第二次大戦当時の各国火砲を中心に展示してありました。
まずはその一部をここで挙げていきます。


45mm対戦車砲(ソ)。上は1932年型、下は1942年型(又は37年型か)。
上のと同じ砲がBT等にも搭載され、ノモンハンでは日本戦車を餌食にしましたが
それでも貫徹力には不満が残り、長砲身化した下の砲が開発されました。

ZiS-3 76.2mm野砲(ソ)。通称ラッチュバム。種別は野砲ですが実質対戦車砲。
東部戦線では本砲を大量投入し、ドイツ機甲部隊を大いに苦しめました。
独ソ戦初期は特に大口径対戦車砲の乏しかったドイツ側もその優秀性に注目し、
鹵獲された大量の砲を、薬室を改造して自国の砲弾も利用できるようにしたり、
対戦車自走砲などにフル活用しました。
別の見方をすれば、そこまで大規模に鹵獲品を取り扱える程に
ドイツ軍は多くの敵を相手にしていたという訳で、数の暴力って怖いですね。

4.5インチ多連装ロケット発射機(米)
大戦末期、欧州戦線に投入されましたが、対日戦には参加していないようです。

九四式三十七ミリ速射砲(日)。
ノモンハンでは多くのソ連戦車を撃破する戦果を上げたものの、
以降の各国戦車の重装甲化には追随できず、後継速射砲の配備の遅れもあり
終戦までの間、第一線にて苦戦を強いられる事になりました。
通常、本砲は鋼製車輪を使用していますが、こちらに展示してある物は
木製ホイールになっています。現地改造品かは分かりませんが
これにより試製砲と誤認されていた時期もあったようです。

左・82mm迫撃砲 1937年型(ソ) 右・試製155ミリ迫撃砲(日)
左はドイツ軍の81mm迫撃砲弾を使用でき、逆に敵には利用できない優れ物。
右は日本の試作重迫撃砲のようですが、詳細は不明。後方の箱は弾薬車かな。
この他、各種迫撃砲、自衛隊で使用していた35mm連装高射機関砲等が
ありました。一通り見終わり、隣の火砲館に入ってみようと思いましたが、
その先の立入禁止エリアにも、重砲が野ざらし状態で置いてありました。

米軍供与の155mm榴弾砲M1(左)および105mm榴弾砲M2A1。
左は自衛隊でも長く使用されていたM2の一つ前の型。
右は現在でも、観閲式や富士の総火演などといった各種式典において
礼砲として使用され続けています。
さて、それでは火砲館に入ってみる事にします。

九四式三十七ミリ速射砲の通常版。先程の物より頑丈そうな車輪ですね。

九四式の後継砲である、一式機動四十七ミリ速射砲。
九四式は分解し馬で挽く事が出来たのに対し、こちらは完全に自動車牽引式。
本砲でもM4の正面装甲貫徹は困難でしたが、地形を巧みに利用して偽装し
歩兵とも連携しながら、側背面等弱点を集中攻撃して対抗しました。

四一式山砲。山砲という名の通り、急峻な山地や密林地帯等に持ち込むため
馬に載せたり挽いたり出来、分解すれば人力による運搬も可能でした。
日本では自動車化が遅れており、終戦まで馬が主な運搬手段だったので、
同様のメリットを持つ新型の九四式山砲や九二式歩兵砲などと共に、
日本軍で最も多く使用された火砲の一つと言えます。
大戦後期に配備され始めたタ弾(成形炸薬弾)を使用すれば、
対戦車砲として使う事もできたそうですが、ごく少数だった事と命中率の問題で
実際の所、あまり戦果は期待できなかったんじゃないかと思います。

九一式十センチ榴弾砲。
軽榴弾砲としては良好な性能を持ち、大戦間を通じ師団砲兵の主力を担いました。

鹵獲クルップ砲。日清戦争で清国から鹵獲した12センチ砲です。
一応、克式十二センチ榴弾砲という名称も付けられたようです。
他にも、三八式野砲とその改造型、四年式十五センチ榴弾砲などといった
珍しい物を見る事ができました。
最後に、資料館の方にも江戸時代から現代に至るまで、大量の
小銃、機関銃、拳銃などがありましたので、おまけとして一部を紹介。


62式機関銃の試作品。上が1956年、下が59年の製作らしいです。
ちょっと違うけど、下の方は量産品にかなり近くなっていますね。

右から九八式高射機関砲、九八式旋回機銃、九七式七ミリ七固定機銃。
高射機関砲は、砲架や弾倉、照準装置などが外されていて不思議な感じ。
中央の旋回機銃は主に、爆撃機などの自衛装備として使用されました。
固定機銃の方は零戦の副武装になった物ですね。

九九式二◯ミリ二号四型固定機銃。
零戦五二型など、戦争後期に登場した各種機体に搭載されています。
20mmクラスになると大きいですね。ちなみに海軍では39mmまで機銃扱いでした。

九八式射爆照準器(中央の装置)。
零戦のコックピットの模型に設置し、臨場感を上げてあります。

視線が照準環内に上手く収まると、このように赤いレチクル映像が浮かびます。
この時は順番待ちがあったため急ぎながらの撮影でしたが、
せっかくならもっとビシッと敵機を捉えた写真にしたかったですね(^^;)

1930年式要塞用ライフル。日中戦争で鹵獲したものらしいですが詳細不明。
全長3m、銃身長2.4mという巨大さがインパクト抜群でした。口径は20mm。
これだけ大型になると、銃架が必要だったと考えるのが自然ですが
一体どんな風に運用していたんでしょう。謎です。
この資料館では、ここでしか見られない激レア品盛り沢山で楽しめました。
小火器が特に好きという方なら、半日はいられそうな場所です。
これにて火砲編は終了です。次回は最終回として、
あとがきというか雑感的な物を書き、一応の締めくくりとさせて頂ければと。