大河ドラマ『光る君へ』第9話「遠くの国」見ましたー。
某アニメをこよなく愛して見ていた身としてはね。
次回予告の時点で「そういうことなのかな」となるサブタイトルでした。
とあるアニメで主人公の半身とも言える盟友が、最期を迎える回のタイトルが「さらば、遠き日」。
「遠い」と言われると、進んで行く主人公たちと別れて、誰かの時が止まってしまうのかなって予想に至る…。
そんな思考回路を通すと、ネタバレに近いサブタイでありました。
でも「鳥辺野」というキーワードまでビンゴするとは思わなかったなぁ(前回感想の最後)
『光る君へ』は大きく分けると「まひろパート」「道長パート」「政局パート」の3つが同時進行していくストーリー展開をしているのですが、「まひろパート」と「道長パート」の間をぐるぐると動き、話をどんどん進めていく重要なキーパーソンが「直秀」でした。
なぜ彼が必要だったのか?
それは、「まひろパート」と「道長パート」の間には、両者を強大に隔てている「身分差」という大きな壁があったから。
この障壁は、史実の誰を使っても、なかなか乗り越えられる壁ではありません。
だから、2人が生きているのとは違う世界である散楽の広場と、最底辺の地位で生きる芸人である直秀が、身分差を超越した存在として交流の軸となり、ストーリーを動かしていく…という手法になったわけですね。
(本当は「我が兄が相手の母の仇=道兼」という大きな壁もあるんですが、どう越えさせたいのかの意図がまだ鮮明に見えてこないので、ここの読み解きはやめておきます)
8話までに、まひろと道長が出会い濃厚に交流したことで「身分差」問題をクリアしかかっていること。
そして、「まひろパート」の出演者だった倫子が「道長パート」にも顔を見せ始めたこと(直秀の役割の後継者?)
この2つの流れが走り始めたことで、ストーリー上の直秀の役割は達成。
今後「まひろパート」は(倫子ルートから離れて)"越前下向ルート"を辿らねばならず、「道長パート」は"左大臣家の婿ルート"を迎えねばならず、そうなると直秀と散楽団は、手に余ることになってしまうわけです。
分かるよ。ストーリーを進めるためには、直秀は退場させた方がいいし、そうしないと、ごっちゃりしたままテンポのいいドラマにはなれない。
でもさぁ。死なせる必要はあったのかな?って思ってしまいますね。
「鳥と鳥籠」のキーワードは、実は「鳥辺野」への伏線だったんだろうけどさ。
そのまんま「自由」でも良かったのでは。
文字通り「遠い国へ」行ってもらっても、何の差支えもなかったのではなかろうか。
2人にとって大切な存在を、一緒になって丁重に葬ることでしか得られない何かしらの栄養はあるんでしょうけど…。
今の時点では、だいぶ納得に苦しむ結末になったな、という感触です。
まぁ、そうなってしまう最大の原因は、直秀のキャラクター描写が「雑」に終わってしまったことにあるんですよね。
あれだけ美味しそうな設定(ある意味で視聴者を釣るエサ)を散りばめておいて、「別に何者でもない存在」で退場、何も語らないまま沈黙、って…何なん??ってなっております。
どうしていつも「貴族に何かを言ってやりたげ」だったの?
どうして忍者みたいなマネができたの?
どうして盗賊団に身をやつしていたの?
どうして盗品を貧民に「施し」していたの?
どうして「打毬」ができたの?
どうして公任や赤染衛門に「本当は貴族じゃない」とバレない完璧な佇まいが出来たの?
どうして道長が「弟」だと知っていたの?
どうして道長に近づいたの?
これだけの謎の種明かしが永遠に無しというのは、あんまりではないですか…。
単に作者の趣味(好きな要素)を盛りに盛っただけの都合のいいキャラだったのか?って見えますもんね。
退場にするんだったら、最低限そこはやって欲しかったなぁ。
(もしかしたら今後、それこそ忘れた頃に明らかになる可能性も、あるっちゃあるんですが)
…なお、ワタクシ「大河ドラマのオリジナルキャラ」には冷ややかになるタチなので、「直秀ロス」みたいなのは全くないんですが。
ただ、直秀いいキャラ過ぎて、いっそオリキャラではなく歴史上の誰かであって欲しいと思っていた部分があったんです。
だから「誰だったのか」を中途半端にして投げているのが、なんだか解せない思いでいっぱいで、愚痴っぽくなってしまいました…。スミマセン。
というわけで、以下はいつものように個別感想を挙げていきますねー。
◆兼家の目覚め
「父上にもしものことがありましても東宮・懐仁さまの後ろ盾はございますので、どうぞご安心くださいませ。お心置きなく旅立たれませ」
兼家の枕元で、詮子が勝利宣言(?)をした刹那。かっと目を見開く父上。
「そうはいかぬぞ」
詮子の悲鳴が、サスペンス劇場の響きでした(笑)
あとは、兼家が仕込んだ策略の種明かしを語り、一族の団結を促します。
「これより力の限りをもって、帝を玉座より引きずり降ろし奉る!心してわしについて来い!」
ぜんぶ兼家の策略かと思っていたんですが、倒れたのは本当で、策略は安倍晴明の献策だったんですねw
見ていた時は「いくら一家総出でかかる大勝負の前とはいえ、そんな大事な秘密を、ここで大っぴらにしちゃうのはどうなんかな…」と思っていたんですが、「伝えるべきことをちゃんと伝えておく」をきちんとやらなかったばかりに最悪の結果を招いた道長が続いているので、相手と時機を見る目が聡く手順を誤らないカンがないと、策略は完遂できないんだな…と思わされました。
(ただ、安倍晴明の策だというのは、黙っておいて自分の考えだとしておいた方が良かったのでは…とも。晴明、息子たちの誰かに粛清されちゃう可能性あるよ?←それも織り込み済み?)
その後、「お前らがのんびりしている時に、俺は父上のために『苦肉の策』を買って出たのさ♪」とばかりに腕の打撲痕を自慢げに見せる道兼に、明らかにドン引きする道隆・道長兄弟…というか、父上と道兼だけが目を輝かせながら陰謀にキャッキャしている最中、他の兄弟妹たちがドン引きしてる絵ヅラが面白かったですw
将来、道長はこれに準じたようなことをできるようになるけれど、道隆にはできなかったばかりに、子供たちがツラい目にあっていくんですね…。
(ただ、次回予告を見る限りでは、道隆も『寛和の変』に関与していく説を採るようですね)
◆実資の奥様、出番終了
「なんで義懐が公卿に…」に続いて、今回は「私が公卿であったなら…」の愚痴大会の実資さま。
「日記にお書きなさいよ。日記!日記!」と、今回も『小右記』の存在を声高に主張してくれる、歴史クラスタでない視聴者に優しい桐子さま(笑)
SNSによると、今回で出番終了なんだそうで…残念無念。
ということは、初登場時に僧・良円の母かなと予想していましたが、これは文徳源氏である源惟正(文徳源氏)の娘だったということですね(亡くなったのが986年…『寛和の変』の直前)
惟正は、文徳天皇の皇子である能有(よしあり)の子孫(能有-当時-相職-惟正)。
能有は、清和天皇の5歳年上の庶兄。源姓を賜って臣籍降下した後、宇多天皇の右腕として活躍しましたが(なので、宇多天皇グループだった菅原道真とも親しい)、藤原基経(道長の高祖父)の信用も厚く、基経の娘を娶っています。
基経娘との間に生まれた娘・昭子は忠平に娶られ、師輔の母となりました…つまり、道長にとって能有は高祖父となります(能有-昭子-師輔-兼家-道長)
それにつけても、義懐と花山天皇の間に溝が深まり、つけ込む隙が生じているけれど、これは道兼が裏で糸を引いているわけではなさそうで…。
こういう所にも、『寛和の変』でクリティカル喰らってしまう花山天皇の防御力の低さが表れているようですな…。
◆漢籍一家
朝廷でのシーン。為時が花山天皇の前で中国語(?)で漢詩を詠むシーンがありましたが。
SNS情報によると、あれは『本朝麗藻』という平安中期の漢詩集に収められている、為時本人が詠んだ漢詩なんだそうです。
兩地聞名追慕多
遺文何日不謳歌
繋情長望遐方月
入夢終踰萬里波
露膽雖隨天曉隔
風姿未與影圖訛
仲尼昔夢周公久
聖智莫言時代過
兩地名を聞きて追慕すること多く
遺文
情を繋ぎ長望す
夢に入りて
聖智言ふ
見事な七言律詩。白居易のことを称えている漢詩らしいのですが、訳は…正確にはよく分かりませんw
為時が詠んでいたのは、最後の2行だそうです。
「仲尼(孔子)は昔、周公旦の素晴らしき時代を理想だと長らく夢みていたという。知恵者よ『良き時代は去った』と言わないでおくれよ(まだ『良き時代』は続いて行くのだから)」
寵姫を失って「あの愛おしい日は過ぎ去った…もう終わりだ…」と嘆いている花山帝を諌めている…のかな。
(ちなみに「遐方の月」の「遐方」は「遠くの国」のこと。漢詩の中では「兩地=日本と中国」という異国の遠さを指していますが、今回のサブタイトルがここにも…!)
その後、大学寮へ行くことになった惟規に、4つの四字熟語をはなむけに贈っておりました。
「一念通天、率先垂範、温故知新、独学孤陋」
一念通天:頑張れば夢は叶う
率先垂範:率先して人の規範になれ
温故知新:古きは新しきの理解を助ける
独学孤陋:ひとりで学ぶと視野が狭くなる
いやー、勉強になりますね…ゼェゼェ(息切れ)
(惟規が「ひとつだけ分かった」のは、どれだろう?)
そんな惟規が書物を読んでいるところに出くわして、まひろがタダナラヌ驚きを見せておりました。
分かります。ワタクシの兄弟姉妹もあまり本を読まない人間なので、読んでいるところを見かけた時「読むんだ…!」ってなりましたもんw
◆赤染衛門ピンチ?
土御門第で、赤染衛門を呼び止めた穆子。
心のつかえ(?)と向き合うため(?)に衛門と対決(?)に踏み切ります。
穆子「倫子は右大臣家の三郎君をどう思っているの?」
衛門「?…さぁ……」
穆子「衛門は、うちの人にはそういうこと話すのに、私の問いには答えないのね?」
衛門「えっ……?」
穆子「もうよい。お行きなさい」
衛門「???(混乱)」
数十秒しかないシーンですが、これって…何なんです???
前回の「あなた衛門と2人きりでお話しなさるの?」のシーン。
浮気(?)を疑われたことで雅信の慌てる素振りを見せるだけの、何気ないコメディシーンかと思っていたのに…まさかの浮気チェックに発展。
…衛門ピンチ、ってことなんです?
確かに、穆子は前回「なんかイヤ」って不快感を露わにしていました。
布石だったとしても、後年になって倫子が道長に「なんかイヤ」と言わせる伏線(明子か、まひろかの話を出した時に)であろうと記憶にとめていて、まさか本人が引きずるとは思わなかったので、目を見張ってしまいました(笑)
そして、衛門のあの反応…。
こいつはシロですかね??シロだとすると、他のサロン参加者(たとえば、しをりとか)が浮気相手…??
しかし、雅信が衛門から聞いたと言っていたのは「道長が打毬で大活躍して女子の人気急上昇だそうだ」であって、倫子の気持ちではなく。
衛門は倫子の気持ちは本当に知らないから、あの「さぁ……」だったのであり、浮気チェックの答えではないのかもしれない。
これは倫子のサロンから致仕するフラグ??
次回も目が離せません(3回も引っ張るかな?)
◆検非違使の目
道長から「つけとどけ」を受け取った検非違使と、道長の思いとは裏腹になった、あの末路。
道長による検非違使との交渉場面を見ていると、
検非違使「腕の一本でもへし折って二度と罪をおかさせぬのが私の仕事でございます」
↓
道長「手荒なことはしないでくれ」(「つけとどけ」する)
↓
検非違使「お?……承知いたしました」
↓
まひろが連行されてくる
↓
道長「この者は私の知り合いゆえ、身柄を預かる」(まひろを助ける)
武者「しかしこいつは盗賊の仲間…」
検非違使「おい、やめておけ」
↓
検非違使「どうぞお帰り下さいませ」見送りながら目つきが変わる
気になるのは、まひろを連れて去る右大臣家の三男を見送った検非違使の眼光が鋭くなるところ。
盗賊団の処分がどうなるか気になり、手荒なことはしないでくれと袖の下まで渡し、後から連行された盗賊の仲間をかばって立ち去る。どこからどこまでも怪しい…!
ワタクシは「右大臣家の三男坊、実は盗賊の仲間ではないのか?」と疑ったように見えました。
SNS上で「右大臣家を快く思わない検非違使」という解釈が出てくるのは、こういう所にあるんでしょうねー。
しかし、「つけとどけ」を受け取ったから流罪放免となったけど、流罪の処理が面倒くさいから鳥辺野まで連れ出して処分した…というのは、どうなのかなぁ。
公式ムックの情報だそうなので、これが正解なんでしょうけど、どうも不自然な感じがします。
色々とモヤモヤする、無理矢理感しかない幕切れ。もうちょっとどうにかならんかったのかな…。
こうやって下人が簡単に死ぬ時代だから、兼家は「貴族と下人は違うことを心得よ」と言っているんですね。
優しさか、貴族への反骨か、それができなかった道長は、地獄の苦しみを味わうハメになってしまいました。
土葬作業で汚れたせいか、あるいは章が変わる現れなのか、まひろはいつもの黄色い袿ではなく、赤いお召し物に変化しておりました。
「身分差」を越えた交流をもたらしてくれた存在を失ったことで青春は終わり、大人になった2人は、それぞれの家庭を築いていく。これが第2部となっていくのかな。
しかし、次回予告を見る感じでは、まだ青春の後始末をすることになる…のか?
タイトルは、『拾遺和歌集』に収められている和歌から。
直秀が掴んでいた土塊を取り払って、「扇」を握らせた道長…というシーンを、SNSでは「1人の人間として見送った」のような解釈をされているのが散見されました。
それを否定しない上で、ワタクシはこの和歌が思い浮かびました。
別れ地を 隔つる雲の ためにこそ
扇の風を やらまほしけれ
大中臣能宣/拾遺集 別離 311
別れて行ってしまう貴方と私との間を隔てる雲を払うため、扇をあおいで風を起こしたい…のような意味。
別れた人との間を雲が隔てている…ということは、「別れ地」とはあの世とこの世、つまり死別を惜しみ故人を偲んでいる和歌なんだろうなと思います(正解は分からないけれども…)
(ちなみに、詠み人の大中臣能宣は『百人一首』49番歌の詠み人でもありますね)
一方、同じ『拾遺和歌集』には、こんな和歌もあります。
天の河 河辺涼しき七夕に
扇の風を なほや貸さまし
中務/拾遺集 雑秋 1098
七夕の天の河の河辺は涼しいかもしれないけれども、それでも扇をお貸ししてあげたいですね…のような意味。
なんのこっちゃ分からん和歌ですが(笑)ポイントは「扇」というところ。
「扇」はかな送りすると「あふぎ」で、「逢ふ」と掛詞になっているんです。
織姫と彦星が年に1回しか会えない七夕。扇の風で晴れ渡らせて、確実に逢えるようにしてあげたい…みたいな裏読みが込められているわけですかね。
かようにも、様々な意味が込められる「扇」。
道長が直秀に「扇」を贈ったのは、あの世へ行く直秀を曇りなく見送って、また逢いたかったぜという惜しむ気持ちを込めた餞別だったのか、はたまた…。
ワタクシは、あの世とこの世を隔てる雲を吹き飛ばして、あまりに雑な直秀の最期をやり直して欲しいなーと思いました(苦笑)
また、「扇」は夏の暑さをしのぐための実用品ですが、涼しい秋になると顧みられずに捨てられてしまうので「飽きる(秋にも掛かっている)」「寵愛をなくす」のような意味でも使われたりするそうな。
直秀が雑な扱いで雑に退場してしまったことで、『光る君へ』の視聴者が飽きたり愛顧をなくしたりすることがありませんように…。まだまだ続くんじゃぞ。
↑毎熊克哉さんのSNSより散楽一座の皆さん(いい顔しよる…)
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