10月3日(火)~6日(金)に四日市近郊の日永の追分から伊勢神宮まで続く 伊勢参宮道を歩いた旅の模様、三日目の旅のその11をお送りします。
この日の歩行ルートは↓。当初まばらでしたが、記事で触れているところについては記事を書く都度、街道遺構などのポイントを追記しています。
この日は松阪の中心街から、伊勢神宮の外宮(げくう)の門前町、伊勢市駅前まで歩き、寄り道含めてざっと23~24㎞ほどの行程でした。
その10では、良い感じの古い民家が多数残っている小俣(おばた)宿の南端の出口にあたる汁谷川を渡り、この日の旅の終盤に入ってきたところまでをご紹介しました(↓再掲)。
汁谷川を渡るとすぐ先には、三重県のみを流れる川としては最も長い宮川の堤防に突き当たります。本来はこのほぼ真っすぐ先に「桜の渡し」があったのですが、今はいったん右折して宮川橋で渡らねばなりません。
この川沿いに桜があったから「桜の渡し」だったそうです。風流ですね。
で、前方に見えている階段のその向こうに渡し場が復元されていたのですが、それを知ったのは、帰宅後ガイドブックを見直してからでしたΣ(゚д゚lll)ガーン。仕方がないので、Googoleマップの空中写真をちょっと立体的に見てみたものを貼りますね。ちょっとポリゴンっぽいですが:
左端に見えているのが2枚上の丁字路交差点の信号、そして中央右側にある石の構造物が復元された渡し場です。信号渡ってちょっと見に行くだけだったのに、見逃すとは残念!!
渡し場も見ないで右折してしまった私はJR参宮線の高架を潜って宮川橋に向かっています。
何となーく道の感じからして、これまでの経験からや~な予感がし始めます。
や~な予感、とは「まさかとは思うが、歩道どころか路肩すら無い橋じゃないだろうな。そうじゃないと言ってくれ!」というやつですが、、
あ~、、予感当たっちゃった(><)!!白線すら無いし、しかもこれガードレールがかなり低いから、クルマにかすられるだけで川に落ちるやつ!!!
めっちゃくちゃ怖いんですが!この日の朝イチのクルマ危険エリアと同じく、慣れた様子の自転車の中高生はフツーに通って行きますが、徒歩はかかる時間と抜かされるクルマの数が段違いなので怖い、怖い!!
それでも、二度と徒歩でここに来ることも無いし、おっかなびっくり、すぐ隣に並ぶJRの鉄橋を激写。
まもなく橋が終わるぞ(≧∇≦)と思うとこうして前から車がやってきます(ちなみにこの時、すぐ背後にもクルマが居てかなり怖かったです)。
文字通り身が縮む思いで、きっと身長が7㎜くらい縮んだんじゃないかと思いますが、ともあれ堤防の高さから本来の標高まで戻って桜の渡しの説明版をしげしげと眺めます。
当時のお伊勢参りの賑わいがものすごいですね。今の風景からは想像もできません。車は多いけど。
橋の向こうもなかなかシブい民家が並びます。こちらの二階建て幅広妻入り物件は、前回からホッとになってきたキーワード「張り出し南張り囲い」が傷んでいるし、一階のカーテンも固く閉じられているので、ここ数年で無住になった感じかな。
よく見るとこちらも下屋に幕板がありました。
家々は現代のものですが、なかなか街道を感じられる道。
おお、無住でしょうが渋っ!こちらは一階にやや控えめな幕板がありますね。
幕板も前日に見たものは、もう少し雨除けっぽい感じでしたが、この日見たものは装飾に近いような控えめなデザインで、これも文化のバリエーションだとしたら興味深いです。
なんか良さそーうな家々がいっぱい並んで歓迎してくれてますねえ(≧∇≦)。手前の家なんて屋根が「微むくり」じゃないですか。あー、楽し!
その先で県道の高架を潜った先にこんな道標が!茶屋町の道標というそうで、
「すく げくう江十三丁 内宮江壱里三十三丁半」とあります。
「すく」はすぐ=真っ直ぐの直ぐ=直進ってことですね。一里は三十六丁(町)なので、最終目的地の内宮ももう2㎞無い訳だ。
そてい「右 宮川渉場 六丁三十九間 左 二見浦二里十五丁」とあります。
なんとシブい種苗店!看板がオーバーハングしているのはデザインなのか、落下未遂なのか。。
その先、↓の地点で県道37号に突き当たるのでここで左折します。
すぐ上の写真で見切れている建物はこんな立派な商家でした。
県道37号はかなり大きな道路です。そしてこの頭上には、、
伊勢神宮(外宮)1.4km→ の表記が!!
3日間の旅でめっちゃ疲れを感じていますが、こういうのを見ると張り切れます。
その先の信号を右折すると、伊勢神宮のある山がちの土地が近づいたのか風景の雰囲気が変わり始めます。
伊勢参宮道の順路としてはその先↓の地点を左折します。
そのすぐ先でやや鈍角に右折。
↓の地点に突き当たったら左方向に進みます。すぐ左がY字路状になっているのでY字の右側に進むことになりますが、、
正面右寄りに見えている「くすり ふじわら」が気になってしょうがないので、あれを激写するのを忘れないようにしよう!!
ちなみに上の写真こそが伊勢参宮道と熊野街道との追分で右折方向が熊野街道なのですが、間抜けにも「ふじわら」に気を取られ過ぎて撮り忘れてしまったので、後でストリートビューでごまかします。
まずは上の写真の位置から「ふじわら」の全景を激写!
一階はリノベしてますね、一階と二階の間の看板部分はあれ、擬タイル風のブリキじゃん!
一旦左折して信号を渡りますが、この地点には筋向橋(すじかいばし)という橋があったそうで、今も嘉永二年(1849)の擬宝珠が残っています。
ここで道路右側に渡って少し逆戻りしてさっきの「ふじわら」を見なければ!
信号渡ったとこにも橋の遺構が残っていました。
付近に筋向橋の解説があったのでこれも激写しておきましょう。
そっか、そもそもここで伊勢本街道とも合流していたということは田丸までは伊勢本街道と熊野街道は一緒なんですね。
で、この橋辺りから今来た方向を振り返ると伊勢参宮道と熊野街道(+伊勢本街道)の追分がよく分かるので、ここで奥義「ストリートビューの術」!
黄色が今歩いてきた伊勢参宮道、赤がここで分岐する熊野街道・伊勢本街道です。熊野街道はガイドブックも買ってあって、歩きたい気持ちも強いんですが、「なんかすごく混みそう」で避けがち。今はまだその時ではないのだ、と思う事にしています。
で、上のストリートビューの左端に写っているピンクっぽい建物が、さっきから気にしている、あの「くすり ふじわら」なので忘れずに激写しに行きます!
いやぁ、リノベ部分をカットして撮りましたがいいじゃないですか、この錆びた擬タイルの看板部分。営業してたら使用頻度の高いお腹のクスリくらい買ったのにそこは残念!
と、言いつつもさっきから気になって仕方なかった「ふじわら」も無事激写して、いよいよこの日の旅もゴール近くなってきたところで、次回(その12)に続きます!