大河ドラマ『光る君へ』第20話「望みの先に」見ましたー。

 

 

長徳2年(996年)、ついに起きてしまった「長徳の変」。

 

1月16日、隆家が花山院の衣の袖を射抜く「花山法皇奉射事件」が発生。その近日中に禁中では知れ渡り、伊周の円座が撤せられています。

 

2月5日、「伊周の家司が精兵を隠している」との噂。菅原董宣・源致光らと関係者宅に検非違使の家宅捜検が入り、逃げようとした武装兵を拘束。

 

2月11日、「陣の定」が開催。頭中将・藤原斉信が杖議に出て「伊周・隆家の罪名を勘申せよ」という一条天皇の勅命を下し、公卿たちは「ついに来たか」と嘆声を挙げたと言います。

 

3月4日、中宮定子が妊娠出産のため、宮中から退出して二条邸に移住。

 

3月27日、東三条院詮子の病が重くなったことが、呪詛によるものだった…という噂が拡散。

 

4月1日、伊周が伏見「法琳寺」で、宮中以外での施行が禁じられている密教の大修法「大元帥法」を行なわせているとの密告があり、伊周の重罪は避けられない事態となりました。

 

4月24日、諸門が閉じられる厳戒態勢の中、召集を受けた公卿が参内。伊周を大宰権帥に、隆家を出雲権守に左遷すると発表。罪状は、

 

  1. 花山法皇を射たこと
  2. 東三条院を呪詛したこと
  3. 大元帥法をおこなったこと

 

検非違使が二条邸を包囲。惟宗允亮は邸内入って宣命を読み上げ、伊周に出て来るように促しますが、病を理由に退出を拒否。

 

中宮がいるので検非違使には手出しができず、時間だけが過ぎ去っていきます。内は悲嘆に泣く声、外は軍勢とやじ馬で、すごいことになっていたそう。

 

5月1日、強行捜索の宣旨が下り、まずは用意した車に中宮を迎え入れてから、検非違使突入。中納言隆家以下みな確保。しかし、伊周は前夜に脱出。

 

中宮定子は悲嘆に耐えず、自分で髪を切って出家。

 

…という流れ。

 

 

伊周と隆家が花山院を射奉り、その従者を2人殺害した…という驚愕の報せ。

 

一条天皇は「官人の綱紀粛正、高貴な者の従者たちの乱暴を禁ずる旨、厳命したばかりだというのに、こともあろうに院に矢を放ち、死者まで出すとは、許しがたし!」と大激怒。

 

一条天皇、優柔不断な優男に見せかけて、こういう一本気な所もあるんですよねー。

 

これを「兼家の孫」「詮子の子」「円融帝の子」「安子の孫」「後三条の祖父」いずれの血と見るかは、趣味が分かれるところ(笑)

 

心強い帝ではあるんですが、そういう面が後に定子を曖昧な境遇に置いてしまうことにも…。

 

風雲急を告げるスタートを切った第20話、いつものように気になった所を挙げていいきたいと思いますw

 

 

◆淡路よいとこ一度はおいで(来ないけど)

 

1月25日の「春の除目」で、まひろの父・為時の「淡路守」の勅が下ります。

 

「夢のようだ」と驚きと喜びを隠せない為時。

歴史物語が伝える為時と違って、欲がありません(笑)

 

惟規も「淡路は下国だけど、魚は美味しいし、冬は暖かそうだし」と、下げて上げる論法で祝福しますw

 

でも、このシーンのBGMが、なんか中華風なんよ…このあと宋と関わりが深い場所と国替えになりますよとネタバレしているかのよう(笑)

 

そういえば、第14話「星落ちてなお」で、伊周の邸に淡路国守から「鯛」が届いて、「淡路は下国ゆえ、はやく替えてくれと言いたいのだろう」とつぶやくシーンがありましたけど、あの伏線回収っぽいのはなし…かな?(単に「淡路は下国」という情報呈示なだけ?)

 

夜、宣孝を招いて祝宴を開くと、為時は真っ先に酔いつぶれ、まひろが宣孝に酌をしながら、父の若い頃の話を聞きます。

 

「ある日、宣孝殿の姿が見えなくなって大騒ぎになったが、やがてボロボロで帰って来た。聞いた話では、宋の国に渡りたいと船に潜入したのが見つかって、身ぐるみ剥がされて海に捨てられたそうだ」

 

それ何て吉田松陰?(笑)まぁ、松陰は送り返された上に自首してるんですけど…。

 

「えっ、あの父上が!?意外過ぎる…」

「そういったところは、まひろが一番受け継いでいるではないか」

「や…お戯れを…も~」

 

なんかもう、夫婦…?とか思ってしまうような仲睦まじさ。

そして、お約束のように実は寝てなかった為時w

 

伏線は、これくらい分かりやすい方がワタクシは好きです(笑)


 

◆まひろの意地

 

行成が蔵人頭として、道長に申文を持ってくるシーン。

 

「多いな…」という道長に、「もしお許しいただけるなら、私が目を通して重要そうなものを選んでお持ちしますが」と行成が言うと、「いや、いい」全部ちゃんと見ると言った道長に、「さすがでございます」とばかりに笑顔になる行成。

 

そうです、そうです、そうです。

こういうの、こういうの、こーーーいうのを、もっとください。

 

夕刻頃(本当にご苦労様です…)、その中に「為時」の名を認め、思わず真顔になってしまう道長。

 

「帝が父上の才を知っていたら越前守にしてもらえたのに…」というまひろに、宣孝が「決まった後でまた変わることも、ないわけじゃない。やってみるのも手だぞ」と助言。

 

まひろは漢文を作って「申文」として勝手に上奏していたのでした。

 

苦学寒夜

紅涙霑袖

除目春朝

蒼天在眼

苦学の寒夜(寒い夜に耐えて勉学に励んでいたが)

紅涙こうるいそでうるお(思い通りにならず、血の涙を流して袖を濡らしている)

除目の春朝しゅんちょう(除目があった春の朝には)

蒼天そうてんまなこ(青く澄み渡った空が眼に浮かんでいるだろう)

 

これを読んだ一条天皇は「漢学に優れている者が越前に行くべきだ」と確信し、道長は「これは、まひろが書いたものだろう」と確信する。

 

ダブル確信を招いた漢文ですねw

 

(よく知られている通り、為時が書いたことにしても良かったと思うんですが、でも「淡路」で満足していると書かないか…)

 

(あるいは、これが道長の手に渡ることが何かの布石になっている?)

 

(そして、前回「為時の娘」に会っているのに、一条天皇からそのあたりの発言無し)

 

「従五位下」を受け晴れて「貴族」となり、除目では「下国守」に任ぜられ、その3日後には急遽「大国守」へ国替えとなる、右大臣の「はからい」。

 

その度が過ぎることを、為時は受ける覚悟は決めつつも、その背景を知らないままでは越前には行けないと、まひろに説明を求めます。

 

「道長さまは、かつて私が好いた殿御でございました」

「一緒に遠くの国へ行こうと言いあったこともございました」

「しかし、すべては終わった話です」

 

すべては終わった話です…と娘に言われても、為時の眉間は晴れ晴れとしません。

 

あの「悲田院」からの一夜のことを思えば、道長が「終わったこと」と思っていないことは明らかで…

 

でも、娘が「諦めてしまった」理由も、きっと分かったのでしょうね。

 

「私もお供致します」という、まひろの申し出を、にこやかに受け取って、いよいよ「越前編ルート」の火蓋が切って落とされたのでした。

 

 

…で終われば綺麗なスタートだったんですが、ききょうに誘われて庶民の格好して屋敷に潜入、そして木の枝を持って擬態するアレが続いてますからね^^;

 

 

◆倫子の意地

 

元来病弱な詮子が重い病に寝込んでいると、邸から「厭魅」の証拠がポコポコ見つかって「誰かが詮子を呪詛しようとしていた」あな恐ろしやな事態が発覚した…という「詮子呪詛事件」。

 

SNSでは「詮子が自作自演し、倫子がそれを察知して何らかの形で加わっている」という予想が大半を占めておりました。

 

まぁ、そうでしょうねーと。ワタクシも同意。

 

伊周が謹慎中の身ながら「呪詛はしていない!」と道長に焦って弁明に来るくらいですから、伊周はシロなんでしょう(もっとも、前回伊周が道長に「呪詛を疑った」ことが伏線になっているので、やや身から出たサビ感はあります)

 

あんなに「伊周を厳罰に」と望んでいるのに、そうなりそうもないと分かった詮子なら、やりかねないのもあり(笑)

 

後に「誰が呪詛したのだろうか」という道長に、晴明が「そのようなことは、もうどうでもよいと存じます」と答えているのは、誰なのか察しがついている(=詮子の自作自演だろうと気付いている?)口調で、視聴者に「そういうことでしたー」とネタバレ的な意味もあったのかなぁ…と思います。

 

あれが演技だとしたら詮子も大したもんだと思うのですが、仮病で敵味方全部騙して道兼を花山天皇の懐深くに潜り込ませた、「あの兼家の娘ならやりかねん…!」という信用(不信感?)が納得させてくれますw

 

問題は、倫子がどのように関わっているのか?

 

詮子の「倫子はよく出来た妻だがいささか口が軽い」には、「口が軽い役割を演じよ」の示唆が含まれていたかどうか…?(意味ありげな倫子の表情がね…)

 

倫子の「悪しき気が漂っておる。調べよ」の号令の元、捜索を開始すると、厭魅の札がたくさん出てきて、事件が発覚するという、事件を起こしたのが倫子だったあたりにも「協力者」の影がチラチラと見えます。

 

ただ…その後の道長と倫子の会話。

 

道長「まさかこの屋敷に伊周の息のかかった者がおるということか?」

倫子「殿、このことは私にお任せいただけませんでしょうか」

倫子「屋敷内で起きたことは、私が責めを負うべきでございます。此度の事、私が収めとうございます」

道長「されど、女院を呪詛するは、帝を呪詛するに等しいのだぞ」

倫子「それゆえに、間違いがあってはなりません。私にお預けくださいませ」

 

ここで「あっ」と、姉が「自作自演」で「伊周から呪詛された」を演じて蠢動していることに気づき、すべて任せることにした道長。

 

倫子は「自作自演が外に漏れないよう、屋敷の中だけで留める」ために手を回した…と思っていたんですが…。

 

しかし、呪詛の話は実資の掴むところとなり、一条天皇に奏上されて、道長は焦ることになってしまっています。

 

倫子が失敗したのか?それとも、詮子が実資に手を回したのか?

 

もう一度台詞を吟味してみると、倫子の一連の台詞の中でのポイントは「それゆえに」の部分なのではなかろうか。

 

「それゆえに」が差しているのは、「女院を呪詛するは、帝を呪詛するに等しいのだぞ」と道長が倫子に語り掛けている部分。

 

つまり、このまま放置してしまうと「女院を呪詛するは、帝を呪詛するに等しいのだぞ」と道長が公の場で言ってしまうことになりかねません。

 

もしも言ってしまった後で、詮子の「自作自演」が何らかの形でバレてしまったら、道長もブーメランを喰らってしまうことになりかねません。


だから、「女院を呪詛するは、帝を呪詛するに等しい」と御前や陣の座で言わないようにしてくださいね…これは私が全て収めますから、まつりごとに専念なさってくださいね…の意味だと、ワタクシは思いました。

 

詮子の策に乗って「伊周が呪詛した」の噂は世間に漏らしつつ、もしも「詮子の自作自演」だとバレても、道長は安全な場所に隔離できているので大丈夫…という寸法。

 

ここんところ、むかしの倫子の「よくできた女主人」ぶりが全く消え去っていたのですが、ここに来て久々に見られたな…というかんじがいたしましたねw

 

 

◆大元帥法

 

「長徳の変」における、伊周の3つの罪。

 

「花山院に矢を射かけた」「詮子を呪詛した」そして最後の「大元帥法を禁を破って行った」が、実資によって「証言もあります」と報告されました。

 

「大元帥」というのは、「一面六臂」で「大怒印」を結び、宝剣・宝棒・宝戟・鉞斧・金剛杵を持ち、ヘビがぐるぐると体を巻いて「忿怒相」をしているという、恐ろし気な姿をした明王様のこと。

 

その「大元帥明王」を本尊に立てて「国家安泰」「国土防衛」「敵国降伏」「逆臣調伏」を祈祷する、密教秘伝の大修法で、古くは「平将門の乱」「藤原純友の乱」の時に、鎮圧を祈願して用いられております。

 

「敵国降伏」「逆臣調伏」を含むがゆえに、家臣が執り行うことは許されておりませんでした…もし行えば「政情不安(政敵への敵意表明)」、最悪の場合「謀反(天皇への敵意表明)」の意味になりますからね…。

 

「大元帥法」が日本に伝わったのは承和7年(840年)。留学僧の「常暁」が帰国後、故郷である宇治に「法琳寺」を構え、「大元帥法」の修行道場にすることを申し出て、許可されたといいます。

 

 

実資が言っていた「宇治の王琳寺で…」というのは、その発祥の地でやらかした…という意味になりますね。

 

ちなみに、奈良の「秋篠寺」でも「大元帥法」は伝えられていて、これは常暁が「秋篠寺」に参篭した時、井戸の水面に「大元帥明王」が映ったのが見え、入唐して会得したいと思い立つきっかけになったからだ…と言われています。

 

しかし、「大元帥明王像」は秘仏で、毎年1回しか御開帳されず…。

ワタクシも1回、行ったことがあるんですが、時期外れでこちらの秘仏を拝むことはかないませんでした…残念。

 

でも「伎芸天像」に会いに行くのも悪くない…と、ワタクシは思います。雰囲気も抜群なお寺なので、是非見に行ってみてくださいねー。

 

MYお気に入りの仏像ベスト10(前編)(関連)
https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-11364406794.html

 

(話がすげー脱線したな・汗)

 

 

◆定子の意地

 

冴え冴えとした月明かりの中、定子は一条天皇に会いに行き、情けをかけてくれるよう、土下座してお願いせざるを得ませんでした。

 

あんなに対等で仲睦まじかったのに、へりくだるしかない所まで追い込まれた定子…。悲し過ぎる…。

 

「どうか、我が兄弟にお慈悲を、お願い申し上げます」

 

立ち尽くす一条天皇。言葉にならない葛藤。

 

 

その気持ちを察し、叶わぬと悟った定子は、情けにすがるのをやめ、立ち去りました。

 

「下がります。……お健やかに」

 

天皇・中宮の悲しい別れ(永遠ではないけれど)。

 

最愛の帝に、自分のみじめな姿を見せず、美しい姿だけを残して去っていく。

 

誇り高さが見えますなー。

 

 

◆中関白家の最後

 

本当は、定子は「妊娠」のために宮中を退下し、里第に下がって来たんですけど、そうした説明が一言もなかったんです。

 

むしろ「兄弟が罪を犯したので追放された」みたいなナレで、これって何事??

 

…もしかして1人目の皇女様はなかったことにされる??彼女の誕生により「恩赦」が出て、伊周は赦されるのだから、そんなことないよね(あんなに「皇子を産め」と言っていたのは、その伏線だという期待もしてるんですが)

 

そして、宮中からいきなり二条北宮へ…「職御曹司」への移御や惟仲と俊賢だけが供奉したという男気行進もなし(知ってた)

 

「大宰府なぞ行かぬ!!」と往生際が悪い伊周に対して、「もう諦めましょうよ」と腹を括っている様子の隆家。

 

謹慎中の身ながら道長に面会を求めて「弟の分の責めは私が負う」と男気を見せていた伊周は何だったのか…。

 

やがて、惟宗允亮が宣命を読みあげ、検非違使別当・藤原実資が姿を見せて家宅捜索が始まります。

 

この時、思ったんですけど、実資の信頼感ってバツグンですね…「絶対に手荒なことや、中関白家を貶めるようなことはしない」って、思えましたw

 

「母上、姉上、お健やかに」悲しそうながらも爽やかな笑顔を見せて、隆家は自首。伊周は姿をくらましてしまいます。

 

そして、ついに、定子にその時が。

 

兵士の隙を見て、腰から下げている刀(脇差?)を取りあげると、「寄るな!」と威圧。

 

平安時代女性の象徴である美しい自分の髪を一房、切り落としたのでした。

 

信じられない光景に、貴子、実資、允亮たちの時間が止まりーーーーー次回へ続く。

 

 

というわけで、今回は以上。

 

 

「長徳の変」と「為時の任官」は、歴史の偶然ながら時期が重なっていて、『光る君へ』放送前から「どう絡めるのかな…」と思っておりましたが、そんなに絡むことはなかったですかね(もちろん、ぜんぜん絡めなくてもいいんですけども)

 

まひろの書いた漢文を、道長が土御門邸に持ち込み、それを倫子に見られたフシがあった…くらい??

 

倫子、うまいこと道長から「屋敷中を探す許可」を得ていますし、これが後の何かの伏線になるかどうか…幸い、まひろは越前に行っちゃいますしねw

 

 

ところで、「長徳の変」は「敗者が100パーセント悪い」「勝者は微塵も悪くない(棚ぼた)」と言う珍しい政変。

 

一連の出来事を振り返ると、一番サイアクだったのは「花山院を射たこと」や「呪詛や大元帥法に手を出したと噂された」ことよりも、「定子の出家」←これです。

 

これさえなければ、この後で「中関白家」が凋落していくことを歯止めできた可能性、そして勢力を挽回できた可能性は、だいぶあったと思います。

 

定子が出家(=世捨て)したばっかりに、道長が外戚になる隙を生じてしまい、一条天皇にも無理をかけ、天皇を通じて定子が「中関白家」をバックアップできる道も閉ざされてしまいました。

 

まして、責めを負うべきは伊周と隆家だけであり、定子は謹慎は喰らったかもしれませんが、髪を下ろす必要なんて、ほぼありませんでした。

 

どうして定子は出家してしまったのか?

 

それは、目の前で兄弟が罪人としてしょっ引かれていくのを見たショック。

 

頼りにしていた伊周と隆家が罪人となり、扉を破り床を剥ぎ天井を打ち壊す暴力的な捜索を受けて、連行される。しかも兄は、恥も外聞もなく逃げおおせる。

 

その一部始終を目の前でやられて、名声が地に落ちた失望と、未来が見えない絶望と、帝への贖罪の念に苛まれてしまったのでした。

 

この時、もしもまだ宮中にいたなら、現場を目撃することはなかったでしょう。

だから、出産のために里第に退下していた、そのタイミングが悪かった。

 

…と思います?違いますよね。

 

伊周・隆家の兄弟が定子の里第に逃げ込み匿ってもらった。←これが全ての元凶。

 

これさえなかったら、定子が落飾することはなかったのかもしれない。

 

確かに「匿ってもらう」のに「中宮のお膝元」を選ぶというのは、抜群に威力のある場所選び。しかし、「定子」自身に何かあったら、勝負そのものが終わりなんですよ…。

 

 

タイトルの「玉飛接近すべからず」とは、将棋を由来とする格言の1つ。

 

意味は「玉と飛車は近くに置いてはいけない」という定石を表しています。

 

「飛車」は、その機動力と攻撃力から強い駒の1つに数えられますが、争奪を狙われ、そして攻撃の要となっていくので意外と守備には弱く、そのため飛車の近くは激戦地帯になりやすいのだそう。

 

そんな「飛車」の近くに「玉」を置いたら、詰みになったり、余計な駒を失ったりしてしまう不測の事態が多く招かれてしまいます。

 

だから、「玉」の近くに「飛車」を置いちゃダメ。

 

これを中関白家に例えるなら、「玉」は定子で、伊周は「飛車」。

 

伊周…政治的にキミをつけ狙う目はゴマンといて、キミの周囲は激戦区だったでしょうに…。

それなのに、定子に近寄ってしまった…ゆえに「玉」を詰ませ、取り返しの無いことになってしまった…。

 

将棋は玉を取られたら終わりでしょうに。

伊周、ここは「玉飛接近すべからず」でしたね。

 

伊周・隆家の兄弟が、定子の里第に逃げ込んだ。

 

これだけは本当に「何やらかしてくれとるんじゃ!!」って、思ってしまうのですよねぇ…。

 

 

(「詮子呪詛事件」で倫子がとった行動が、ワタクシの解釈通り「スキャンダルから道長だけは守るため」だとしたら、「スキャンダルに中宮を巻き込んでしまった」伊周たちと対比になっている…とも言えそう?)

 

(もしも道隆が生きていたら、どういう対処をしていたんでしょうか…ワタクシには、少なくとも定子だけは守ろうとしただろうな…って謎の信頼がありますが…)

 

 

 

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