私達日本人は、学生生活における部活動や勉強を通して、努力する事の大切さを教えられてきた。


しかし、私はこの風潮にいささか疑問を呈す。


私は、本来努力というものは、単にある目的を達成するための手段に過ぎないと考えている。


すなわち、理想の自分というものがしっかり確立しており、それに見合った結果を出していれば、無理に努力する必要はないと考えている。


逆に、結果に結びつかない努力もする必要がないものだと考えている。


しかし、現実的な結果に全く目を向けず、ただひたすらに努力することを美徳化している大人たちも多々いる。


だが、社会や顧客が求めるのは飽くまでも実績であり、たとえ血の滲むような努力を払ったとしても、その結果が顧客のニーズを満たしたものでなければ、それは無意味なものになってしまう。


したがって、私は、努力というものは、まずは自分自身の明確なビジョンを設定し、そのビジョンを達成するための最も効率の良い計画を設定したうえで実行に移すべきものであり、決してそれ自体を目的にするべきものではないと考える。


勿論、懸命に努力して、 望んでいた結果が得られなくとも、それはけっして無駄なものにはなるわけではないという考えもあるだろう。


しかし、人間の一生は有限であるため、不毛な努力に一生を費やし、全くうだつの上がらない人生を送ってしまった人間も多々いる。


これは持論だが、鬱病になる人間は一般的にこのタイプの人間が多いように思う。


したがって、人が鬱病になる主な原因は、結果に結びつかない努力を無理に続けることにあると私は考える。


以上より、私は、小中学校では、努力することの素晴らしさよりも、自分の望む実績を出すためにはどのように努力すれば良いかを優先的に教育すべきだと思う。


国民の一人一人が、自分に合った正しい努力の方法を確立すれば、鬱病になる人を完全になくすことは不可能だとしても、今より減らすことは可能だと思う。



科学技術の目覚しい発展により、今日の日本社会は戦後間もない時期とは比べ物にならないほど発展している。


しかし、このような社会でも、未だに解決できていない社会問題が、この国には多く残存している。


今回は、そのうちの一ついじめについて、考えたいと思う。


私は、いじめの根本的問題は、社会における理不尽な上下関係に起因すると考えている。何故なら、人は、自分より弱い者を虐げることによって喜びを見出す生き物だからである。


事実、自分の価値観を無理矢理押し付けるような親の元で育った子供は、学校では自ら率先して自分より弱い生徒をいじめて、家庭での鬱憤を晴らしているケースも少なくない。


弱者が居なくなればいじめは根本的に存在しなくなるという私考えが正しいと仮定するならば、いじめをなくす為には、従来の日本特有の縦社会を変える必要がある。本来、たとえ自分より上の立場の人間だとしても、嫌な人間に無理して媚を売る必要はないと私は考える。


縦社会を変えるためには、子供の一人一人が自分の主体性を確立できるように、幼い頃から個人個人が自分自身に与えられた役割を発見できるように日本の教育制度を根本から変革することが最善の方法だと思う。


そのように育てられた子供が成人し、一人一人が自分に与えられた役割を果たせられるように努力すれば、私たちは自分に足りない能力を自ずと自覚するようになるはずである。


一人一人が自分の強みを生かすことによって、他人の弱みを補うことができる新たな社会が誕生すれば、理不尽な縦社会は衰退し、いじめは自然と発生しなくなると思う。




世界の国々の中でも、殊に日本は、古くからの伝統を重んじる傾向のある国だと思う。

確かに、先人達が心血注いで築き上げてきた伝統を維持する事は、日本に生まれた人間として当然の義務であることに異議はない。

しかし、先の未来への発展の為には、古くからの伝統を破壊して新たな思想、文化を創造する事も多少は必要になってくると思う。

古くからの秩序を破壊する事によって世の中が良くなった実例も、今迄の歴史の中では多々ある。

例えば、江戸時代迄の日本社会は、士農工商の身分制度によって成立していた。

この身分制度によって、ある程度の秩序は保たれていたと思うが、人々は生まれながらにして自分の住む世界が殆んど決定されてしまっているという問題点が生じていた。

その後の大政奉還によって、幕府は政権を朝廷に返上し、日本国民は全て天皇の下に平等であるという新たな社会制度が創造され、更にその後、国家の治安を維持する為の新たな法律が制定され、今日に至っている。

このように、私は、世界を本当の意味で良くしていく為には、既存の伝統を破壊する事も多少は必要だと確信している。


確かに、人間は変化を嫌い、惰性を好む生き物であるが故に、長い間社会の秩序を保ってきた伝統を破壊する者は、周囲から辛辣な批判を受けるであろう。


しかし、それでも私は、今ある現状に満足せず、より良い世界にしていくために日々精進していきたい。


たとえ既存の価値観を破壊することになったとしても、その代わりに創造される新たな価値観によって、これからの世界を生きる人々の生活が少しでも良くなれば、私はそれでも構わないと考えている。


私は、既存の価値観に決して満足せず、常に世の中の在り方に疑問を持ち続け、現状をより良くするためにはどうすればよいかを自分なりに考えて率先垂範できる人間になりたい。