大河ドラマ『光る君へ』第8話「招かれざる者」見ましたー。

 

藤原兼家が病に倒れ、東三条家と朝廷は大騒ぎ。

 

どことなくドタバタコメディ風味をにおわせながら、きっちり政争劇をやり遂げ、今後の史実へ繋げるついでに、まひろの過去を清算する…という、荒業じみた回でした。

 

 

今回のMVPは、なんといっても赤染衛門でしょう。

 

 

前回の「打毬」での殿方の輝きに、ときめきを隠さない赤染衛門。

 

「猛々しくも美しい公達(=直秀)が良かった!」と話すのは、現実の夫(大江匡衡)がそれとは逆方面の殿方(学者)ゆえの、ないものねだりなんでしょうかw

 

倫子が「人妻なのに、そんなことを言って」とツッコミを入れた際の、赤染衛門の返し。

 

「人妻であろうとも、心の中は己だけのものにございますもの。そういう自在さがあればこそ、人は生き生きと生きられるのです」

 

これを聞いた まひろの目が、気づきを得た人のように澄みきりました。

 

その後に訪れた、前回の次回予告時にSNSがざわついていた、まひろと道兼の直接対面。

 

ワタクシは「為時を取り込むために、道兼が秘密裏に訪問して まひろを籠絡する」だと思っておりましたが、本当の目的は花山天皇…。そして手段が道兼の「突撃!隣の晩ごはん」でした(何)

 

※突撃!隣の晩ごはん…落語家ヨネスケさんの看板コーナー。夕食の時間帯にアポなしで一般家庭を2~3軒訪問し、晩御飯の支度や食事中などを撮影して回るロケ企画。古き良き時代の超絶強引なコーナー。

 

まひろは、顔を出さなくてもいい道兼の前に顔を出し、母の琵琶を道兼の前で披露して、己の過去を清算。

 

「母御はいかがした?」

「7年前に身罷りました」

「ご病気か?」

「………………はい」

「それは気の毒なことであったな」

 

「7年前」と聞いてピンとも来ないどころか、お人が悪過ぎなくらいに まひろの地雷を踏みぬく道兼(笑)に、まひろが大人の対応をすることで、不測の事態は平穏安泰に過ぎて行きました。

 

(道兼に母の話をするために、琵琶の演奏を買って出た…地雷を差し出しに行った、という気もしますが)

 

「あの男に自分の気持ちを振り回されるのはもう嫌なのです」

 

この境地に辿りついたのは、あの赤染衛門の台詞があってこそ。

 

そして、「心の中は己だけのもの」の「自在さ」で「生き生きと生きる」を作中で一番できていないのが、この時に対峙した道兼なんですよねー。

 

摂関家の倅ともあろう方が折檻された跡を負って(駄洒落よ…)、為時を信用させて花山帝の懐に飛び込む。まさしく「苦肉の計」をさせられていました。

 

こうやる以外に、自分の価値を父親に示せない。まひろの「母の無念」を奏でた琵琶の音に、自分の「無念」が共鳴しちゃって、涙ぐんでおりました(複雑な関係になっとるの…)

 

※苦肉の計…『兵法三十六計』第34計。わざと味方(または自分)を害することで相手の信用や油断を誘い込む計略。「楚漢戦争」の「斉攻略戦」(酈食其が犠牲)、『三国演義』の「赤壁の戦い」(黄蓋が犠牲)が著名。

 

「楽しく飲もうと思うたが…ハハ。真面目な家じゃ」

 

真面目な家で良かったね!これが前々回の大河の鎌倉武者宅だったら、まひろが花乃屋仇吉ばりにバチで襲い掛かって、アナタ首桶の中の住人になっていたよ!(なんなら為時も加勢していたよ)

 

※花乃屋仇吉…1976年放送「必殺からくり人」に登場する殺し屋。全シリーズ初の「三味線のバチ」を暗器とする使用者。演じるのは山田五十鈴さんで、その後は「必殺仕事人」の三味線屋おりくなども演じる(同じく三味線のバチを使用)


 

というわけで、その他の楽しかったところを列挙してみます。

 

 

◆権中納言内覧義懐

 

花山天皇の叔父・義懐がついに権中納言に昇進。

 

さらに「今後は陣の定の開催を中止して義懐が天皇に意見を届ける」と言い出しました。

 

天皇に届く前に奏上を拝見できる。ほぼ「内覧」ですな。

 

「権中納言」にして「内覧」は、藤原兼通(兼家の犬猿の仲の兄)が、兄・伊尹が亡くなった天禄3年(972年)、権中納言のまま10月27日「内覧」に任ぜられています。

 

これは伊尹が急死した非常事態に対処するためだったと理解できますが、三大臣がピンピンしているのにやっちゃう今回は、だいぶ無茶が過ぎますねー。

 

この無謀な宣言を喰らった時の、お公家さんの皆さん(特に先頭にいた為光と重信)の驚き顔が、やや顔芸になっていて面白かったですw

 

 

 

お公家さんの顔芸と言えば、『平清盛』を思い出しますな(笑)

 

 

◆従五位下右兵衛佐

 

兼家が危篤となったことで、東三条家は右往左往。

 

安倍晴明を呼んで快復の儀式をさせたり、家族会議が始まったり、ドタバタ劇が始まります(何故かコメディタッチに見えましたw)

 

「瘴気が満ちておる…」として三兄弟を人払いして、兼家と2人きりになった晴明。ここで、何らかの打ち合わせを…?

 

そして、読経に真言に祝詞に…と呪文が飛び交う中、憑座(よりまし)となっている巫女に「弘徽殿女御の霊」が憑依すると、晴明が「爪弾き」で解除…といった具合に、オカルト描写が満載(一番オカルトっぽかったのは、道兼が単独で見舞いに来た時だけ、兼家が目を見開いて、2人の目が合ったところ…お慰み)

 

兼家に襲い掛かった巫女を、即応で体を張って止めに入ったのが道長だけだった…この人物描写が、興味深かったですな(他の兄2人はおろおろするばかり)

 

家族会議では、すでに兼家から心が離れている詮子が落ち着き払い、道隆にも明かさなかった「裏の手」をついに語ります。

 

「私と東宮様には源がついています」

「左大臣、源雅信はわたしと東宮に忠誠を誓っておる」

「兄上たちも源と手を結ぶ覚悟をお決めになりなさい」

 

兼家が倒れたこのタイミングなら主導権を奪える!と「道長婿入り計画」を披露しちゃった…というかんじ?

 

しかし、当の源雅信はというと、「父と仲違いしている」と詮子から言われていたのに、父娘両方から道長の婿入りを打診されるという、ある意味安倍晴明がやっていることよりホラー(笑)な謎展開に混乱しているのか、道長の婿入りには消極的。

 

「こともあろうに、従五位下・右兵衛佐だぞ。格が違い過ぎる!」

 

この発言にSNSでは「源頼朝」でタイムラインが埋まりました(笑)

 

頼朝は「平治の乱」(1159年)で父が勝利側についたことで、「従五位下・右兵衛権佐」となり、その2週間後に平家側の巻き返しを喰らって敗北。伊豆へ流罪となってしまいました。『平清盛』や『鎌倉殿の13人』で「佐殿(すけどの)」と呼ばれていたのは、この官職のためなんですねー。

 

「左大臣が『身分が低い』と言い捨てていた『たかが従五位下・右兵衛佐』を後生大事に名乗っていた頼朝(笑)」と言いたいようなのですが、頼朝は流罪時で時13歳。一方の道長はすでに19歳。

 

参考までに、もしも頼朝が流罪とならず、上西門院蔵人の同僚だった吉田経房と同じようなペースで昇進をしていたとしたら、6年後には従四位上・権右中弁くらいになっていたかもしれません。この文脈で頼朝を貶めるのはヤメロ(笑)

 

ともあれ、ぜんぜん詮子に忠誠誓っているふうじゃない左大臣…。

詮子の詰めの甘さが露呈している感は否めません。

 

しかし、穆子は乗り気。倫子もまんざらでない様子。孤立する左大臣(笑)

 

あんなにつるんでいたのに、やっぱり右大臣は好かなかったんですね雅信さま。そして、赤染衛門と意外と親しい関係?というのも露わに…?謎が深まりますw

 

ああ…そうそう。

 

謎といえば、倫子が「まんざらな顔などしておりませぬ!」と自室(?)に下がった時に、後ろに懸かっていた着物なんですが。

 

詮子が兼家の病床に到着した時、御簾を巻き上げていた女官が着ていたものと、柄が同じだったんです。

 

 

これは何処かに繋がる伏線だったりします?それとも何かの演出?制作陣のうっかり?事情が分かるまで、これもまたホラーだわ…。

 

それにしても、詮子が言っていたの「左大臣家がついている」ではなく「源氏がついている」だったんですよね。

 

道長の2番目の妻・源明子など、他の源氏の取り込みも進んでいることを言っているののか?

それとも、「左大臣家」だけなのを大きくみせるために「源氏」って言ったのか?

『光る君へ』に(名前は)登場しない清和源氏(摂関家のボディガード)のことなのか?

 

「源氏って何なん??」も収まりません(そういえば、最初は「土御門第」だったのに「左大臣家」としか呼ばなくなりましたよね…これも何だろう)

 

 

◆京の向こう・海の向こう

 

まひろパートでは、直秀から旅立つ準備中であることが打ち明けられました。

 

「直秀は都の外を知ってるの?」

「丹後や播磨、筑紫でも暮らしたことがある」

「都の外はどんなところ?」

「海がある」

「海…見たことがないわ!」

 

狭い鳥籠の中でしか暮らしたことのない少女の胸いっぱいに広がる異国情緒。

見たことがない海の先は、まひろが大好きな漢学の中の世界。

 

「一緒に行くか?」

「……行っちゃおうかな」

「行かねぇよな」

 

お嬢様を連れて行けるわけがないという諦めか、まひろの現実逃避願望から言っていることを見抜いたのか、優しく突き放してしまいます。

 

好いている子へのお誘いのようでいて、ただのナンパを演じた口車のようでもあり…。

 

真意は分からんですが、まひろにも自分にも釘を刺すような言葉だなぁと思うと、やっぱり好き…?

 

このシーンを見た時、「そういえば『平清盛』でも、清盛の最初の妻・明子が『海の向こうに行ってみたい』と言っていたな」というのを思い出しました。

 

と思った瞬間、明子は琵琶が得意で、まひろと同じ設定。さらに、明子は高階氏の娘で、ドラマ中でも言っていましたが「紫式部の子孫」…と思い至りました。

 

 

これ偶然…?もしかして制作陣、狙ってた??

 

 

話がそれましたが、直秀の正体のこと。「丹後」や「播磨」や「筑紫」で暮らしたことがあるって、旅の一座というより、これ受領クラスの人物を親に持つとか、そういうことではなかろうか。

 

「丹後」「播磨」の受領を歴任して「大宰府」に行った、藤原摂関家を恨んでいる人って誰かいないかな…と探してみたけど、見つけられませんでした…。

 

第1話の散楽の演目「安和の変」で大宰府に流された源高明は、「近江権守」「備前権守」「讃岐守」「大宰権帥」にはなっていますが、「丹後」も「播磨」も入っていません。

(そもそも、源俊賢や明子がいるのに、高明の関係者になんてしないよなぁ…とも)

 

一番「惜しい」と思ったのは、橘公頼(たちばな の きみより)

 

公頼は、橘広相の子。広相は「阿衡の紛議」の時、藤原基経(道長の高祖父。基経-忠平-師輔-兼家-道長)によって失脚寸前まで詰めに詰められた人物です。

 

スミレとウメのタフガイ(関連)
https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-12788586757.html

 

娘の義子が宇多天皇の女御となり、生まれた斉世親王が菅原道真の娘と結婚。しかし「斉世親王を即位させようとした」という疑惑で、道真は左遷され(「昌泰の変」)、斉世親王自身も出家してしまっています。

 

系図で見てみよう(宇多源氏)(関連)
https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-12734496370.html

 

「阿衡の紛議」「昌泰の変」の2つで藤原摂関家を恨んでいる…とも言えるわけです。

 

延喜22年(922年) に播磨権守、承平5年(935年)に大宰権帥となっているけれど、しかし丹後には行ってない…。

 

そもそも彼の息子だとしたら、直秀いくつなんだ問題も発生しますか…。

 

ならば、個別にモデルがいるのかと想像して、あの頃の人物で、ぱっと思いつくのは、

 

丹後→酒呑童子
播磨→芦屋道満
筑紫→源高明・筑紫の君

 

こんなかんじ。酒呑童子も芦屋道満も、悪役として知られていますよね(藤原摂関家を恨んでいるかどうかは、うーむ…)

 

「筑紫の君」というのは、紫式部が「姉」と呼び親交があったという女性。

 

桓武平氏・平維将の娘。母は藤原雅正の娘で、紫式部の父・為時の従兄妹にあたります(ちなみに、維将は鎌倉北条氏の祖…という説があります)

 

維将は正暦5年(994年)、盗賊捜索の功により肥後守に任ぜられ、翌年に任地へ下向。娘の「筑紫の君」は父に従い、別れの歌を紫式部と交わしました。

 

この設定と直秀を上手く繋げられるかどうか?盗賊捜索の功がニアですが、第8話(986年)より後の話ですからな…(ワタクシは、この年に直秀の盗賊稼業がバレると予想していたんですが・汗)

 

関係あるようなないような話をすると、維将の兄・維衡は「道長四天王」の1人に数えられています(なお、維衡は「平家」の祖先)

 

 

そして「道長四天王」には藤原保昌という人物がいて、盗賊「袴垂」と関連のある人物なのですが、彼の弟に「保輔」がおりました。

 

一方で散楽一座は「輔保」という、保輔を逆にした名前の座頭が率いていて、しきりに「何か繋がりがあるのでは…」とSNSでは囁かれています。

 

「筑紫の君と維将」「維将と維衡」「維衡と保昌」「保昌と保輔」…ヒントがあるようなないような、とっ散らかっていて何とも言えない(笑)

 

まぁ、どちらかというと「筑紫の君」は、放送前から配役の発表があって未だにドラマに登場していない「さわ」が該当者として浮上してくるようにも思えるので、直秀とは無関係…かな?

 

(さわと直秀が関係して来たら、これまた面白いんですが)

 


さわ@野村麻純さん
2024年大河ドラマ『光る君』より ⇒ 関連ページ

 

はてさて、この中に正解は居るのか…?

 

 

◆直秀犯科帳

 

一緒に喋っていた公任・斉信や赤染衛門にも素性がバレなかった(笑)直秀は、道長の弟のフリをしながら東三条第の内部を偵察。

 

お勤めだけでなく嘗め役もできるんですか…中々に優秀ですな直秀(笑)


※お勤め…池波正太郎・作『鬼平犯科帳』に登場する隠語(用語?)。盗賊が盗みを働くこと。

 

※嘗め役…池波正太郎・作『鬼平犯科帳』に登場する隠語(用語?)。盗みに入る家の間取りや人数などの内情を探る担当の盗賊。

 

道長が直秀の「兄上」呼びに、ややニヤついた顔を見せるのは、末っ子だから「兄上」と呼ばれたことがない、照れによるものでしょうか…?

 

「腕の傷はどうした?」「矢傷のように見えたが?」と畳みかけていたのは、あの時の盗賊が直秀だったのかを確かめているのではなく、「気づいているぞ、だから東三条第にはお勤めに来るなよ」という牽制なんだろうな…と思いました。

 

来たら、放置するわけにはいかない…対決しないわけにはいかない…だからやめろよ、と。

 

しかし、それが届かなかったのか、それとも気づかなかったのか、「京を離れる前に大仕事だ」とばかりに東三条第に潜入。

 

『光る君へ』では描かれてきませんでしたが、摂関家は源頼光や頼親、頼信などの清和源氏の一党を私兵として持っていたので、東三条第を攻めるのは愚策よ…。

 

案の定、一党はあっさりと捕まってしまい、道長が怒りの形相になって「次回へつづく」になっておりました。

 

あの表情は、「来るなと釘を刺したのに…!」という残念と怒りの混じった感情の発露なんでしょうかねぇ。

 

次回、どうか六条河原やら鳥辺野やらに行くことになりませんように…。

 

 

というわけで、感想文は以上。

相変わらず、感想とは言えないような駄弁りも混じってますが…お目汚し失礼シマシタ。

 

第8話で2024年2月は終わり。時代は寛和2年(986年)に進みました。

 

…第2話から2年しか経っていません。ドラマはテンポがよくてあっという間に終わっていくけれど、歴史モノとしては、かなりゆっくりペース…大丈夫なのかな(汗)

 

 

 

【関連】

 

大河ドラマ『光る君へ』放送回まとめ
https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-12837757226.html