欲張り設計図 | ゴミリンのブログ

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派遣として生きてきた自分は、
ある会社に入って、ある程度具体的な人生設計図を描いた。

簡単なコールセンタから、より時給の高いセンターへの
レベルアップである。まず2年、それから転職して、もう一回転職する。それで給料500万から600万。

それしか道はないように思われた。
道をまっすぐに進むだけで、それは希望につながった。
自分に活力と元気をくれた。
少々のことではくじけない強さがあった。
いつも笑っていられた。
毎日、日経新聞を読み、しゃべるのと書くことが好きだった。
会社はいつも笑いが絶えず、楽しかった。
それは夢があったからだと思う。
そして、夢があるため、人一倍頑張る自分を応援してくれる人がいた。
大勢の人に支えられていた。上司も優しかった。
輝いていた瞬間だった。

日経新聞を毎日読んでいたため、アメリカの土地が下がっているのは
わかった。大変な時代がくるのもわかった。2006年12月に、世界の終わりのような記事がでて、そのころから警戒していたが、色濃くなるにつれて、早くここを脱出して、次のステップに進まないと、そのチャンスを失うと思い、焦って次の会社に飛び込んだ。


給料は1・5倍近いが、社風は180度違った。ギスギスしていた。
上司の理屈が理解できず苦しんだ。10中1理解できるかできないかで
苦しむ。周囲にも嫌われていた。かなり上まで、その上司の悪口を書いた書面をあげて、その上司をふっとばそうという計画があり、俺も別のルートからその上司の悪口を書いた文面を提出しようとした。死の瀬戸際まで追い詰められた同僚がいたのもあって、憤慨していた。
もしその上司がいなくなれば、ガラッと雰囲気を変えるつもりだった。
入って4ヶ月たった頃、自分は土日を任された。一人で全ての処理をこなさなくてはならない。最短のスピードだと言われた。派遣の営業に
次のポストは時給3000円と言われ、どんな困難も困難ではなかった。その上司がいなくなりさえすれば、人生ばら色だと思った。

自分よりも半年くらい先に入社した25くらいの女子社員にあごでこき使われ、なめた口で命令してくるのには、怒りを通り越して呆れたが、
3ヶ月すると何も言わなくなった。こっちはそれこそ必死であった。


まあ、上司が嫌な奴だろうと、ずっと年下の女子社員にあごでこきつかわれようと、希望があったから、すぐに黙るようになると思って働いていた。普通にしゃべれる人間は、2、3人いた。