昔はいわゆるスピリチュアルや、験担ぎとか、どちらかというとバカにしてた方だと思います。しかしここ最近、どうもそういうことが気になるようになり、そういうことに遭遇したり、そういう情報に触れたりすることが多くなったような気がします。
どういう変化なのでしょうか。何が変わったのでしょうか。自分でもちょっと不思議な気がしています。
そんな中で一つ思うのは、よくある開運アクション的なこと、あれについてもなんだか意識していないのに、結果そういうことをしてるなあ、していたなあ、と思うことがしばしばあります。なんだかラッキーなのかなと思う兆候とかも増えている気がして。
まあ、なるほどラッキーなんだ、僕は!と思っておけばいいのでしょう。でも、それにつけても、それはアクションしているからそうなったのではなく、いつも動き回っているとこういうことに遭遇する確率も上がるよなあと思ったりするのです。
神社仏閣にお参りする。だからいいことが起こる、、、のではなくて
いろんなところに行くと、ちょっとした休憩場所のすぐ近くに妙に気になるお社があったり、
タイミング的に絶妙な待ち時間があったりしてお参りに行けたり。
ちなみに最近はあまりお願いはしません。せいぜい、「また機会があればお参りさせていただけますように」ということくらい。
なぜなら、仕事で用事があってそこにきた、通ったというのであれば結構なことだし、プライベートな時間で来られたのであれば尚更結構なこと。自分へのご利益とか願うよりも、そういう仕事やお使いごとをくださった人が忙しく繁盛されて、健康でさらにいろんなご縁をくださって、もしもまたこうしてお参りできたら、そんな素敵なことはないではないですか!と思うようになったので。
お金が増えますように、といっても、確かに漠然とお金が入って、それが10億とか100億でも「いっぱいあって良かった」といいうのはあまりに間抜けな話ですね。それより、日々の燃料代が払える。それにはちゃんとお仕事来ている証拠。ありがたい限りではありませんか。そんなのが続いた方がいいし、そうしてまた来られて、地元の味とは違う美味しいものを頂けたりするだけでいい。
こうして振り返ると、そういうことにありがたいと思うようになったかもしれません。ありがたいとちょっとしたことに思うようになると、幸せなことにも「気づけるようになる」のは実感としてはあるでしょう。昔はそんなことにありがたいと思わなかったのかも。いちいちそういう小さなことに気づくようになると、それがずいぶんたくさんあって、なんだ結構幸せなんじゃない!と思えるようになったということなのかも。
そしてこれには、もう一つの教訓があります。最初は「ありがたい」「ありがとう」と全然思ってないようなことにも「ありがとうございます」と言うといい、はほんとだなということです。気持ちがないとダメという人もいますが、気持ちなくても、最初口癖にする、念仏のように唱えるでも、じきに「え、いつもありがとうって言いてるけど、何がありがたいの?」と思う瞬間があります。そうすると「だって、こんなにお天気で気持ち良くてありがたいじゃない!」という自分での答えが生まれるものです。それでそういうどうでもいいことへの「ありがたい」に対して、確かにありがたいね!と思えると、その口癖によって「気づくようになる」ということはあるのではないでしょうか。
とか、この辺りのこと、振り返ると、じっと座ってものを書いてとかではなく、忙しくさせていただき、結構な時間を移動する生活を送るようになってからこの辺りの流れが自分の中に生まれてきたと思うのです。
だから「開運のために旅に出る」「お参りに行く」年なくても、「じっとする」をやめるという意味での行動をしていると、色々と開けてくるのかもなあ。と最近ふと思ったりするのです。
開運行動で運が開けるというよりは
動くとすなわち開運行動となる。
これは選択肢が増えてきているということなのかもしれない、そんなふうに思うのです。
私たちは1日にものすごい数の選択をしているらしいですね。であれば今ここにいるということも、
ここにいない選択をしなかったからいるわけですね。そこで「おお!ラッキーラッキー」と思えることに遭遇してるということは
まあ、有り難いことですね、普通に考えて。まして3年前あの選択をしたから今この選択をするに至った、と考えると、まあ私たちは「ものすごい高周波で起きている奇跡」の連続の元で生きているわけです。だからいわゆる耳学問で学んだ確率統計の世界で考えたら、もっと悲惨なことも体験していてもおかしくないのではないかと思うのですが、それほどのこともない。こう考えると
総論私はかなり運がいいと思うに至らざるを得ないですよね。
直感を大事にしようとかも言われますが、頭をよぎる時点でその後にラッキーだとお思うことの伏線が来ているということにもなりますね。知らないこと、興味のないこと、そのほかものすごく多くの想定外のことではなく「よぎる」わけですから、その選択自体がものすごい奇跡とも言えるのではないでしょうか。
まあ、こうやって考えると、ちょっと手も足も出なくなるほどの瞬間瞬間での奇跡の連続が、私たちの日常だし、大袈裟に言えば人生なのでしょうね。深く考えないからこそ紡がれる奇跡の連続。書いてて思いますが、有り難いことしか起きてないのですね。
なるほど。
そう思うから、できるだけ「〜ない」ではなく「〜する」という方向で動くというように心がけてもいますが、とにかく開運行動
というのが特にあるわけではなく、行動するということが「開運の本質なんだなあ」とか思うようになりました。
だから前のブログで書いたような、一回往復で2,800キロの九州への車お届けボランティアだって、軽やかに出発を決められるのです。有り難いことに仕事でいけないこともある、過去にはありましたが、後で燃料代はもらえるにしても、その出発する給油のお金だって難しいことがありました。そういう状況では選択肢にはならないわけです。「お!行ける!行ってみよう」と思えること自体がもはや既にハッピーなのですよね。
元々は結構ウジウジ系で面倒くさがりなじぶんですが、こう思えばまた違ったチャレンジを自然とできるようになっていくのかもな。そんなふうに感じています。
成長しているのかは知りませんし、よくなんかスピ系の方が言われる次元が高いのかどうかは知りません。まあでも、楽しそうだと思えること。それ自体が道標なのかも。月間8,000キロほど走るようになって(年間で10万キロですよね!)今はこんなふうに思うようになりました。
だから、自分のクルマ、どんなに安いクルマでもいいし、お気に入りのクルマなんかあったら、絶対いいと思うのです。最近あまり言わなくなりましたが、ぜひ、マイカーを手に入れてください。そして、普通その時間にそんなところに行かないよなというところに出かけたら、面白い方に転がり出すかも。楽しみですね。
私が今願うこと、こう思った時に給油ができるくらいのお金がお財布に入っているといいなあと。
まだまだ先が長いから高速乗る前に(少しでも安い値段の)給油をしてから行くか、と入ってギリギリここまで!とセルフで給油してメーター見たら55.55ℓだったり!(おおおお!ってなりました)
擦り寄ってくる猫にしたって。いつになく圧が強めでしたよ!そしてこれが猫ですので🐈何かメッセージ?と思いますね!
その中に会うちょっと前、🌈というか雲自体が?彩雲?なかなか見られませんな。
こういうことも、よし!行こうと我が家から1200キロ離れた場所にいたからこそ出会えたこと!
繰り返しますが、とてもありがたい!こう思うとやはり控えめに言ってわたしは運がいいなあ。そう思った次第です。
2024年11月27日記