ごみ問題とは何か?靜岡市の清掃工場情報公開資料から考える
A4版8ページ PDFファイル310kb http://p.tl/xpdJ
----------------------------------------
皆様 残暑お見舞い申上げます。でも突然涼しくなりましたね。

2-3ごみ問題とは何か?靜岡市の清掃工場情報公開資料から考える


より続く







7.最終処分場はどうなっているのか?



 それでは、最終処分場はどうなっているのか?毎年、沼上最終処分場の写真を撮って、どれだけ増え続けているのかを記録している。しかし、数量的には実際どのくらいなのかは、久しくチェックしていなかったので、これも情報公開請求した。それが次の表である。




ごみゼロ日記 静岡-沼上最終処分場埋め立て量表

<表の見方>

単位は、「一番下段」と「下から3行目」の2行が。それ以外は、すべて重量でトン

表上から3行(焼却灰、溶融スラグ、溶融飛灰)が清掃工場からの発生物。

4行目以下の汚泥から覆土までは、清掃工場関連以外のもの。

例えば、2010年度(20104月~20113月)は、合計18,508トンが処分場に投入され、これは、体積で言えば、12,764㎥(重量÷1.45 1tは 1÷1.450.69㎥)、合計562764㎥となっていると読む。※比重1.45/㎥は、靜岡市当局の指定係数

2011年度は、未だ始まったばかりだが、推定値を入れてある。

※沼上最終処分場は、75万㎥が一杯とされ、貝島処分場の方が早く一杯になることから、このままいくと10年くらいで一杯になると推定される。


ごみゼロ日記 静岡-沼上最終処分場埋め立て量グラフ







 前の表の上3行(焼却灰、溶融スラグ、溶融飛灰)を焼却灰として、それ以外をその他として棒グラフにしたのが上記。

 2009年度は、未だ西ケ谷清掃工場は、僅かに稼動しただけ(試運転2ヶ月)。2010年度は確かに、2008年度、2009年度と比べ、埋め立て量が減っているが、相変らず埋め立て処分が続いていることがわかる。




8.情報公開をして思うこと、整理すべきこと




1.西ケ谷清掃工場の経費は軽減されたのか? 




巨額の税金を投入しての清掃工場の建替えの必要があったのかを検証し続けることが重要と考えている。できてしまったから、それまでの良し悪しの判断が消えたり、諦めたりする必要はない。現在動いている清掃工場を止めろと言いたいわけではない。靜岡市では、10年後を目指し、沼上清掃工場の建替えが日程に上っている。恐らく、何百億円という税金が投入される。どうしたら、その建替えを止める選択ができるか?そのことを今から考えるためにも、現状の検証は重要であると思う。

清掃工場は、年々焼却能力は落ちていくのだが、点検補修費を投入していけば、炉のレンガは取替補修され、ある意味で新品同様になる。だから、使い続けることができる。それにあわせて、いやそれ以上にごみ減量を実現していけばよいわけなのだから。経費だけのことを言えば、新型炉建設をするより、維持費、点検、運転委託など日常経費も安上がりになるはより、金食い虫なのは明らかである。





2.スラグ化によって最終処分場は延命されたのか?



溶融炉導入によって、焼却灰がスラグ化され、最終処分場要らずになるというのは、残念ながら否であろう。最終処分場の延命効果は多少あるが、まずはごみ減量であることは明確だ。溶融炉の事故、不安定運転で、試行錯誤の上、新日鉄のシャフト炉式溶融炉を靜岡市は導入した。スラグの品質も、灰溶融炉のものより、よさそうである。「安定したスラグ、多少の処分場の延命効果がある」そこまでは、よかったのだ。

しかし、新日鉄のシャフト炉式溶融炉はコークスを燃やす、経費もかかる、「エネルギー・税金多消費型」の清掃工場と言わざるを得ない。聖域なき支出カットが求められる今日、そして未来。こうした炉をどんどん建設できる時代はとっくに過ぎ去ったのではないだろうか?

同一のごみ排出に対しての最終処分量は減らすことができていることは確かではある。しかし、それは、巨額の税金投入され清掃工場と跳ね上がる運転経費、定期点検などのランニングコストによって支えられている。もちろん、新日鉄を含めたプラントメーカーも、それを運転する行政当局もその範囲内でランニングコスト削減に努力していることは追記しておきたい。

「最終処分場の多少の延命効果」のための将来への負担増は、靜岡市民全体の了解が必要である。しかし、どれだけの市民が廃棄物政策当局の意思、清掃工場の現状、最終処分場の現状を知っているのであろうか?





3.ごみ問題は「ごみ処理問題」ではなくて、「生産・消費・流通問題」だ




 ごみ問題は、「ごみ処理問題」であり、「円滑な効率的なごみ処理」「最終処分場要らない施設」によって解決していくというのがこれまでの靜岡市のごみ政策であったと思う。

 しかし、大事なことは、こうしたごみ処理政策ですら、靜岡市民はほとんど知らないということである。最終処分場の実態、「エネルギー・税金多消費型施設」のことを絶えず市民に問い続けること無しには、「円滑な効率的なごみ処理」は市民に内緒で行う「よけいなおせっかい」となってしまう。

 そして、まずごみ問題とは、ごみ処理問題=ごみを捨てる時の問題ではない、ごみを買う時・作る時、売る時の問題こそが大切だということを、市民と一緒に考え実践し、システムの構築を考えるべきであろう。捨てる時になって、やっと「これを燃やしてはもったいない」からとリサイクルしたり、リユースしたりしようと思うことは後の祭りである、手遅れではないだろうか。

 捨てる時のごみ問題より、作る時、買う時の消費・生産問題としてもごみ問題への変換が求められている。使う時・売る時・消費する時の「便利・快適・手軽」さで、商品や容器包装が決められるのではなく、捨てる時、もう一度使いやすくする(リユース)ための、リサイクルするにも環境負荷のない税金の無駄使いにならないように変わらなければならない。





2011年8月20日記         

「ゴミゼロプラン静岡」市民ネットワーク 壷阪道也