ローカル街道 草加道を行く その1 | らんまるの街道歩きブログ

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ということで前回の善行寺街道の記事のラストで予告した通り、善行寺街道の歩き旅の記事を中断して、一度ローカル街道歩きの記録を書くことにしました。ざっくりとまとめると善行寺街道の旅を描くのはとても面白いのですが、同じネタが続きすぎてちょっと書き疲れてしまった(どんなにカレーライスが大好きでも連日食べ過ぎると食べ疲れるのと同じ感じ)のでショートブレイクといった感じです。

 

タイトルの通り今回歩いたローカル街道は「草加道」!事の発端は昨年の夏ごろ、古民家に詳しいブロ友さんが鳩ケ谷を散策された際、鳩ケ谷を縦断する日光御成道から草加まで続くローカル街道、「草加道」その他のローカル街道の簡単な案内板を記事に掲載されていたのを見て「いつか歩いてやっからな!」と思っていたのを実行したわけです。ちなみに今回の旅はなかなか地味になる見込みです(^^;)。

 

当日の歩行地図は↓。途中でルートが北寄りの紺色のルートと南寄りのオレンジ色のルートに分かれていますが、これは「古地図散歩」というアプリで明治時代の地図に沿って推定した草加道のルート候補2種類です。今回はオレンジ色のルートを歩きましたが、たぶん正しいルートだったんじゃないかなぁ、、と自信なさげに思っています。

歩いた距離は駅→街道や寄り道などを含めて8kmくらいかなと思います。

 

歩いたのは旗日(建国記念の日)なのに土曜日と被ってしまい振替休日にもならず、何だか損した気分になった2月11日、まだ冬の最中で前日には首都圏で雪が降った時のことです。

 

松戸から鳩ケ谷は大して遠くもないのでゆるゆる起き上がり、8時半過ぎに鳩ケ谷駅に到着、地図も見ないでテキトーに日光御成道方面に向かいます。と、いうのも私、もうずいぶん前になりますが2014年に日光御成道歩きで鳩ケ谷宿を通過していて、少しその時の方向感覚が残っているのです。

 

ああ、見沼代用水東縁(みぬまだいようすいひがしべり:画面中心に写ってる橋の下を流れる用水)に出ました。

あとはこれを下流(右)方向に向かえば日光御成道の一里塚跡に出るはず。写真右側の錆びたトタン物件も楽しそうですね。用水の向こうが急に高くなっているのは、ブロ友さんも書かれていた、この付近を流れる芝川が造った河岸段丘の一部でしょう。

 

久々にカシミール3Dを使ってこの辺りの地形を見ると、、〇が鳩ケ谷宿の中心地辺り。鳩ケ谷は半島状の台地の南端近くにあるのがわかり、この半島状の台地の南西に、少し離れたところで台地に沿うように流れている川が芝川です。

かつてもっと北東川を流れていた時に河岸段丘を形成したものと思われます。

 

橋の端(ダジャレではなく💦)にある「東縁 見沼代用水路」の字体がシブくてGood!

 

用水べりをゆっくりと散歩中のおじいちゃんも風情がGood!

 

こちらが1枚目の写真右側に写っていた錆びたトタンの建物です。一部の窓がアルミサッシに換えられていてそこだけが新しく見えますが、他はかなり激渋に錆びています。

 

反対(左)側から激写!現役で住まわれているのか、仮に無住でも比較的最近まで人が居たかな。

 

用水を下流方向に歩いてゆくと、、

 

さっそく見沼代用水東縁と日光御成道の合流点が見えてきました。向かって右側が江戸、左が日光方向です。掛かっているのは吹上橋。

 

日光御成道に着いたら日光方面に向かいます。この橋は街道時代からあったもので、この辺りは鳩ケ谷宿の中心部近くに当たりますが、街道遺構が1つ2つ残っています。

 

一つが鳩ケ谷宿の解説版。古い絵地図や古写真が貼られています。赤い四角が現在地、その左側のちょっとへの字に道が曲がっているところの頂点近くには「本陣・問屋」や今回のお目当て「草加道」の字が見えています。

 

こちらが古写真。明治34年(1901年)に3歳くらいと思しき子供はご存命なら今年122歳ですが、さすがにご存命は難しそうです。

 

もう一つの遺構が「鳩ケ谷の一里塚跡」碑です。五番目の一里塚なので、江戸から20㎞にあたりますね。

 

街道風景のタイル画やちょっとおしゃれな時計のあるこちらのポケットパークの斜向かいにブロ友さんも紹介されていた、文化的価値の非常に高い建物が残っています。

 

旧船津眼科医院、見事な擬洋風の、芸術と言ってもよいほど美しい建物です。

銅板の使いどころや洋風の瓦にもとは南仏を思わせる色合いだったであろう壁の色もステキです。2014年に歩いた頃には全くこの素晴らしさに気づいていませんでしたが、再訪してよかった(*´∀`*)。

 

二階中央の窓から中のドアが透けていますが、六角形のガラスが嵌めてあるらしく美しいシルエットが見えています、

先ほどの宿場の絵地図だとちょうどこの辺りに本陣・問屋があったことになっていますし、船津家はそもそも地主の家柄だったそうなので、本陣か問屋(あるいは兼務)だった可能性は高いと思います。ググってみるとこの中を見せてもらったという方が内部の写真を掲載されていましたが、内部はそのまま保存されているようでこの建物全体が文化遺産と言えます。

 

名残惜しいですが、この日の目的は草加道で草加に向かうことなので先に進みます。

 

ファミリーファッション藤屋、、ざっくり言えば洋品店ですね。

 

このすぐ先で右折すればそこが草加道の入り口ですが、一旦この近くの氷川神社にお参りを先にすることにしました。

 

日光御成道から左方向に曲がり進んでゆくと3,4分ほどで氷川神社に到着!

 

こちらは1394年の創建だそうで、600年以上の歴史のある神社です。

 

記念に扁額を激写!

 

むっ!この可愛いトリさんは何でしょう?ご存じの方も多いかなとは思いますが、続きはその2でご紹介します。

 

つづく!!