昨年の10月8日(土)に善光寺街道歩き旅の第2回として、上田から屋代までの区間を歩いた旅の第二弾、その4です。
当日の歩行ルートは↓。
街道復帰までの道のりや寄り道なども含めて歩いた総距離は23.5km前後だったようです。
今回もガイドブックは山と渓谷社の『ちゃんと歩ける 伊勢参宮道 善光寺街道』です。
その3では旅人の安全を願って建てられたという、猿田彦大神の石標とその説明板をまじまじと見つめたところまでをご紹介しました(↓再掲)。
この辺りからはまだ概ね善光寺街道(北国街道)と並行している北陸新幹線の高架が見え、その遥か後方には「八雲立つ」といった感じで山に雲が懸かっています。
やがて街道右側が崖になってきます。この崖上には長野県酒類販売という会社の上田支店があるようですが、もう少しすると崖上にお目当てのものが見えてくる筈。
だいたいその辺り。
お、見えてきましたね。
下から覗くだけでは詳細が分からないので、国道18号バイパスの高架道路と交差する手前の↓の場所で崖の上に続く道を登ります。割と草深いなあ。「道しるべの碑」という看板が立っています。
到着!ここ、古い道みたいなのも残ってます。
上の写真や崖下から撮った写真に写っていたのはこちら。まず善光寺方面から。
「文久元歳(1861) 辛酉五月上」と刻まれています。
そして反対側の軽井沢(江戸)方面から見て見ると、「此道往還人」そして側面には「左さくば道 右北國街道」と刻まれています。てっぺんが窪んで、丸い石が置いてあるように見えますが丸石道祖神って訳でもないですよね。
元々街道と農道の交差点にあったのを、バイパスの開通を機にここに移設したそうですが、これじゃ殆どの人が見に来られないですね。
この舗装部分が旧道そのものなのか、この道標を見に来るためにちょっと整備したものなのか、ちょっと不明ですが、いずれにしてもここに「秋和の一里塚」があったとされています。
道標を堪能したら街道に戻り国道18号のバイパスを潜ります。
お寺の山門でも何でもないのに意味もなく高架をフレームに使って激写。
因みにこのまま道なりに進むのではなく、ここで右折をして、、
農道のY字路みたいなのを左に進み、、
その先で左に曲がります。
上の写真のほぼ中央部にも小さく写っているのがこちらの道案内。「養蚕の里」なんですね。
山すそを這うような善光寺街道を進んでゆきます。
前回ちょっとご紹介した半過岩鼻がよく見えてます。穴が二つ空いていて鼻みたいに見えるから岩鼻なのかな。
お、コスモスがいい感じなのでちょっと屈んで激写しましょう。
全く水の流れていない水路。水が少量なら穴を通って流れ、水かさが増すとその上の広い水路を流れるように設計しているのですね。
そのすぐ先で前回の旅で上田近郊に入って来てからずっとつかず離れず並走していた北陸新幹線の高架を潜ります。
新幹線はこのままトンネルに入って山を越えるので、このままお別れ。
新幹線の高架を潜るとだんだん山間の集落に入って行く感が出てきます。
その先で見かけた「相撲 年寄 信濃石品吉之碑」とあります。信濃石品吉は相撲の年寄だったんだろうということしか分かりませんが、ググってみるとこの日は明治二十一年(1888)のものだそうなので、その頃の信濃出身の力士が年寄になったのでしょう。
街道から左右に伸びる道は石垣沿いのかなり急勾配の坂道に繋がっていたりして「山村」という言葉が頭に浮かんできます。
私が愛してやまないNHKの番組、「小さな旅」のテーマ曲が似合いそうな景色。
山間の集落から半過岩鼻が見えています。
美しい白い塀と立派な門の旧家。この辺りは上塩尻という集落なんだそうです。
更に山間の集落の中を進んで行きますが、この続きはその5でご紹介します。
まだまだつづく!