10月3日(火)~6日(金)の伊勢詣での旅、初日(10/3)の旅模様その13です。この日は寄り道含め30㎞前後歩いたと思います。
ガイドブックは前回の善光寺街道から引き続き『ちゃんと歩ける伊勢参宮道 善光寺街道』。
今回は準備時間が少な目だったので、地図の見どころポイントの記録は大幅にカットしてます。
前回のその12では、この日の最終目的地=宿泊地である津もまあまあ近くなり、幹線国道を斜めに横切る旧街道ルートに固執せず、交通ルールを守って安全に国道を渡ったところまでをご紹介しました(↓再掲)。
で!旧道は王将の前から国道に対して真っすぐに国道を横切りそのままの方向に進むため、国道から左に逸れる旧道に入っていきます。地図でいうとこういうことです(記事冒頭の地図からの切り出しです)。実際に私が歩いた道順は藤色のラインで、本来の旧道がグリーンのライン。
旧道を忠実に渡るのがかなり困難な事が如実にお分かりいただけるかな、と思います。
国道から離れた旧道は時折裏道を通るクルマがいますが静かな感じ。
こちらは門がかなりスケルトンですが、「見越しの松」に該当しますか。
疲れもあって漠然と「ああ、蔵だなあ」と思いましたがよく見ると二階部分の壁は銅板葺きですね。やるな、おぬし!
さて、次の街道遺構が見えてきました。立派な松のあるところです。
松の先に立っているこちらの常夜燈は天保十年(1839)のもの。
そしてそのすぐ近くには「右 白塚豊津道 左 上野白子神戸四日市道」の道標が!
どう見てもただならぬ、この街道遺構、実は街道の追分に当たります。
向かって左側が、今来た伊勢参宮道、右側が4回前の記事(その9)のラストで伊勢参宮道から分岐した、"古伊勢街道"とも言われる「巡礼道」です。
(↓再掲写真)瓶冠橋という珍しい名前の橋を超えてすぐのところで、黄色い矢印の方に分岐していった道ですが、上の写真の追分で合流した訳です。
さっきの写真を利用するとピンクが伊勢参宮道、黄緑が順礼道です。
その先もどことなく古道のようなナチュラルなカーブを描く街道を歩き進みます。
奥山米穀店、なので本来は米屋さんでしょうが、ペラッペラ看板建築のファサード部分を見ると「公共下水道切り替え工事はお任せ下さい (有)奥山住設」とありますね。
あくまで推測ですが、米屋って炭とか燃料を同時に扱っていることが多いので、そこから燃料関係→光熱水道関連全般と業態が変化してきたのかな?と。
左の赤い屋根の建物の手前辺りに次の街道遺構があるはず。
電柱とゴミ箱、、の後方の小さなスペースに常夜燈あった!
何回か前の記事でも、せっかく修理した里程標をゴミ捨て場にしている写真を見て、軽く苦言を呈しましたが、なぜ・常夜燈を保存している真ん前に・ゴミ集積場を建てるのですか?ゴミ集積場の必要性を否定してる訳ではないです。センスの問題かと。
ともあれ嘉永四年(1851)の常夜燈は無事で何より。
かつてはここの路傍に老松があり、その根が六尺(約1.8m)も立ち上がっていて、人が潜れたんだそうです。私、身長が高くなくて168.5cmくらいなので、かがむ必要すらないです(^^;)。
その先で国道を再び左→右に渡るのですが、広い国道を渡るのは時々ストレスなので歩道橋を利用します。歩道橋の距離表示の標識を激写!
国道で伊勢まで40㎞ってことは、街道ベースだと48~50㎞ちょっとくらいってところかな。
歩道橋の上から見えたのが国立の三重大のキャンパス。
歩道橋上から津、伊勢方向を見たところ。画面中央やや右に写っている高いビルが、今日のゴールの津駅付近のはず。
四日市方向を見てちょっとジオラマモードで遊んでみます。2011年に初めてカメラ買ったときは、そもそも何をして良いのか分からず こんなのばかり撮って遊んでました。
なんの商売をしているのかが丸わかりな酒屋。うん、明確でよろしい!
この先で国道右側に逸れてゆきますが、しばし国道を歩いていると、講義帰りの三重大生が自転車で津駅に向かうのと一緒になりました。
大学には徒歩で通ってましたが、懐かしい感じなあ(´-`) シミジミ。
その先で、国道から右に折れる上り坂に入ってゆきます。この道はそのまま志登茂川(しともがわ)を渡る「江戸橋」という橋になります。
江戸橋から見下ろした志登茂川。
長かったDay1の道のりもようやくゴール間近になってきましたが、この日の残りの旅の様子は次回でご紹介します。
Day1、あと1回つづく!