東京都知事選に、細川護熙サンが出馬されることになったそうですね。
ずっと陶芸家として隠者のような生活をしているイメージがあったので、まさかここで表舞台に出てくるとは・・・・!
しかも、”白いライオン”まで連れてのツーショット(笑)
そして、この話題性。やはり「元首相」っていう肩書きの持つパワーはすごいですねー。
「そういえば、細川護熙ってガラシャの子孫なの??」
と、このニュース関連で友人に聞かれました。
細川護熙サンといえば、「殿」と評されたり揶揄されたりすることで知られます。
世が世なら、代々細川家が治めてきた肥後熊本藩の殿様だったという、やんごとなきお方です。
この細川氏の祖は、戦国時代の武将・細川忠興(ただおき)。
そして、忠興の妻が、「本能寺の変」首謀者・明智光秀の娘だった玉子(ガラシャ)です。
この夫婦の間に生まれた三男・忠利(ただとし)が初代藩主となり、これ以降ガラシャの血筋が藩主として続いていくのですが、第7代・治年(はるとし)が跡継ぎのないまま死去してしまいます。
そこで、治年の正室の同母弟でもある、熊本宇土藩の細川立礼(たつなり)が養子に入り、斉茲(なりしげ)と名を改めて第8代藩主となりました。
この宇土藩は、忠興の側室だった幾知の子孫なので、ガラシャの血は引いてません。
よって、この世代交代でガラシャの血は絶えているので、その子孫である護熙サンは、ガラシャの子孫ではないわけです。
・・・・と思ったのだけど、たしか宗家から何度か宇土藩に嫁入りしている人がいるので、女系でならガラシャの血も引いているのかな?と、ふと気になりまして。
調べてみたのですが、どうやら血は引いていないようでした。
このあたりを言葉だけでダラダラ書いても分かりにくいだけなので(笑)、系図で見てみると、以下のようになります。
宇土藩は宗家から2回ほど嫁をもらっていますが、藩主を継いでいるのはその血筋ではありませんでした。
もっとも、もっとよく調べてみれば、どこかで繋がっているのかもしれません。
ワタクシの浅学では、「護熙サンが、ガラシャの血を引いている証拠は見つけられなかった」と。そういうことになりましょうかね・・・・
※追記:後日、twitterのフォロワさんから「女系で繋がっているよ」と教えて頂きまして、直した系図に差し替えましたw
細川元首相ばかりか、今上天皇とも血筋が繋がっていましたYO!
以上、追記。
・・・・と、本題はこれで終わりなのですが、ついでなのでもうひとつやっちゃいますw
細川氏といえば、「応仁の乱」。
戦国時代の幕開けとなったとも言われる「応仁の乱」で、東軍のリーダー格だったのが、細川宗家の細川勝元でした。(対する西軍のリーダー格は山名宗全)
護熙サンは、この勝元の子孫なのかどうか・・・・?
このへんも気になったりしません?
それを系図で確認してみると、このようになります。
東軍のリーダーだった勝元は、細川頼之の末裔。
それに対して熊本藩の祖となる忠興は、弟の頼有の家系です。
というわけで、結論を急げば2家は遠い関係ということになりそうですね。
(この系図について細かくやると、また長くなるので、それは別の機会に譲るとします!)
※追記:ちなみに、「細川内閣」とは何だったのか?については、こちらもドウゾ☆
「新生党」の歴史(関連)
https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-11750197395.html
(なお、細川護熙サンは「新生党」ではなく「日本新党」の人です。念のため)