初の民主党出身の鳩山由紀夫前首相によって口火が切られ、現在実現化が進められている子供手当て。


世界の全ての子供達には平等に教育を受ける権利があるという考えには私も賛同するし、また教育は本来そうあるべきものだと思っている。


だが、光ある所には必ず影もある。そこで私はこの政策が将来もたらすであろう弊害を論じたいと思う。


まず第一に、子供手当てによって、全国の全ての公立高校の授業料が無償になる件についてだが、全国の高校生の中には、単に友達と遊びたいとか、世間体を保つだけの理由で、全く勉強するつもりが無いにも拘わらず進学を決めた者達もいるはずだ。


勿論、最初はそうであったとしても、高校生活の中で自分の生きる目的を見つけていく場合もあるだろう。


しかし、そのような理想の高い学生は、偏差値の高い高校には一定数いるだろうが、無試験で入れるような高校にはそう多くは存在しないであろう。

何より、この政策によって益々国民の負担が重くなる事は避けられない事実である。


したがって、このような者達の為に、社会人の血税を利用するのは、いささか税金の無駄遣いと言っても過言ではないのではないかと考えてしまう。


そこで私は、各都道府県の偏差値上位三校の生徒及び、他の高校の成績上位10%の生徒及び、以上に該当しないが、自分なりの目標に向かって日々精進している生徒の授業料を無償したほうが、本当の意味での平等な教育に近づけるのではないかと思う。


第二にこの政策によって、一家庭の親が一人の自分の子供に賄う養育費は確実に減る。


この事は、一見良い事のように思えるが、本来我々は、確固たる経済基盤が確立していない限り、子供を作ろうなどとは考えるべきではないと私は思う。なぜなら、親は、自分の子供に十分な教育を受けさせる義務があるからである。


この政策によって、「私たちは愛し合っているから子供を産む。なに、いざとなったら国が何とかしてくれるだろう」などと寝惚けたこと言って自分たちの将来について何の見通しも立てておらず、更に、この世で最も尊いものである生命の重みを蔑ろにする愚かな若者が増える可能性も否定できない。


政府には、子ども手当によって教育の平等を目指す際に、以上のようなその政策がもたらすであろう将来起こりうる弊害についても深く考慮してもらいたい。






この物語は、甲子園未出場の高校の一人の新人女子マネージャーみなみが、親友への恩返しの為に、ドラッカーの「マネジメント」を基に、甲子園出場を目指す記録である。


初めは、部員達はまともに練習に参加しないのが当然で、みなみに心を開く者は皆無であったが、起業家志望の部員、正義との出会いをきっかけに、「マネジメント」における「組織」や、「顧客」や、「専門家」等の用語が、野球において何に対応しているのかを徐々に理解し、それを行動に移し、それに伴って部員達も次第に心を開いていき、練習に真剣に参加するようになり、最後に見事、親友との約束通り、みなみは野球部を甲子園に導く事に成功する。


ドラッカーの著書には、難解な表現が多く、得てして大企業の社長や、政治家等の一部の社会的に高い立場の人々のみに適用できる書籍と考えてしまうが、本来、人数の差こそあれ、自分達の行動によって社会全体に影響を及ぼす組織があれば、それは立派な企業となるため、本来ドラッカーの著書は、社会活動をしている、又はこれからしようとしている全ての人々が読むべき書籍なのである。


本書では、野球部のマネジメントという、比較的身近な題材に対して、ドラッカーの意見を適用しているため、この本は、ドラッカーと一般人との架け橋の役割を果たしていると言って差し支えないだろう。 


現在の日本社会は、以前のような高度な経済成長は完全に衰退し、今後の発展が見込めない状態にある。


このような時代だからこそ、一人でも多くの多くの人々が、この本をきっかけに、ドラッカーの考えについて深く理解し、それを基に自分なりに考えて実行し、自分たちが属している組織、引いては社会全体に対して大きな影響を及ぼす一人になっていくことを願う。



























桜の開花が報じられる時期となりましたが、大震災の影響により、花見の自粛ムードが広がっています。


被災地の人々が深刻な状況にある中、自分達だけが新春の訪れに饗宴する事は気兼ねするという大衆の感情はもっともですが、果たしてこれで良いのでしょうか。


事実、宴会を極度に自粛すると、花見業界の利益が減り、結果的に義援金が集まりにくくなるという悪影響をもたらしている事が判明しています。


結果的に被災者の為になるのならば、過度に宴会を自粛するよりもむしろ、被災者の方々にエールを送るつもりで、通常通りの宴会をしてもいいのではないかと私は考えます。


今回の事に限らず、私達は、しばしば自分の感情に流され、結果的に実利的な面で損をしがちだと思います。


例えば、身近な例で恐縮ですが、自分は今まで個人的に好きになれない人の助言はあまり真剣に聞かない傾向にあったのですが、今考えると、そのせいでかなり実利的な損失を被ってしまったため、あのとき素直に助言を受け入れていれば、と後悔する事があります。


確かに、人間は生きている限り、自分が感情の生き物であるということからは逃れられないのは当然の事実です。


しかし、自分が感情で物事を判断しそうになるその瞬間にこそ、一度冷静になり、長い目で見ると、今どのような選択をするのがベストなのかを考える必要があると思います。


感情に流されそうになる瞬間の行動判断の基準を熟慮する事を心掛けるだけで、結果的に得な人生を送る事が可能になると思います。