『光る君へ』第10話「月夜の陰謀」見ましたー。
平成のトレンディドラマだったら最終回で爆発する、熱い抱擁と烈しい口づけ。
それを序盤の終わりに持ってきた、令和の平安大河ドラマ。
ラブストーリーの結末は、ハッピーエンドとは限らない…ということ?
満月の夜は「神秘」と「不安」が同居する運命の途切れ目。
それは次へと突き進む豊かさにつながるエネルギー。
…と、タロット18番「月」のアルカナが指し示すところですが、さて…。
◆言葉攻め
日曜夜8時から言葉攻め+αをやるなんて、NHKさんったらなんて大胆(何)
まひろと道長による恋文の応酬。
道長は和歌で強く強く引き寄せ、まひろは漢詩で堅く堅くいなす。
「逢瀬を重ねる爛熟な恋の」というよりは、「丁々発止」といった趣がありました。
「歌は要らぬ」といっていた純真な道長くんは、今やすっかり飢えた狼に…恋は渾沌の隷なり。
例によってワタクシ和歌はサッパリなので、2人で何をやっていたのかよく分からなかったのですが(笑)、考えてみると、これって文を届けている下人とて同じことですよね。
もしも文を運んでいる途中に下人がこっそり読んでみても、教養がないと、なんのこっちゃー分からんわけで(文字が読めるかどうかも先にありますが)
和歌の交換というのは、読み手と受け手にしか分からない暗号文という意味合いもあったんでしょうかね。もちろん、運び手だけでなく、受け手を試す意図もある暗号文。
で、分からんままというのもアレなので、SNSでかき集めた情報を整理すると、道長が送った和歌は、まひろが気づいていたように3つとも『古今和歌集』から引用していたようです。
思ふには 忍ぶることにぞ負けにける
色にはいでじと 思ひしものを
よみ人しらず/古今集 恋 503
あの人を思う気持ち。それを堪え忍ぶ心が負けてしまいました。表には出したくないと思っていたのに。
死ぬる命 生きもやすると こころみに
玉の緒ばかり あはむと言はなむ
藤原興風/古今集 恋 568
死にそうな私の命。それが生き返らないかと試したいのです。そのためにわずかな間だけでも逢おうと言ってほしい。
命やは 何ぞは露のあだものを
逢ふにし換へば をしからなくに
紀友則/古今集 恋 615
命なんて何になりましょう。それは露のようにはかないもの。だからあなたと逢うことと交換しても、ちっとも惜しくはないのです。
1通目は「よみ人しらず」ですが、2通目と3通目は、どちらも『百人一首』の詠み人ですねー。
※藤原興風…34番「たれをかも 知る人にせむ高砂の 松も昔の友ならなくに」(古今集 雑 909)
※紀友則…33番「ひさかたの 光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ」(古今集 春 84)
一方の、まひろからの返しは、「陶淵明の詩か…」という道長のつぶやきもあって、ワタクシにもピンと来ましたw
陶淵明といえば「帰去来辞(ききょらいのじ)」!
いざ帰りなん!!
『帰去来辞』陶淵明
歸去来兮
田園將蕪胡不歸
既自以心爲形役
奚惆悵而獨悲
悟已往之不諫
知来者之可追
實迷途其未遠
覺今是而昨非
舟遙遙以輕颺
風飄飄而吹衣
問征夫以前路
恨晨光之熹微
帰りなんいざ(さあ、帰ろう)
田園
既に自ら心を以て
来者の追ふ
今の
舟は
風は
陶淵明は東晋(317年~420年。ほぼ三国志の後の時代)末期の詩人で、田舎の詩をたくさん詠んでいることから「田園詩人」と呼ばれています。
「帰去来辞」は、公務員生活に嫌気がさした淵明が、「もう田舎に帰ろう」と決意した時の詩。
で、まひろ。道長の1通目には3~4句、2通目には5~6句、3通目には7~8句を引用して返していたそうで。
ワタクシが覚えていたのは1~2句目だけで、あとはぼんやりだったので、「え、陶淵明ってことは、これ帰去来辞?」と思ってSNSで情報を探ったら「やっぱり!」となったのですが、それどころか道長の3通すべてに「帰去来辞」を3句目から順番に返しているだけだった…とは!?思いもしませんでした…あまりのすごさに唖然としました。
しかし、これで対話になっているのかなぁと、会話調に書き替えて検証してみると。
道長1「君に逢いたい気持ち。もう抑えられない」
まひろ「自分で求めて心を使役していませんか…それに苦しんでいるんです」
道長2「もう限界なんだ。まだ自分を取り戻せるか、逢って確かめたいんだ」
まひろ「過ぎ去ったことは、もう悔やんでも仕方ありません。前を向くべきと、貴方も分かっているはずです」
道長3「これからのことなんて、君と逢うことに比べたら、大したことではないんだ」
まひろ「誤った道に入ろうとしています。でも、まだ取り戻せます。今が正しい道なんです」
うん、対話になっているような気がします。
同じ作品を、前から順に引用しているだけなのに、対話になっている。
これは、まひろがすごいのか、道長がすごいのか、偶然(?)がすごいのか。
まひろ堅実に道長を振っているな…と思ったんですが、道長の「自分を取り戻せるか確かめたい」と、まひろの「過ぎ去ったこと」って、直秀の最期のことを言っているんですかね…?
そうだとしたら、引きずっている道長と、吹っ切れた まひろ、相手のことが見えているがゆえの直秀の「一緒に行くわけないよな」と、自分しか見えていない道長の「ぜんぶ捨てて一緒に行こう」の、2つの対比になっていそうですねー。
しかし、まひろがやっていたことを理解した上でこのシーンを顧みると、道長からすれば「逢いたい」「恋しい」と伝えているのに、「帰去来辞」が2句ずつ順番に返って来るだけという、謎な展開になっているわけですね(笑)
まひろの返しの意味不明さに悩んでいた道長は、行成に意見を求めると、今回のMVPに選んでもいいくらいの金言が飛び出しました。
「そもそも、和歌は人の心を見るもの聞くものに託して言葉で表しています。翻って、漢詩は志を言葉に表しています」
「つまり漢詩を送るということは、送り手は何らかの志を詩に託しているのではないでしょうか」
「やまとうたは人の心を種としてよろづの言の葉とぞなれりける」という、紀貫之の『古今和歌集』仮名序を用いた、正鵠を射る的確なアドバイス。
では、「帰去来辞」の志とは何か?それは「もうやめよう。やり直そう。今からでも遅くない」ということ。
「まひろは、終わりにしようとしている」と気づく。そこで、自分も「志」を「漢文」に託す。「我亦欲相見君(我また君に相まみえんと欲す)」
この構成、いいですねw
そしてこれ、行成に聞いているのがポイントですよね!公任や斉信だったら、きっとおちょくった答えが返って来ていたと思う(馬に蹴られてしまえw)。行成もっと注目されて欲しい!
こうして、おそらくは最初で最後の「秘密の逢瀬」に辿りついた2人ですが、その先の展開はというと…。
舟遙遙以輕颺 風飄飄而吹衣
問征夫以前路 恨晨光之熹微
ゆらゆらと波間に軽く揺れて、風は舞い上がり衣を吹き抜ける。先行く者に道程を聞いてみるが、朝の光が弱々しくて先がぼんやり見えないのが恨めしい。
「帰去来辞」の続きに連なっていくのでしょうか…?
◆光の戦士と闇の戦士と千里の軍師
安倍晴明の「卜占」で決行の日取りが決まり、東三条家で作戦会議。
地図を開き扇を片手に、子息たちに作戦を指図する兼家の姿は「謀を帷幕の中に運らし勝つことを千里の外に決す」まるで張良。
燈明に着物が輝いて活き活きとしている様子は、生まれながらの策略家の感がありました(というか、着物まじでキラキラしてなかった?)
道兼が、花山天皇を大内裏から連れ出して、「元慶寺」で引導を渡す。
道隆と道綱が、「剣璽」を懐仁親王のいる「藤壺」まで運ぶ。
もし誰かに見つかったら、道綱が始末する。
道長は、関白頼忠のもとへ「事変」を報せに走る役目。
事が成ったら「譲位があった」ことを報告。
事をしくじったら、関わっていなかったふりをして家の存続を守る。
こうして見ると、道隆と道長は「光」、道綱と道兼は「闇」。
4兄弟を完全に「光」と「闇」に分ける、冷静・冷酷な兼家は、ホンマに根っからの策略家だわ。
そうそう。話は変わりますが。
道隆と道綱が「剣璽」を携えているシーンで、「現在の『剣』は平安末期に平家とともに『壇ノ浦』に沈んだ後に造られた形代で、あの剣は沈む前の本物の剣なんですよね」というような言葉をSNSで見かけました。
これはちょっと違っていて。
あの神剣、実は「形代」にして「本物」なんです。
第10代・崇神天皇の時代(事実上の初代天皇とも言われています)。元々の神器(「元本」)は神気が強過ぎて健康に支障が出るということで、宮中から離して祀ろうということになりました。
そこで、「神剣」は「神鏡」と共に「形代」が造られています(なお、玉は「形代」が造られていません…「崇神天皇の頃にはまだなかった」とも言われています)。
「形代」は宮中に留め置かれますが、「元本」は天皇家の手元を離れたあと「伊勢神宮」に収められ、その後「神剣(元本)」だけは紆余曲折があって「熱田神宮」に移され、現在に至っています。
というわけで、「寛和の変」の時に道隆が携えていて、後世に「壇ノ浦」に沈んだ「神剣」は、宮中に留め置かれていた「形代」のほう。「元本」はずっと、熱田神宮にありました。
そして、神道の祭器は「形代」も「本物」。なので、あの神剣は「形代」にして「本物」だったのです(ただし「草薙剣」ではなかったりします…草薙のエピソードに使われたのは「元本」のほうだからです)
…という、ややこしい話を以前語ったことがあるので、リンクを紹介しますね。
流転の神器(再掲)
https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-12744391887.html
◆姉の影
為時が日ごろ通っているという「高倉の女」。それを見に行く まひろ。
「女は行動力」は善しとして、その先に修羅場があったらどうするんだ…。
「まひろ様は前面に『不遇の一条朝前半』、後背に『恋しくても身分差で恋せない道長様』と、2つの地獄を抱えておいでです!この上、家族の中にまで地獄をお作りになりますな!」(byキ○ヒアイス)
しかし、まひろが見たのは、浮気現場とは程遠い、弱った女性を介抱する父の姿だった…。
この女性って、『光る君へ』放送前から配役が発表されているのに、未だに登場していない「まひろの友人」さわの母親…?
「さわ」は、公式サイトの人物紹介によると…
まひろ(紫式部)の友人。父の藤原為時が世話をする女性の、以前の結婚で生まれた娘。愛情に飢えた、一風変わった娘で、まひろを慕い親しくなる。やがて父親の九州赴任についていくことになる。
この女性に娘がいたら、「為時が世話をする女性の連れ子」という設定がビンゴ。
そしてワタクシは、さわは「筑紫の君」だと考えています。
「筑紫の君」というのは、紫式部が「姉」と呼び親交があったという女性。正暦5年(994年)に父が肥後守に任ぜられ、一緒に任地へ下向した際に、別れの歌を紫式部と交わした…という人物。
もし合っていたら、この女性は「桓武平氏」の平維将の娘(ちなみに維将は、鎌倉北条氏や熊谷直実が、自分たちの祖だと称しています)
ただ、さわの人物紹介を見た時に「為時が世話している女性の娘」と「やがて父親の九州赴任についていく」が「為時が世話していた時、娘は何をしていたの?娘の父親は何処にいたの?」と矛盾が解決せず。
しかも、「筑紫の君」の母は為時の異母妹(姉?)なので、「妾」という設定が微妙にかみ合いませんし、まひろが知らないはずがないような…。為時も「身寄りがないから見捨てられない」と言っていたしねぇ(お前が身寄りだよってなります)
まだ登場していないのに謎を背負った女性なので、楽しみが募っております(笑)
続報を待つとしますかね。
◆在りし日の仁王立ち
花山天皇は女装して内裏を脱出。
天皇が秘密裏に御所から出る時は、女装がデフォルトなんですね。
『平清盛』の時も、二条天皇が「平治の乱」の時に女装して脱出に成功しておりました。
(源義平の「いい女じゃねぇか」は名台詞としてことに名高いw)
(髭を生やしたまま白塗りしていた伊豆の流人?何の話でしょうか(何))
途中、見つかりそうになったのを袿をかぶせ、道兼が「口づけしているフリ」をして凌ぎます。
花山天皇がかぶっていた袿が「道兼が手なづけた女官」(本当にやったんですね…やるじゃん道兼)のものだとしたら、あの目撃者は「また道兼が例の女官と…」と眉をひそめてスルーしていった…ということなんでしょうか?中々に臨機応変な作戦…というか仕込みが手際よいw
牛車なんか乗っていたら怪しさ満点バレる確率マッハだと思うのですが、ゆるりゆるりと揺られながら進み、やがて「元慶寺」に到着。
花山天皇が浮世を脱ぎ捨てて花山法皇に転身するのを見届けた刹那。道兼が正体を明かします。
「おそばにお仕え出来て楽しゅうございました」(エレキの高鳴り)
最近、道兼のコレがないと満足できなくなってきた…クセになっちゃいますね(笑)
「裏切者~!」と鬼の形相を見せる花山法皇を、2人の武者がブロック。
この人って…いみじき源氏の武者たち?源満仲!?あなた満仲なの!?もう1人は頼信!?いつ出るかと心配してたんだよー!(うわぁん)
歴史書によると、「寛和の変」の時、天皇や道兼たちを「なにがしといふいみじき源氏の武者たち」が警護していたと記され、それは「清和源氏」満仲だったとされています。
古くは忠平(兼家の祖父)の頃から摂関家と関係を持ち、兼家の頃には「六孫王」源経基の子・満仲の時代。『平清盛』の頃にも、為義(頼朝の祖父)や義朝(頼朝の父)らが、摂関家近くに仕えていましたが(そのために「保元の乱」で頼長サイドについて壊滅的打撃を…)、その源流がここにあるわけです。史実準拠万歳!!
と言うわけで、今回は以上。
まひろと道長のアバンチュールを見せられていた時は「何を見せられているんだ…これ感想書けるかなぁ」と思っていましたが、意外とやればできるもんですな(汗)
大体、まひろが好きだったら、別に駆け落ちなんてしなくても、通えばいいだけの話で…。なぜこんなにこじれているのだろうか。
自分の兄が相手の母の仇になっているから、通えなかった…ということにしておきますかね(それくらいしかフォローできんw)
見所だった箇所としては、清和源氏の祖たちの立ち姿だけでなく、兼家と子息4人が1画面に収まっている絵とか、源明子が「明子女王」と呼ばれているとか、平安京の夜にアップで浮かぶ兼家の悪魔のような高笑いとか、絵的な見所はあの月夜の情事だけではなく満載でしたが…
夜、御所から天皇の姿が消えた!との知らせを受けた義懐と惟成の2人。
翌朝ようやく突き止めた「元慶寺」に駆け付け、ぱっと扉を開けるとそこには法師姿となった花山天皇の姿。
時すでに遅し。全ては無常の彼方に消え去っておりました。
「ああ、主上…おいたわしや…」
「ご安心ください、私どももお供致します…」
義懐と惟成は、兼家のものとなった世を打ち捨て、敬愛する花山法皇の後を追って潔く髪を落としたのでした…というのが、「寛和の変」の結末。
このシーンが無かったばかりか、大事な時を女遊びに現を抜かしていたという描写…これはちょっとなぁ…とも思いました。
義懐と惟成の出番、これでもう終わりかもしれないからね。
彼らの美坊主姿が見れなかったことは、名残惜しいことでございましたね。
(まぁ、花山院が書写山へ向かう一行に助さん格さんポジで登場するシーンがあるかもしれないけど・笑)
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