伊勢参宮道で伊勢詣り Day2の13 | らんまるの街道歩き・暗渠散歩ブログ

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10月3日(火)~6日(金)の伊勢詣での旅、旅程2日目(10/4)の旅の模様その13です。

ガイドブックは『ちゃんと歩ける伊勢参宮道 善光寺街道』。

 

Day2の歩行ルートは↓。今回は街道遺構が多いので、立ち寄りポイントの記載は殆どしていません。必要に応じて記事を書きながら書き足していきます。

 

その12では、道標がゴミ捨て場看板に不当な利用をされている事に怒った挙句、「キラー物件がある」などと思わせぶりな発言で締めてしまいました(-_-;)。

 

そのまま進んでゆくと、右側に古そうな建物、左側にはいかにも旧家っぽい塀が見えてきました。

 

おぉ、右側に見えていたのは漆黒の土蔵!めっちゃカッコいいなあ、惚れ惚れします。

 

左側の塀の終点で振り返ると、ここに前回記事で匂わせてしまった今回のキラー物件があります、これは寛政の頃に建てられた舟木家長屋門です。なまこ壁がよい雰囲気。

そして、前回記事で載せた、地域の案内板の写真で ブロ友さんが目ざとく気づいた武者窓付きです。

 

舟木家は南北朝時代から続く旧家で、江戸時代には御典医や何と藤堂家家老を勤めたこともある家柄なんだそうです。貴重なので寄ってもう一枚激写!

名残惜しくてしばらくこの門を見つめていましたが、きりが無いので渋々先に進みます。

 

そこから街道の先に進むと、何となく陸路である街道と水路が作るY字路的な地形に挟まれた物件ぽい、古い民家があったのでその佇まいに惹かれて激写!

追分的なY字路に立つ鋭角物件を連想します。

 

その斜向かいにもこんな良い感じの民家があります。

この辺りではこうした古い民家には事欠くことがないくらい残っていそうです。

 

 

二枚上の写真の画面中央やや左寄りに小さ~~く写り込んでいたのがこちらの庚申堂。

お堂の中には刻まれた「庚申」の字が赤く彩色されています。

 

そのお向かいには、この旅で何度見かけたか分からないほど頻出の山神さんx2基。

「いつもお世話になっております(≧∇≦)!」的な感じになってきました。

 

その先で右にほぼ直角に曲がるカーブがありますが、正面に写ってる家も古そうで良いですね。

 

その先の街道左側にはドライフラワーやら鉢植えなどを扱っているショップがありました。

ちょっと興味がありましたが、残念ながらお休み。やたら定休日を引くことの多いブロ友さんの性質が伝播したかな? って、あっ!ちょっとガラスに写り込んじゃったΣ(・ω・ノ)ノ!。

 

こちらも古い民家というか店舗を改装したらしい「雑貨市場 ぷちまるしぇ」、、見た感じこちらもお休みっぽかったです(・・;)。

古い家をリノベして再利用する試みは応援したいものです。

 

街道らしい、決して完全な直線にはならない道を進んでゆきます。

ん?何やら右側の逆V字みたいに電柱が重なってみるところによさげな袖壁物件が見える気がしますので急いで行ってみましょう。

 

ん~、やっぱりそうでしたね。よい雰囲気だし激写するぞ!

 

 

 

 

と思っていたところでケータイが!奥さんかな、、いや全然知らん番号だ。とりあえず出てみると、それは何と、、、間違い電話でした(-_-;)。私は「フジタニさん」などではありませんよ!

で結局この袖壁物件を通り越した反対からのアングルで撮るのをすっかり忘れてしまいました。

 

と、思い返すとそういえば中山道か甲州街道を歩いていた時も不意にどこかのおばさんから「フルーツを送ったので食べてくれ」という電話がかかってきたことがありました。今どきはLINEの通話とか番号登録でワンタッチで電話することも多いので、間違い電話も考えようによっては貴重なのかも。

 

ぱっと見よく読めない石標を「写真に撮ってあとで読もう」とするとうまくいかない事が多く、現物で確認する方がベターなのですが、今回は完ッ璧に失敗しました(´・ω・`)。

よ、読めん(;・∀・)。

 

何やら石標がいっぱい立ってますね。

 

古川水神常夜燈、の後方に古川水神遥拜所、の石標。

遥拝所はともかく常夜燈なんてあったけ?と訝しみながら写真を見返すと、ありましたよ!

 

2枚上の写真の赤枠の中。

常夜燈低っ!この高さでは旅人もひざ元くらいしか照らせないと思うのですが、おそらく昔は支柱があったのに折れてしまったか何かの事情があるんでしょう。

 

その先で大きな桝形のようなクランクを通過して先に進みます。

 

鍛冶屋らしき「かじ栄」さんが良い風情でした。

確認しづらいですが、ガラス戸の奥に鍬や鋤などの農具が掛かっていました。

 

道は相変わらず街道っぽい感じの自然な蛇行をしていますが、少し家が現代的になってきましたね。松阪の中心部に近づいてきたという事かな。

 

お、石標が、、「塚本・・」しか読めません。

 

そして先に進むとまたしても同じ石柱が。今回は「塚本氏子中」と最後まで読めました。

謎だなあと思ったらガイドブックに解説がありました。そのまま引用すると『所々に「塚本氏氏子中」と刻まれた石柱がある。これは祭礼の際に幟(のぼり)を立てる支柱』とありました。が、今はミラーを建てる支柱に転職でしょうかね。

 

リュックの横のポケットに入れておいたドリンクが切れたので「チェリオ」の自販機(各ドリンクが安くてお気に入りです)でエナジードリンクを買いました。

何でも自衛隊とのコラボ商品で、陸海空の3種類があり、私が引いたのは航空自衛隊でした。

(味は普通においしいです)。

 

その先で百々川を越えます。

 

ちなみに橋を越える手前右側の川岸奥には「冨士大權現」の石標がありました。ここにあると分かった状態で探しにいかないと、おそらく絶対見つけられないほど奥にあります。

 

橋の名は「塚本橋」。さっきの「塚本氏子中」と関連ありそうですね。

 

百々川を渡った先には嘉永五年(1852)の両宮常夜燈があったので、激写!

 

その先でJRの踏切を渡ります。

踏切のすぐ先右手の民家、やはり横広妻入り物件で破風板めっちゃでっかいΣ(・ω・ノ)ノ!

 

その先には連子格子+袖壁+幕板スペックの古民家がありました。

松阪の中心地を越えないと、この手の物件はもう見られないかと思っていましたが、よかった。

 

そしてその先の街道左手になかなかスペシャルな感じの廃店舗があり、駆け寄ります。

おぉ、仕出しと大衆食堂を兼ねてた店のようですね。

 

右端には「めし」「うどん」と書かれているのでここでも食べられたんでしょう。

 

だいぶ松阪の中心地に近づいてきましたが、こんな建物も残っているなら、宿場も期待できそうですね。     などと思ったのが大間違いだったのはこの後暫くしてから知ることになりますが、とりあえず今回の記事はここまでとし、続きはその14でご紹介します。