味噌屋に生まれたことを考える
ある尊敬する人が言っていた
「自分の環境を 設定だと考えてみる」
自分で選んだ設定なのか、それとも受動的な設定なのか?
だいぶ意味合いが違う
以下ラップ
みそ屋は全国に1000社ぐらいあるので、1000通りのキミがいる訳だ
その中の一人が 僕だ
1億2000万分の1000人 何パーセント計算するだけ時間の無駄だぜ兄弟
成し遂げる ためには ドンクライ
6月に 満醤油の 城君が来て
良い刺激をもらった お互いまだまだ だと思う部分もあったけど
彼ならキットいい仕事していくだろうと
味噌を調味料じゃなくて生鮮モノ、惣菜、ギフト と設定してみる
そうすると今までの流通
生産計画 変化できる気がする。下手したら価値観まで変わるかも。
調味料だから保存がきくから そこが 一番の変化の可能性をはらんでいるのでは
新しいモノを作らず新しい価値を
と言いつつ 包み紙を 印刷している、、、、。
と言いつつ CD買ってる
TBHスゴイね完全に戦わずして僕、すでに負けてますが、負けられないと思いました
「俺はラッパー あなたが再生ボタン押せば 俺はいくらでも 歌い続ける」
ちょっと 飛び出ただけだと ダメで
思い切り 飛び出ないと 意味がない
出る杭は打たれると言うが、みんな打たれやすい形の杭なのではと思う
TBHも大阪の橋本さんも 打たれにくい形の杭なのではと思う
きっと打たれ続けて 打たれにくい形を形成しているのか見出したのか、、、、。
それは、透明な杭かもしれないし、油まみれでヌルヌルかもしれない。
はたまた 刺さってる方向と同じとがった形かもしれない。
大きいイメージで
全ての「モノ」「こと」は人のイメージでできていると。
以下抜粋
人々の心の中にあるイメージの建築である。そして良くできた堅牢なイメージは、丁寧に精巧に築き上げられているのである。
イメージを走らせている根源は、錬金術でも、巧みなブランドオペレーションでもなく、事を成すという能動的な情熱の持続だ。ある時はそれは集団の情熱であり、またある場合は個人の情熱でもある。決して消えない種火の様に維持するこころざしを、生き生きとしたイメージに置き換えて人々の心や感情の奥底に届けたり浸透させたりというのが「こと」のデザインであり、自分の仕事だ。
ちょっと抜粋し過ぎ感ありますが、、、
これからの日本を原さんらしく解説してます。
大きいイメージかつ長い先のこと考えて、イロイロ進めて行こう!!



