「なぜ途上国に学ばないのか?」と日本人の一人々々に、今こそ問うべきと思います。
以下是非 お時間のある方はお読み下さい。
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2012年3月29日朝日新聞17ページ
あすを探る外交 酒井啓子 なぜ途上国に学ばないのか
死者を悼むのに、一年という区切りば必要がない。だが、とりあえず忘れてはいないぞと表明したいとき、「何周年」とは便利な機会である。
2011年まで、3月はイラク戦争開戦を思い出す月だった。06年の自衛隊撤退以降イラクへの関心が薄れても、3月20日のイラク戦争開戦日だけは、報道各社は記者を現地に派遣して大々的に特集を組んだ。
だが昨年から様相は一転した。今年も震災「一周年」の陰で、9年前の戦争を回顧する記事はほとんどない。仕方ない、それどころではないさ、というのが正直なところだろう。だが
それはとても残念なことだ。
震災直後、紛争経験を持つ国の研究者仲間から、弔意が多く届いた。私たちも似たような経験をしてきたから、と掛けてくれる言葉は上辺ではない真実味にあふれていた。
9.11の後、多くの中東の人々が、米国民に同情を寄せた。これだけの痛みを経験したのだから、似たような暴力を日々受けている、自分たちの気持ちもわかったに違いない。危険にさらされたまま放置されている人々への理解も深まるはずだ―。
3.11後の日本にも、同じ期待が掛けられたに違いない。だがその結果何が起きたかといえば、米国は中東の国々を攻撃する決断をした。日本では、震災の影に隠れて海外で起きている悲劇への関心が消え去った、
これは、共感の立ち位置をどこに置くのかの問題である。先進国で起きたことはわが身のことと考える。途上国の不幸は他人事で、その国は遅れているから災害を被っても不思議ではない運命にある、と考える。
私が常に疑問に思うことは、なぜ途上国で起きていることから学ぼうと思わないのだろうかということだ。紛争地帯の悲惨な状況が報じられるたびに、読者はこう自問する。「では日本人に何ができるのか?」だが「そこから日本人は何を学ぶのか?」という問いは、出て来ない。
途上国に旅行した学生と話していて印象的なのは、彼らが一様に「何もしてあげられないこと」を身に染みて感じてくることだ。将来援助機関に就職したい、と言っていた若者が、組織に拠ってではない、個人で何ができるかを考え始める。
友人の話である。イラク戦争直後、戦後のイラクで何ができるか模索するために、ある日本人官僚が混乱の最中に入国した。長年の制裁と戦争で破壊された発電所や製油所を見ていると、数機の発電機の使えるパーツを集めて、つぎはぎの一台を動かしているイラク人技術者に会った。旧政権の電力会社はすでに解散させられたのに、切れた電線をつないで回る職員たちがいる。システムが壊れても、個人の知恵を駆使して地元社会の生活を守ろうとする。
私たちが途上国の人々から学ぶのは、こうした個人のたくましさだ。
数ヵ月後、この工場に米企業が入り、復興契約を結んでからは、地元のイラク人たちが敷地内に入ると「不法侵入者」(あるいは「テロリスト」)にされた。個人の知恵や努力は不要となり、先進国の企業が復興事業を担った。だが治安の悪さを理由に、それは一向に進まずじまいである。
とはいえ、個人の知恵はひるまない。今もなお、電力供給が一般家庭に十分行き届かないイラクで、人々は共同で発電機を買ったり、場所によっては隣国から電気を輸入したりしていている。「お上」や大企業を信用せずにやり繰りすることにかけては、紛争経験国の人々は、プロだ。
上記の官僚は、イラク滞在中、土地の人々が机もなく自発的に復興会議を開いているのを見て、ポケットマネーで会議用の椅子や机を寄付した。彼が帰国して所属機関が組織として行ったいかなる援助よりも、時宜を得たものだったに違いない。
企業や政府の組織論理にとらわれず、個人や社会で工夫すること。それを学ぶ対象として国際情勢を見ると、違ったものが見えてくる。
(さかい・けいこ 59年生まれ。東京外国語大教授・中東政治研究。著書に『<中東>の考え方』など)
