大河ドラマ「平清盛」は、来週からいよいよ第三部。

 

「驕れる平家」の様子が描かれる・・・・のでしょうかね?

それとも、新たな平家像が打ち立てられるのでしょうか?

 

どちらにしても楽しみですが、同時上映(?)で東国での頼朝の流人生活が描かれるようで。

 

あまり一般的には知られてない話や人物が出てくると思うので、そちらのほうの予備知識になりそうなことをやってみようかと。そういう試みです。

 

今日は、前々回の放送で登場した、藤九郎を紹介したいと思います。

 

藤九郎
藤九郎/安達盛長@塚本高史サン
2012年大河ドラマ『平清盛』より

 

「藤九郎って誰・・・・?」という方は、多いのではなかろうか。

 

彼の見所は2つあって、ひとつは頼朝と政子のキューピッド役(笑)

ふたりの仲を取り持ったのは、彼だったと言われているのです。

 

もうひとつは、頼朝の懐刀としての姿。

彼は鎌倉を代表する御家人安達氏の祖にあたります。

 

安達氏といえば、2001年の大河ドラマ「北条時宗」で柳葉敏郎サンが演じておられた安達泰盛(やすもり)が思いつく人もおられるかと。

 

そのドラマの中で、「北条も安達も、はるか下層からのし上がった一族だ」というような台詞がありました。

 

後に鎌倉幕府の執権として権力を握った北条氏も、元は伊豆の小さな豪族で、時宗はさらにその庶流の生まれでした。

 

一方の安達氏も、苗字さえ持たなかった頼朝の従者・藤九郎が、その祖となっていたのです。

 

藤九郎は、藤原氏の中でも傍流の「藤原氏山蔭流」を称しておりますが、実際のところその正体は不明。

 

大豪族・足立遠元(あだちとおもと。東京都足立区の由来。「十三人の合議」の1人)が甥にあたるので(ただし藤九郎のほうが年下)、そんなに下賤でもないのかもしれませんが、素性の分からない人物ではあったようです。

 

 

一方、妻の実家・比企氏(ひきし)は、秀郷流藤原氏の一族でした。

 

妻の母・比企尼は、源頼朝の乳母

 

比企尼にとって頼朝との関係は、頼朝の父・源義朝が、東国の地盤固めのために結んだ関係でしたが、彼女は「平治の乱」後に流罪となった頼朝を20年もの長きに渡って支援し続けました。

 

その比企尼の娘の旦那が藤九郎ということは、頼朝と藤九郎は、関係だけ見れば乳母兄弟にあたります。

源義朝と鎌田正清の再来という感じになりますかね。

 

このあたりのことを系図で確認すると、このようになります。

 

 

大河ドラマの藤九郎の初登場シーン。

頼朝に会うなり、「禅尼さまの指示で参りました」と言ってました。

 

これ、はじめは「池禅尼(平清盛の義母。忠盛の正妻で、頼盛の実母)のことかと思っていたのですが、もしかしたら比企尼のことだったのではなかろうか?と考え始めていたり。

 

勉強不足ゆえ、藤九郎と池禅尼との間に何かつながりがあるのかワタクシは知らないんですけど、比企尼が差し向けたと考えると、繋がりが分かりやすいし自然だなって気がするんですけれども・・・・。

 

藤九郎は、頼朝の乳母兄弟という伝手をフル活用して、坂東で活躍を開始します。

 

頼朝が「以仁王の挙兵」に乗じて旗揚げした後、「石橋山の戦い」で大敗を喰らい、安房に逃げるハメになります。

 

しかし、平家討伐に乗り出すほどに盛り返すのは周知の通り。

これは、坂東中の武士団が味方についてくれたからです。

 

大敗したのに坂東中の武士団を味方につけた・・・・このマジックを成功させたのが、ほかならぬ藤九郎。

彼が説得に当たったことで、多くの武士団が駆けつけることになったのです。

 

このほかにも、源義経と静御前の間に生まれた男の子を水に沈めて殺したり、源範頼を殺害したりと、頼朝の暗黒面にちょいちょい顔を出すのが、藤九郎の一族。

 

渉外に交渉に汚れ仕事・・・・。

なくてはならない裏仕事を引き受けることで、頼朝の創業に貢献していたのです。

 

奥州合戦の後、藤九郎は恩賞で「安達」の氏を賜ります。

しかし、彼自身は「安達」を名乗ることはなく、官位も登らずに一生を終えました。

 

最後の最後まで「藤九郎盛長」

彼は、頼朝の手足であることに満足していたのでしょうかね?

 

絶対忠誠を誓う忠実で有能な下っ端。

つまり藤九郎は「“源氏版”平盛国」といえるのかもしれません?(笑)

彼の息子・景盛の代になってから、一族は「安達」を名乗りました。

景盛の子が義景、そして冒頭に紹介した安達泰盛から見ると、藤九郎は曾祖父にあたります。

 

そして、藤九郎の孫娘が松下禅尼北条時宗の祖母です。

大河ドラマ「北条時宗」では、浅野温子サンが演じておられましたね。

 

ちなみに、藤九郎の妻・丹後内侍には、連れ子がおりました。

 

その名も、惟宗忠久(これむねただひさ)

 

後に薩摩の守護となり、その地名「島津荘」を取って島津忠久と名乗ります。

 

そう、彼こそが後の薩摩の戦国大名・島津氏の祖です。

 

600年後に徳川幕府をぶっ壊して武家政権を終わらせる島津サンの遠い先祖は、武家政権の樹立を陰で支えた藤九郎のすぐそばに、いたのですねー。

 

はたして、今年の大河ドラマ「平清盛」に惟宗忠久の少年期の姿を見ることができるか・・・・?

 

そこにも是非、注目してみてくださいw

 

 

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