網を沈め堀江において、物有り。網にいるその形、子供の如し。魚にあらず、人にあらず。その名を知らずー日本書紀:推古天皇27年、秋7月。
ご無沙汰していました、ご訪問ありがとうございます!
3月22日(金)に、ガイドヘルパーさんと、和歌山県の世界遺産・高野山の麓にある『学文路苅萱堂』へ行ってきました。
ヘルパーさんが事前に下見に行かれており「砂利なので厳しいかもしれない」とのことでしたが、新作小説の題材が人魚である為
学文路苅萱堂にある人魚のミイラは、和歌山県指定『有形民俗文化財』というのもあり、表現者としては寺の入口だけでもとお願いし連れて行って頂きました、感謝!
さて道中、抜け道ということで、大阪の有名心霊スポット・犬鳴山トンネルをくぐり(←)1時間半くらいで、西光寺に到着。
学文路苅萱堂までは、かなりの傾斜だった為、上で車椅子の私を降ろし、ヘルパーさん駐車場へ。
丁度良い気候で薄青空の下、自然豊かすぎて、人気はまばらで全く煩くなく、鶯が鳴き癒されましたぞ。
寺に着くや否や『石童丸物語』のパネルが先ず目に入る。
実物の撮影許可は無理だろうし、聞かずにお堂の表にかけられている人魚のミイラの絵?を、代わりにドーン。
因みに、実物の『人魚のミイラ』は木箱の中に収められており🧜♀️
ヘルパーさん曰く「あの黒い絵よりも怖い。思ってたより大きい。苦しんでるような表情」と、口頭で説明してくれ
住職さんも「そうですね、こちらをご覧になられた皆さんは、思っていたより怖い、と仰る方が多いですね」とのこと。
加えて、頭部に少し毛が残っていることや、下半身の鱗、鋭利で乱雑に生えた歯なども、住職さんとヘルパーさんが、丁寧にサポートして下さったおかげで、心眼で観察した所存。
学文路苅萱堂に奉納されている人魚のミイラは、前述しましたが、和歌山県の『有形民俗文化財』になっており、都道府県で伝説の生物が文化財になったのは、これが初めてなのだとか。
さて、初見であったものの、フィギュア収集が趣味の1つでもある私。
「ほうほう、全長は約60cmくらいかな...中々厚みもある。下半身のこの凹凸は、分割線かな?肋骨の辺りの彫り込みが、高額のゴジラ系フィギュアっぽい...(←2度目ですが心の声)」と感じつつ
住職さん、人魚のミイラが収められている箱を、より見やすいようにか、持たせて下さいました。
(勿論、住職さんも箱の半分はきちんとお持ちになっていましたが)
え!いいの?私和歌山県民でもないのに!?と、胸中で始終頭が下がりっぱなし。
ところで、この寺の人魚のミイラは『日本書紀』に記載されている
推古天皇時代の滋賀県・蒲生川で捕らわれ『蒲生川に物有り。その形人の如し』。
また同年、摂津国•堀江(大阪府大阪市)に流れていた川にて、冒頭に書いた文章→人でも魚でもないものが網にかかった、とも記されている模様。
住職さん曰く、元々このミイラ自体は、石童丸の母方の家宝だったそうですが、日本書紀に残されている時代と場所が一致することから、日本各地に数体人魚のミイラがあるにも関わらず、文化財に指定されたのでしょうか。
そんなことは知らんふりして、住職さんと接してたのは内緒←
有形民俗文化財という側面を抜きにしても、この逸品は、ある種のアート🐒🐟
それから、先日の記事にて新作小説の題材が''人魚''だからという点で足を運んだことと「自分が体感、経験したことを基に、文章に書き起こしてリアリティを出したいという想いもあります」と話すと
住職さんも「ああ、そうですね。僕も実際に経験したことを交えながら話す方が、参拝に来られる方々が、より話に耳を傾けてくれるような、そんな感じはしていますね」と仰っており
人生、どんな分野でも実体験から勉強せねば、成長しないなと、改めて痛感。
それから、住職さんに、母の父方の家系の話を、家紋と苗字を検索したら一発ヒットしたが胡散臭い。大阪大空襲までは代々家宝として日本刀が存在したこと、和歌山の新宮市に所縁があるなど、私が知っている情報を出し「本当にそんな武家って存在したんでしょうか」と尋ねると
住職さん、何度も頷きながら「あああ!マニアックですね、いらしたと思いますよ!」と
先祖(ルーツ)探しのきっかけとなった、ドラマ:SHOGUNの話も交えていたせいか、自分でも何言ってんだコイツみたいな質疑応答になり、途中誤解を招きましたが
火のない所に煙は立てたくない為、詳細は書きませんが、毒母の父方の家系は、神宮市に縁がある由緒正しき『武家』だった、というのは本当だった様子。
現代では、な〜んの役にも立たない真実(ごめんなさいでも事実)ですが、私にとっては創作のインスピレーションにはなる情報。
ところで、その話をしてる間、ずっと人魚のミイラを収めた木箱を持たせて頂いたままでしたが
以前は他の都道府県に、出張展示などもしていたと。
しかし、やはり貸し出しているとどうしても傷んでしまうので、現在は学文路苅萱堂にて奉納しているそうです。
最後に、今回の経験から良い作品創りのきっかけになるよう、想像を膨らませますと、住職さんに言うと
「いえいえ、このお寺が何かを生むきっかけになれたら」と、常に温和な話し方をなさる住職さんだったのもあり、対談しているだけで心が浄化されました。
最後に、私は前情報で、とあるYouTuberさんの動画で、学文路苅萱堂の詳細を知り
学文路苅萱堂から出版されている書籍の話を持ちかけると、 3冊の本をお堂の中からわざわざ持参して、それぞれの書籍の説明もして頂き
各300円、800円、1000円と結構なお値段でしたが、下記の2冊を購入(合計1300円)⬇︎
お堂の中にあったせいか、冊子に線香の香りが染み付いていましたが、資料の一環と、寺へのお布施も込めて。物理的に、お賽銭払えなかったし。
小さな冊子の方に、日本書紀に出てくる滋賀県の人魚の話が、ちらっと書いてました。
そして「折れないように、袋か何か頂けませんか?」とお願いした所なんと住職さんの母上が、わざわざ家の中から袋(お寺専用の袋はないみたい)を、手渡して下さり← 写メをご覧あれ。
帰り際も、車椅子で段差を持ち上げ降ろしてくれたりと、もう''ありがとうございます''という単語以上に感謝を表す言葉はないのだろうかと、頭が上がらず、丁寧に接してもらえて
お金で買えない価値とは、真に人の気持ち。
なんと礼を申し上げてよいやらm(_ _)m
とても温かい胸中で、寺院を後にしました。
さて、長文になってしまい恐縮でしたが、歴史ある場所は、やはり独特な空気感と、文化財や世界遺産に登録される物はなんであれ、自分の肌で触れてみるのが一番であり、思わぬ人間の心の温かみに触れることも出来ると、改めて感じました。
連れて行って下さったヘルパーさん並びに、学文路苅萱堂の御一家、貴重な経験をどうもありがとうございました🧜
この経験、必ずや小説の執筆に役立てたい_φ(・_・