昨秋の10月8日(土)に善光寺街道歩き旅の第2回として、上田から屋代までの区間を歩いた旅の第二弾、その20=第2回の完結編です。
当日の歩行ルートは↓。
街道復帰までの道のりや寄り道なども含めて歩いた総距離は23.5km前後だったようです
ガイドブックは山と渓谷社の『ちゃんと歩ける 伊勢参宮道 善光寺街道』です。
その19では、珍しいL字型の茅葺トタン被せ屋根の民家や、軒先に萱の見える茅葺トタン被せ屋根などをしげしげと眺めたところまでをご紹介しました(↓再掲)。
そこから進んで行くと切り妻屋根の建屋が見えてきました。木製の戸が昭和の雰囲気です。
ポストもあるし民家かなと思うのですが、間口広く木製の戸が並んでいるので店舗のような気もします。ん?何か軒下にぶら下がっているようです。
時計!今写真のプロパティで確認すると14:50に激写したことになっているので、ほぼ正確に動いている=誰かが電池を交換しているわけですね。
時計の周りに蜘蛛の巣張ってるし、母屋横の簡易ガレージがごみ溜めと化していますが、手入れする人はいる訳ですね。
14:50、、このままゴールの屋代駅にまっすぐ向かうとちょっと早すぎるので、どこか良い道草先は、、!!
こちらに寄ることにしましょう。曹洞宗の永昌寺。
街道から右に向かう参道を進みながら辺りを見回します。こちらは軽井沢方面を振り返った景色。清々しいほどの緑だらけです。
こちらの永昌寺も参道が鉄道でぶった切られたパターンですね。
山門の周辺に古そうなクロマツがあります。
何か「バーン!」という感じで威厳のある山門です。
山門を額縁代わりにするお気に入りのパターンで激写します。
本堂も格調高い感じですね。地元の方々にも大事にされてるんでしょう。
今見るとガイドブックに「境内に稲荷社、六地蔵、安政四年(1857)の三界萬霊塔、宝暦三年(1753)の南無阿弥陀仏名号碑などがある」とありましたが、時すでに遅し。当日はふらっと立ち寄っただけだったのでうかつにも、ご丁寧に、全部見ることなく帰って来ちゃいました。。
俺って奴ぁ、、やつぁ、ゃっぁ、、、(←エコーです)
代わりと言っちゃなんですが、こんなものは激写していました。石でできたカエルの親子とフクロウ(^^)。
彼らは石灯籠の笠の下にいます。
踏切を渡って街道に戻ります。これは善光寺方向(だったと思います)。
さ、そろそろこの日の旅もラストスパートに入りますよ。
しばらく進んで行くと茶色と黒の艶出しタイルを使った(しかし一部剥落)昭和な住宅を見かけました。
ん?右側の家は屋根の上に丸い板が見えますね、、するってぇと、こいつぁアレだね。
やはり丸い凸型看板建築でした。
元々何かの店舗だったんでしょうね。手前側の塀を増築したんだと思いますが左端だけ色が違うのが個性を主張しています。
千曲市立埴生(はにゅう)小学校。この校名の看板の足元には、、。
埴科郡(はにしなぐん)埴生村道路元標!おお、なかなか貴重なものを見つけられました。
道路元標、、見逃しゃぁしねぇ( ー`дー´)キリッ!
さらに校門の右側には大きな石碑があります。こちらは宮阪翁碑。なんでも埴科郡出身の国文学者、宮阪喜昌(リンクは「ちくま検定」のテキストから)の功績を残したもののようですね。
なかなかシブいお顔の学者さんだったようですね。
道路の自然なカーブに微か~に街道っぽさを感じようとがんばります。
お、ものすごい多重構造の屋根ですね。これも関西のブロ友さん命名の「入母屋城」に認定します。
小川はかりさんとは別に関係ないのですね。。
文字通りラストスパート、次の交差点で右に曲がれば屋代駅です。
この辺り駅近なので道路が拡張されて、街道風情は無くなっています。
屋代駅交差点でこの日の善光寺街道はゴール!右折して帰宅の途につきます。
!駅前に古民家居酒屋「T△KU」(「タク」でしょうね)。古民家カフェはよく聞きますしNHK BSでもそんな番組ありますが、こちらは古民家居酒屋か。
駅前にあった「和」という名のオブジェ。手を合わせている二人の女性はともかく、素っ裸でラッパ吹いている少年が私は痛々しくて仕方がなかったです(^^;)。
着きました、屋代駅!
写真左の方に見えている自販機でドリンクを買って、、
しなの鉄道で上田まで移動。上田からは新幹線でダーッと帰宅しました。
これにて善光寺街道(北国街道)の歩き旅第二回終了となります。
次の旅で善光寺到着のクライマックスとなります、、が、実は2月にいわゆる「ローカル街道」をちょっとだけ歩いたのでブレイクとしていったんその記事を挟みます。
次回につづく