日本が戦争で負け始めた頃、祖母と祖父は結婚した。
祖母は有名な県会議員の娘で、19の時に30過ぎの警官と結婚し、一人の息子をもうけた。この警官は、つまり祖父は非常に頭がよく優秀な警官で、出世コースを歩んでいたが、
結核にかかり、職を辞め、岩手に帰った。
そこで、ほそぼそと農家を営みながら、一人息子を育てた。何といっても、金がなかった。
小さな畑と、田んぼをいくつか持っていて、主に祖母が働いて家族を養った。
金がなくなると、祖母の父は、その時県会議員であったので、金を無心しに行った。
県会議員ではあったが、選挙のたびに金をばらまいて、家には金が残らなかったので、ほんのわずかな金をもらうだけだった。
この子供は、まじめな男だった。趣味は絵を描くことで、主に近くの川や森を描くのが好きだった。毎日の生活は、極めて単純で、勉強するか家族の手伝いをするか、絵を描くか
近所の友達と遊ぶかであった。毎日の食卓は、米がでればいいほうで、すいとんが多かった。魚は贅沢品で、さんまが一匹出た時は骨までしゃぶりつくした。学校は、歩いて1時間30分もあるところに通っていた。成績は上といったところで、学期末に受け取る通知表を、県会議員の祖父に見せると「こいつは将来、ものになるかもしれないな」と言って、笑った。
極貧で着ていく服にさえ困るほどで、継ぎはぎだらけのボロを着ていた。
ある日、祖父が1日かけて海へ行き、さんまを7匹買ってきたことがある。なんて魚はうまいんだろうと感動した。小遣いなんてものはなかったが、たまに県会議員のうちへ遊びに行くと、数円もらえることがあり、それでマンガやパッタを買って、近くの友人と遊んだ。
大学へ行く金はなかったので、高校で就職先を探した。田舎の役場か、東京へ出るかで祖母と祖父は毎日喧嘩した。祖母は田舎の役場にいることを望んだが、祖父は東京に出すことにした。こうして父は東京に出てきた。国家公務員だった。祖父は、その件で田舎の集落から「息子を東京に売った」と陰口を叩かれた。祖父は、金がないために大学へ行かせられない自分を責め「孫ができたら、必ず大学に行かせろ」と父に言った。
父は、東京では質素で堅実だった。初任給1万2000円のうち、5000円を田舎へ送った時、祖母は涙を流して喜んだ。働いて2年過ぎた頃、父は夜間大学に通い、絵を勉強した。着実な仕事ぶりが認められ、順調に出世の階段を上っていった。
20代も終わりになった頃、お見合いの席で知り合った女性と結婚した。それまで女性と付き合ったことがないまじめな父は、まるでモデルのような母を一目見て気に入った。交際を重ねて、結婚をした。この時、祖父祖母から結婚に反対されていたが、それを父が押し切って結婚した。
2年後、双子が生まれた。すべては順調だったかに思えた。
子供が成長するに従い、家庭に不協和音が響く。母は元々、精神薄弱で人付き合いが下手な人だった。母は、子供が小学生になった頃、重度のノイローゼになった。それはどんどん重くなり、子供が大学に入る頃に、精神病院に強制入院させられた。それから薬を服用し続けている。その二人の子供であるが、どちらも精神が弱く、会社に入っても長続きしせず転々としている。父は、疲れ切りながらも公務員を定年退職し、税理士になった。そして税理士として仕事がなくなった今、家でぶらぶらすることが多くなった。田舎へ帰ってこいと田舎の集落の人から言われているが、帰ることができない。東京にいる間に、田舎との関係はすっかり冷え切ってしまっていたからだ。
苦学をして県会議員まで上り詰めた。父や祖父は、全て政治家の家系だった為、物心ついた時から、政治家になるもんだと思っていた。県会議員になってから、予算をこの村まで持ってきて、警察やら消防署やら小学校をボコボコ建てたものだから、村の人には尊敬された。彼の死後、胸像が建てられた。
祖父も貧乏の中、苦学をして警官になった。警官として東京にきて、戦争の真っただ中、上野周辺の治安にあたった。東京への空襲が激しくなり、辺り一面大火事の時、無我夢中で池に飛び込んだ。池の中に潜っていても、まるで熱湯のようだと、後年祖母に語った。
幼いころ、父と遊び仲間だった近所の男は、近年2回逮捕された。窃盗して逮捕され、2度目も窃盗し、雪の中逃げる途中で腹が減って住居に忍び込み、屋根に上って刃物を振りかざしたらしい。懲役7年の実刑だった。釈放されてからも、遠くの街へ行ててゃ豪遊を繰り返し、借金の額が膨大に膨れ上がり、肝臓売れ目ん玉売れの電話がひっきりなしに鳴った。村も愛想を尽かして、追い出せ追い出せの声が上がったが、父はそんな彼に食べ物やお金をあげて助けた。今はおとなしく生活保護を受けながら一人で暮らしている。
祖母の青春は、こんなもの。19で嫁いでから、朝早くから夜遅くまでただ働くだけ。それだけで祖母の青春は終わってしまった。60代になってから、乳がんにかかり、手術をして、70代の後半に、目の奥に腫瘍ができどんどん膨らんで、それが原因でボケて、老人ホームに入居し、2年後亡くなった。老人ホームに入居する前、1年ほど介護していたのが、母であった。
母は6人兄弟の末っ子である。母は幼い頃より自分の父が嫌いだったらしい。高校卒業し、
居る場所がなくなって、東京へ出てきて、上野の雑貨屋で3年働いて辞め、その後、美容院で働いた。そこで、お見合いがあったとの事だ。結婚して、数年でノイローゼになり、病院へ行って薬を飲んだり、水泳に行ったりするが、症状は悪化した。笑っているかと思うと突然激怒することの繰り返しで、年数が経つと過度の無力状態かヒステリックに怒るようになった。田舎に帰っている時に、祖母の顔を雑巾で拭いたとかきちがいじみた行為をするようになり、田舎の近所の人たちに抑えられ強制的に精神病院に隔離された。3週間ほどして出てきた時は、感情の一部を切り取ってしまったかのような、白痴のような笑みを浮かべていた。一生薬を飲まなければいけないとの事だが、激怒することはほとんどなくなった。悪魔から天使に変わった印象だった。