曹司ならどうでしょう?」

 

これが妙案となって、お上と定子は「職御曹司(しきのみぞうし)」で再会を果たすことに。

 

 

「職御曹司」。中宮たちの家政を執り仕切る「中宮職」のオフィス。

「内裏」の東門「建春門」から出て北へ向かうと、すぐにあるお役所。

 

近いようでいて、帝がおわす「清涼殿」(内裏の真ん中あたり)からは、決して近くはない。

 

『光る君へ』に登場するのは2回目かな。

 

前回は、道隆が詮子を「職御曹司」へ移して「内裏の外へ遠ざける」時に登場。

(第15話「おごれる者たち」)

 

今回は、内裏に入れない定子を、天皇に近づけるために登場。

 

なんだか悲しい場所だね、「職御曹司」って…。

 

ちなみに、清少納言は『枕草子』の「職御曹司におはしますころ 木立など」で、「職御曹司」の印象を、こんなかんじで語っています。

 

職御曹司におはしますころ 木立などの遥かにものり 屋のさまも高うけ遠けれど すずろにをかしうおぼゆ 母屋は鬼ありとて 南へ隔て出だして 南の廂に御帳みちょう立てて 又廂に女房はさぶらふ

 

「職御曹司」に中宮さまがいらっしゃった頃、木立などが遥かに古い色合いで、建物も天井が高くて親しみにくい感じだけれど、なんだか面白く感じてしまった。母屋には鬼が住み着いているそうで、そこは閉鎖することにして、南廂に御帳台を立てて、女房たちは控えている…と語っています。

 

そういえば、詮子が「職御曹司」から「東三条第」へ移御したのも「鬼が出たから」だったなぁ…とともに気になるのが「天井が高い(屋のさまも高うけ)」

 

そうなんです??と、この個所を読んだ時から「ほほう?」なかんじだったのですが、『光る君へ』の再現VTRを確認して見ると…

 

 

確かに天井高そう…かな?(笑)

 

(こんな箇所を気になっているようなヒマな人、ワタクシくらいで他にいないでしょうけれど…仕方ないじゃん気になったんだから!!)

 

 

というわけで、今回は以上。

 

 

 

タイトルの「忘れえぬ人」って、


「まひろにとっての道長」

「宣孝にとっての まひろ」

「周明にとっての まひろ」

「まひろにとっての さわ」

「詮子(朝廷)にとっての伊周と隆家」

「一条天皇にとっての定子」

「まひろにとっての宣孝」←New

 

というあたりだったのでしょうか…?

(顕光・道綱・実資の3人は、隆家のことを忘れていたようですがw)

 

「よい。それもおまえの一部だ。丸ごと引き受けるとは、そういうことだ」

 

これができたのは、宣孝と一条天皇…だけだったりします?

 

 

直秀「一緒に行こう」

道長「一緒に行こう」

周明「一緒に行こう」

 

これらを全部断った上で

 

宣孝「都で待っておる」

 

これには乗るまひろ。

 

微妙過ぎるのだけれど、山や谷ほどの違いがある…んでしょうか(^^;

 

 

第24話「忘れえぬ人」の初放送は、2024年6月16日の日曜日、奇しくも「父の日」。

 

父の日に、宣孝との結婚話が主軸になるストーリーを持ってきた、シナリオ構成の意図や如何に…?

 

父・為時は娘が求婚されたことを聞いてギックリ腰になり、散々な父の日になってしまいましたがw

 

 

 


野村麻純さんInstagramより
さわ、もっと見たかったな~。
1話から出て欲しかった…!
父も連れて来てほしかった!(これも重大)

 

 

 

【関連】

 

大河ドラマ『光る君へ』放送回まとめ
https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-12837757226.html