ようやくミラノのこと〜その④ | イタリア・フィレンツェでいまを生きる

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ハッと気づいた事、日々のこと。
ちょっと特別なことなど書いています。職業は「ぴろこ」です。

 

ようやくミラノのこと〜その①この記事と

ようやくミラノのこと〜その②

さらにはその③の続きです。

 

 

いや、続きというか・・・回想録だな

けいこさんがその記事を受けてまた素敵な記事を書いてくださりました

 

 

今まではあまり語る機会がなかったのですが、

2003年の秋から4ヶ月余りの短い期間ではあったものの、ミラノに住んでおりました!

 

短かったとはいえちゃんと届け出だして学校に通っていました。

滞在3日目にしてはりきって大家に「今日警察に届け出だしてきた❤️」

と言ったらめっちゃ慌てだして、当時警察官のルーチョさんと付き合っていた大家さんの彼女は彼に頼んで「うまくやって」もらったみたいです(汗)

 

なんせ、裁判官になる為にめっちゃ勉強してましたからね〜〜

あぁ、アンナ、元気かな???

 

 

こういう風に思いついた時に連絡すると良いんですよね〜

でも、さすがに10数年前の下宿人まで覚えたられないかな?

斡旋してくれたのは、ブレア地区にあるイタリア語学校の IL CENTRO.

 

なんと野菜ソムリエ&雑穀エキスパートの料理教室主宰けいこさんも通っていたとかでビックリ〜〜

 

ね、深いでしょ。

 

そして、彼女の住んでいるお家の一つ先のブロックにそのアンナの家があったのです!


 

 

いや〜びっくりしたな。

 

 

相変わらず、緑が豊かで住むのにも観光にも最高の場所。

このさらにワンブロック先にはミラノでもイタリアでも重要な新聞社があります。

 

このアパート・・・実は当時数年間pen palをしていたイタリア人の男友達のお姉さんのアトリエもあったんです。

お姉さんは新聞などでも活躍する有名なイラストレーターで、私が行く3年前に病気で亡くなられたのでした・・・。

よりによって、その死を知らせた彼から私への手紙が、こともあろうことか、

イタリアから間違って「船に乗って」半年後に到着したので、その間

「最高に不躾な事をしたペンパル」として存在していた私・・・

 

 

もちろん、事情を手紙に書いて(まだメールもなかったんだな)謝ったのを今でも覚えています。

 

そして、彼のお姉さんの死を知って、飲食業の激務に倒れ、「このまま死にたくない・・・」

と思った私は「死ぬ前にイタリアへ行く!」と決めて学校探しを決めたのはミラノでした。

 

その頃にはペンパルの彼、仮にPくんとしましょう(笑)彼とも仲良くなっていたので、学校とのやりとりなどもお願いしました。

心強かったな〜ジモティの存在は。

 

入学手続きもすみ、下宿作も確定した時に(そのころはようやくEメールでやりとり出来てた!)住所を告げると、

「えええ〜〜〜!!!それお姉ちゃんのアトリエと同じ!」と大騒ぎ。

 

いや〜ビックリしたな〜。

ちなみに彼の実家は電車で45分くらいかかる郊外にあったので

その町に住む事は考えた事がなかった・・・。

都会を満喫したかった。

 

ってことで、ワックワクでやってきたのがまーさーに2003年の11月でした

わーい!丸13年経つんですね〜〜

 

 

お祝いせねば。

 

 

 

そのアパートからは歩いて中央駅まで行くのにもちょうどよい距離だし、

周りにはスーパーや美味しいパン屋さん、バールでいっぱいだし、

ドゥオモまでも美しい景色を見ながらの最高の立地でした。

 

徒歩圏であんな名所が回れるところまずない!!!

 

 

他のクラスメイトよりも100ユーロくらい下宿代が高かったのだけど、

今思えば本当に価値のある下宿先だったなぁ・・・

 

大家さんのアンナがいないときは友達を泊めても良かったし、

窓の外を見れば賑やかなメルカートが開かれていて楽しかったし。

 

 

ただ・・・Pくんとはどんどん疎遠になりました(苦笑)

めちゃくちゃ仕事の忙しい時期で、会うこともなくなり・・・

 

イタリアへ行けばもっと仲良くなれると思ったものの・・・

そうは問屋が卸さなかった(笑)

 

あれなんでしょうね〜・・・・

 

 

近くで過ごしてみて、「ひゃっ!思ってたのと違ったっ!!!」

って結構すぐにわかってしまったというか・・・。

 

あ、私サイドだけでなく向こうもね。

 

こればっかりは仕方ないですよねぇ・・・。

ちーん。

 

でも、彼のおかげで「レイキ」の存在も知ったんだった。

日本に会いに来てくれて、一緒に臼井先生が悟りを開いた鞍馬山に登ったし。

父の百か日に出席してくれて、納骨もしたしね〜〜

 

家でハープを弾く人だったなぁ・・・

 

どうしてるんだろう・・・(笑)

 

 

 

 

でも、ここでうまくいってたら、モシモシさんとも出会ってないし、

ムスメのマリナとも出会えてないしね。

 

 

あ〜なんかあかんかったな〜〜〜さ、日本帰るべ。

と思ってるときに、ロンドンから日本で女医をやっている友達が訪ねてくれることになって、彼女とトスカーナの温泉に行くことにして、

大きくハンドルを切り替えたのを今だにハッキリ覚えています。

 

それについて書いたのはこちら

 

 

2008年の私よ、ありがとう!!!

めっちゃ詳細に書いてくれててすっごい嬉しい!

今はすでに忘れちゃってることも鮮明に思い出せた(笑)

だからやっぱり忘備録はちょくちょくつけないとな〜

新月にふさわしい決心ができました(いつも言うてるけど)

 

 

やっぱりブログはいいね〜

書き続けるものですね・・・

 

 

あと2年で10周年です。

 

そうそう、ブレア地区をぶらぶらしているときにモデルさんの撮影現場にであいました。

日本人のスタッフの方がおられたので、日本の雑誌かな??

聞けば良かったな〜

やっぱり絵になる場所なんですよね〜・・・

 

 

 

ミラノ、これから益々お世話になる街だと確信しています〜〜

これからちょこちょこ行くんだー

そして思い出の発掘もするんだ〜

 

 

ミラノ在住の皆様も、そうでない皆様も(笑)

どうぞよろしくお願い致します〜〜〜!!!

 

 

ミラノに寄せてのシリーズ、これにて終了❤️