昨年12月9日に、旧東海道屈指の趣ある宿場である関宿から、前回シリーズの伊勢参宮道の津宿までを結ぶ伊勢別街道を歩いた記事のその9です。今日、ちょっと試験などを受けていた関係で更新がずいぶんと久しぶりになってしまいました(^^ゞ。
当日歩いたコースは↓。
歩いた距離は寄り道含めて20kmちょっとくらい。
その8では、伊勢参宮に関する不思議な言い伝えのある銭懸松のお堂を訪ねた後、渋い平屋看板建築の、廃業した美容院を愛でた後、県道に合流したところまでをご紹介しました(↓再掲)。
その少し先で伊勢別街道は県道から左に向かってY字状に分岐をするため、前もって左側に移動しましたが、やや路肩が狭めで通り過ぎるクルマがとっても近くに感じられました(^^;)。
このY字路で左側の細い旧街道に分岐します。
奥行きがやたらと長い、いかにも街道筋っぽい蔵のある家がありました。
隣は真っ平らな更地でした。
うねるような道筋は街道っぽくて良いです。
これは自宅敷地内に喫茶軽食を建てた、、というより自宅敷地の隅を利用して喫茶店を開いたものの閉業して、店の駐車場だったところを塀で塞いじゃったんですね。
向かって左側の装飾用に設計したっぽい屋根のデザインが面白いなあ。
その先の街道右側にある民家のお庭に「式内 多為神社」と刻まれた石標と、小さな社がありました。
ググってみると、多為神社とは岐阜県関市にあるこちらの神社を指すようです。なぜ津市内の民家にこの社標があるというのは、もともとそちらから移住した家系とか、、?
何となく古くからの地名っぽいバス停を見ると激写してしまいます(^^ゞ。
その先の街道右側にある古民家を改装したらしいヨガ教室。
手前側スペースの奥が教室の駐車場らしいのですが、、
何か広っ(≧∇≦)!
その先で伊勢別街道は桝形っぽいルートのクランクを通り過ぎますが、、
上の写真で見切れている左側の少し奥(細道を少し入ったところ)に、野崎地蔵堂があります。
残念ながら修繕中のようで少々物々しい雰囲気でした。右端の少し屋根が低くなっている部分は、小さな別のお堂のようで、ガイドブックには「傍らの小堂は里人から"行者様"と呼ばれている」との説明がありました。役行者でも祀ってあるのかと思いましたが、調べても詳細が出て来ませんでした。
お堂の傍らには、常夜灯が二基並んでいました。
ふうーっと一息ついて青空大盛り気味な写真を一枚。
画面真ん中あたりにひょろろっと伸びている筋みたいなのは飛行機雲でしょうね。
この大きな木とその下のお堂が見えてきたらそろそろ、次の窪田宿の北側入口に差し掛かります。
木の根元にあるお堂は青木地蔵尊。この青木地蔵尊はしばらくの間この近所の、街道沿いではない場所にある豊里(←この辺りの地名)公民館に移設されていたものの、ここに戻されたんだそうです。
元の街道沿いに戻すのはとても尊い事ですが、コンクリのお堂はやや殺風景になってしまいますね。それでもお花や水はちゃんと交換されているようで、何だかホッとします。
青木地蔵尊を通過して窪田宿に入りました。窪田宿は室町幕府の五代将軍、足利義量(あしかが よしかず)が参宮の帰り道に宿泊した記録があるそうです(足利義量は、子も無く18歳くらいで若くして亡くなってしまった将軍)。
宿場に入ってはいるものの、しばらくはあまりそれらしくない景色が続きますが、かつては旅籠が軒を連ね参宮者だけでなく、この後参拝する名刹、真宗高田派本山専修寺(リンク先Wikipediaのページ下方)詣ででの人々でにぎわったんだそうです。
やがて街道右側の奥に「汐見坂」という坂が現れます。スキップしちゃったので、必殺のサボり技、ストリートビューで見ると、、ちょっと寂しそうな坂ですねえ。
ガイドブックに寄れば親鸞がこの坂から一身田(いしんでん)の地を望んだと伝承されている」とのこと。あ、そうか、真宗高田派本山が近くにあるためにそういう伝説があるのですね。
せっかくなので坂上から親鸞が見下ろした方向のストリートビューも見てみましょう。
坂の両側が竹藪になっているし、見晴らしは今一つかなあ。
微妙なアップダウンがありますね。
しぶい錆び錆びトタン板で側面を覆った古民家があり、
更に進んで行くと擬タイルブリキ板を使った平屋看板建築の廃店舗がありました。
うーん、シブいスグレモノですね、この廃店舗。残った文字の跡から理容店だったことが分かりますね。
うん、個人的にはちょっと宿場っぽくなってきたとも言えましょう。
その先の街道右側に国府家が勤めた窪田宿本陣跡がありました。門前には「史跡 明治天皇窪田御小休所」の碑がありました。
ちなみに私には意外だったのですが明治天皇以前の天皇で伊勢神宮を参拝した例は無く、明治天皇が初めてだったのだそうです。
本陣跡を道路の反対側から激写。道路幅があまり広くないのでちょっとはみ出ちゃいます。
本陣付近には、宿場らしい建物がちょくちょく残っていました。
こちらは蔵付きですが、道路に面したところにやや広めの出入り口がありますね。
こちらは厨子二階構造にしては低いですね。何度も書いていますが、この街道筋はこんな感じの古民家が本当に何軒も何軒もありました。地域の特徴そのものなんですね。
伊勢別街道もだいぶ後半戦が進んで来ましたが、この続きはその10でご紹介します。
つづく!