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毎日が実験。人の気持ちがわかる人になるブログ

人の気持ちがわかるようになりたい人に教えています。
趣味はビールを飲むことと、和服を着ることと、自分の子を観察すること。
聴くチカラ検定の開発担当。

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気づきをもたらすママメンター、霜丘麻依です。

4歳の次女のイヤイヤに対して、いろんな角度から物思う毎日。。。

イヤイヤが激しかった週はそのまま具合が悪くなり、
結局インフルエンザ感染が発覚して今日まで保育園はお休みです。
機嫌が悪いのは、体調不良の前触れでもあったわけです。
そう思うと、もうちょっと優しくなれるかな^^;

一つ一つのイヤに対して、いちいち真に受けてイラッとしてたらもたないですよね。

つまり、行動や言葉ではなく、その背景にある
「なんとなくいろいろ気が進まない気持ち」に寄り添うことが、
結局はいちばん本人の苛立ちをしずめることにつながるんだと思います。

同じタイミングで、思春期の爆発の話もよく聞くわけですが、
構造は同じです。
何か、うまくいかなくて悲しい。悲しさを素直に出せなくてイライラする。

そこにもってきて親から、
否定されたり、正論で助言されたり、聞き流されたりすることがもう、
苛立ちという火に油を注ぐようなことなわけです。

だから、「そっか。うまくいかない気がして悲しかったんだね」と共感。

まだ4歳なら、そのあとじっくり、
「こうやったらうまくいくかもしれないかな?」「これはどうかな?」
って付き合って、少し手を貸しながら満足な結果に導くこともできます。

思春期ではこれはやっちゃだめですね。

共感した後は、「自分でいい答えが出せること、信じてるよ」と伝えるのがいいと思います。

自分で解決ができることを本人が信じられたら、
苛立ちっておさまるのです。

ママは、いつだって応援する役割。
ただし子どもの年齢で、手出しする割合はかなり変えていかなきゃいけないのですね。

4歳の次女も、姉に比べて自分はできない。。。
という現実と向き合わなきゃいけない葛藤があるのかな。
それでも長女の同じ年齢のころより、なんでもできるんですけど。

競争より、認め合う、そんなきょうだい関係を目指してできることを考えていきたいです。


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今日の晩ご飯
一昨年、いただいたソーダストリーム。

物珍しいうちは、パーティとかに持ち込んだりしてましたが、
イベント的な出番は最近減ってきました。

最近その存在を思い出したので、
日常使いにして、炭酸コストを減らしてくれる本来の役目を果たしてもらおうと思いまーす。
結婚以来我が家はずーっとビールの消費量が激しいため、
大人のハイボールにチャレンジしています。

きんきんに冷やした水を使うと、よく炭酸が混ざるようですよ♡

あまりたくさん炭酸を入れすぎて、
つくったそばからほとんど抜けていく感じもあります。
つくってすぐ飲む。
毎回つくる。
贅沢です。

義母宅から持ち帰ったナチュラルなレモンを搾って、
とっても満足です^^

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長女の小学校が属するブロックの、本部会長・副会長会に出てきました。

今回の議題は、本部の仕事内容と引き継ぎについて。
時節柄ね~。

働くママにも本部役員をしてもらう前提だと、
本部業務のスリム化が当然のように課題となるんだけど、
うちの学校にはまだその波がきていないなーってここにきて思います。

でも、効率化するばかりがよいことでないのは、確かだからね。

そして、今日の感想としては、
昭和的文化ではあるけれど意外とうちの学校の仕組みは合理的であるなあということ。

個別には、もちろんもっとやりようがあるところもあるけれど、
全体の枠組みとしては歴史が古い分、
きちんとした仕組みが作られて引き継がれているので、
あまり大きく改善する必要は当面ないってことのようです。

今日、会場になった学校の校長先生がおっしゃっていたけれど、
PTAって学校の個性を味つけする存在なんですね。
学校と家庭が一緒に取り組んで教育を見つめていく、
このこと自体には、大きな意味がやっぱりあるなあと思いました。

未就学児のうちから、校区の学校はどんな考え方なのか、
情報収集するのもいいと思いますよ~。



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気づきをもたらすママメンター、霜丘麻依です。



子どもにガミガミいわなくても、
子どもが親の言葉をちゃんときこうとする。

くどくど問いつめなくても、
自分の気持ちを話してくれる。

そのためにまず一番大切なことって、
"共感的であること"かもしれません。

最近すこし困ったちゃんである次女と、
同じ年齢の時の長女への私の対応をよく考えています。

端的にいって、
次女には「ダメ」の一言で済ませてしまうことを、
長女の時はかなり時間をかけて、
「「キラキラですてきだからやりたくなったんだね(共感)。
でもごはんのしたく始めちゃったから今は、できないなあ(説明)。
ごはんのあとならできそうだね(見通し共有)」
と丁寧に対処してたのだと思うのです。

次女がすねてむくれてワガママを言い始めた時に、
私が少し余裕をもって共感的な言葉をかけると、
次女もわりと素直になって落ち着きます。

共感的に言葉をかける、
というのは、
つまり相手を否定せず、今の気持ちを言葉で表すことですね。

「ママのことずっと待ってて、さびしくなっちゃったんだね」
「おもしろそうだから、これがしたいんだね」
「自分でやってみたいのね」

赤ちゃんに対しては、
自然にやってるママはすごくいっぱいいると思うんですよねー。
子どもの年齢が上がると、どうもかなり難しくなるみたいです。
無意識ではできません。

意識していても、きょうだいができたり仕事に気を取られたりすると、
全然できなくなります(T-T)

でも、大人同士でも、共感のあるなしって大きいですよ。
周囲に共感的な人が思い当たれば、
ぜひ真似してみてください。

親が共感的に子どもに関わると、
子どもも人の話をちゃんときける子になります。
生きる力の土台となるコミュニケーション力ですね。

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気づきをもたらすママメンター、霜丘麻依です。

昨日「思春期の嵐、その時ママは?」の記事をかいて、
読み返して思ったのですが、

わざと相手を傷つける行為の目的のもう一つは
相手に「自分のほうが傷ついているのよ、わかってよ!」という叫びであることも、
あるなあと思いました。

単に優位に立ちたい、それだけではなく、
傷つけた相手を試しているという論理です。

傷つけ合うことに依存し合う「共依存」という関係ともいえます。
お互いが自分の存在価値を、歪んだ形でぶつけあってしまうのですね。

程度によりますが・・・
つまり、ママが傷つけられても、幸せを感じている場合は、
それもありだと思うのです。

必ずしも長く続くわけではないかもしれません。
お互いにそういう時期も人生にはあるかもしれないという気もします。

人間、親子も含めて人との関係は、
長い時間をかけて動いていくものですから。。。
いつもいつも、健康的でなくても、いいのかもしれません。

大切な相手を傷つけた経験は、ある意味、人間を深く耕します。
相手に受容されたとしても、拒絶されたとしても、
結果はどちらでも、そのとき課せられた人生からの学びです。

そう考えるとすべてのことが、
問題というよりは「気づくべき何か」のための試練のようにも思えます。

流されるのをやめて、自分に向き合った時に、
必要な答えが得られるのではないでしょうか。

1人で向き合うのがこわかったら、
いつでも声をかけてくださいね。

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