甲州街道を歩く 第11回 韮崎‐蔦木 その10 | らんまるの街道歩き・暗渠散歩ブログ

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2022年4月16日()に、3ヶ月ぶりの甲州街道歩きの11回目として韮崎から蔦木宿の手前直前までをどどーんと歩いた旅の記録その10です。

 

当日の歩行ルートは↓の通り、歩いた距離は寄り道を併せて30km弱と思われます。

地図を描いた頃とはスケジュール変更のせいで、旅程が変わってしまったので↑の地図は今回の歩きと次回の歩きの序盤の分が含まれています。

 

その9では南朝方で征夷大将軍にまで任じられながら苦労を重ね晩年のことはよく記録にすら残っていない、甲斐~信濃に関係の深かった宗良親王の歌碑を見て、往時も今も人の悩みや苦しみは変わらないものだなあと感じ入ったところまでをご紹介しました(↓再掲)。

 

あくまでも山に向かって登るのをやめようとし(てくれ)ない、甲州街道。景色は素晴らしいがおじさんはちょっと疲れてきましたよ。

 

南アルプスの北側の山々がほぼ勢ぞろいとなりました。視界を遮る建物などが殆どないというのもまたいいですね。

時間をかけてここまで歩いて来て良かったなあ、と心底思えるタイプの景色です。自分だけの、とても贅沢な時間!

 

こちらの土蔵は住居ではなく蔵用途で使われているようでした。かならず屋号的なものを入れますね。

 

小柄な枝垂れ桜に妙に惹かれて激写。かなり小ぶりですが枝ぶりなんかは一人前の木。

説明しにくいのですが盆栽に惹かれる人の気持ちが何となく少しだけ分かったような気がしました。

 

その脇街道の右奥に石仏石塔群がありました。江戸時代の馬頭観音などが集まっています。

 

その先で甲州街道は国道に再度合流しますがその手前左奥に御嶽神社鳥居があります。

Googleマップで検索した限りではこの付近に御嶽神社は確認できなかったので、かつてこの奥に神社があったのかもしれませんね。

 

鳥居のすぐ先で国道に合流して右方向に進みます。

 

国道に合流するとすぐに濁川(神宮川)を濁川橋で渡ります。

 

上から濁川を見るとたしかに濁っているように見えますが、前日が台風でしたからそのせいかも知れません。

ただ同じ台風後でも、もっと澄んだ水の川は多数あったので、川底の地質が粘土系で多少濁りや粋のかもしれませんね。

 

白洲町!サントリーの白洲醸造所のある町です。

 

↓の地点で甲州街道は再び国道から離れて右の旧道に入って行きます。

 

ガイドブックに「赤松並木」と書かれていたので楽しみにしていたのですが、どうやら残っているのはこの一本のみのようでしたΣ( ̄ロ ̄lll)。

 

街道右側にある広いスポーツエリアは白洲総合運動場。

の奥に八ヶ岳とはいい環境ですねえ。

 

上りながらこの緩いS字カーブ、旧街道の道筋です。

 

おや、こちらのお宅の塀はダイヤの模様が明るくかわいい感じでとてもいい!

 

しばらく進んで行くと街道左側に石尊大権現常夜灯がありました。後述する石尊神社の南参道の入口となります。

 

火の見櫓をよく見かける旅です。これは二段タワー的な構造になっていて半鐘は一番上にも真ん中あたりにもありますね。

上の方はそこに登ることを想像しただけで怖いです。

 

街道左奥側、国道20号の鳥原交差点に繋がっている道には石尊神社の鳥居がありました。

正面の参道入口ですね。2kmくらいずーっと進むと神社があるそうですが、上り坂だし遠すぎるのでパス!

 

庭木がなかなかユニークな形になっていますね。

そういえばこの鳥原には日本橋から四十四里目の鳥原の一里塚(片側のみ、塚木無し)があったものの例によって位置が不明らしいです。甲州街道はこれが非常に多く、さすがの私も「一里塚担当の課長を呼んで説明をしてもらいたい!」と叫びたくなりました。仕方が無いのでこの特殊な庭木を一里塚に見立てて四十四里クリア!です。

 

相変わらず破風の下に屋号みたいなマークを付けた蔵造りの建物が多いですねえ。こちらはなまこ壁スペック。

 

風化で正体が分からなくなってしまった石仏石塔群はガイドブックによると文政十年(1827)の供養塔(恐らく右端)や馬頭観音であるそうです(ガイドブック記述)。

 

その傍らには先ほどと同じく石尊大権現の常夜灯が立っています。ここが北参道の入口。

 

その先の街道右側に石祠が二基あって、向かって右側は相対堂土人が中におわしますね。

 

電柱と道路舗装が無かったら飛脚とか駕籠とすれ違いそうな街道風景ですね。

 

右を見ればまだ七里岩。けっこう大幅に崖面が削られていますね。土石流出身の地層なのでやはり崩れやすいのでしょう。

 

トタン張りのシブい民家。こちらは生活環たっぷり。

 

旧街道は左に大きくカーブします。ここで左に曲がって国道にぶつかったら右折するので、教来石(きょうらいし)宿入口の枡形ではないかと思います。

 

そろそろ旅も終盤に差し掛かりつつありますが、この続きはその11でご紹介します。

 

(あと4回くらいつづく)