歴史と看板建築の街 石岡散策 その5 | らんまるの街道歩き・暗渠散歩ブログ

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2月23日の天皇誕生日に歴史と出桁造り商家と看板建築の街、茨城県の古代の首都(常陸国府所在地=府中)石岡の散策を楽しんだ散策記事のその5です。

 

この日歩いたルートは↓の通りです。歩いた距離は8kmくらい。

 

その4では今回の散歩の最大目的の一つ、常陸國分尼寺跡に到着し、中門跡に向かおうとしたところまでをご紹介しました(↓再掲)。

 

ここが中門跡ですね。それらしく一段高くなっていますが、本来の地形なのかな、これ。一段高いというのはあり得ますが、、。

 

一段上に上がっても中門の痕跡は見られません。谷間地形を挟んで一つ奥の盛り土は金堂の跡ですね。

 

金堂跡を横っちょから見た景色ですが、面影はありません。ただ、公園としてここを保存していることは高く評価します(←何か偉そう)。

 

ここが北端近くにある建物群の跡。当時の柱をイメージしたのでしょうかね、この不規則な丸太。

 

公園の外周部分は回廊的な通路で囲まれています。

そういえば旧中山道歩きで美濃国分寺に立ち寄った際、誰もいないと思い込んで「回廊を通って街道にかいろう(帰ろう)」などとふざけたダジャレを一人で楽しんでいたら、親子連れの見物客が居て逃げるように立ち去ったことを不意に思い出し、今回はグッと自重しました。

 

このあちこちにある小さな土の小山はやはりモグラが掘った穴なのかな?

 

国分尼寺跡の公園からは筑波山が割と近くに見えています。地図で見るとほぼ真横(緯度が同じ)にあるらしく双子状の山頂が重なって見えます。

 

最後に咲き掛けの紅梅のつぼみなどを激写して国分尼寺を後にしました。

 

そこからは次の目的地、常陸國分寺を目指し南に向かいます。

 

おお、懐かしい昭和の平屋住宅です。幼稚園の頃、クラスメートがけっこうこんな家に住んでました。

 

その先で左折して東に向かって歩いていると「星の宮町」という町名の看板を見かけました。

 

普通に考えると星宮神社がありそうですね。ま、あまり期待せず行きましょう。

 

などと思っていると、すぐに答えが見つかりました。ここにあったんですね、星の宮(星宮神社)。今は常陸総社に移って、、あれ?この写真、、、

 

少し前の記事の常陸総社で激写した↓(再掲)の右側の社に移っていたのですね!!偶然とは言え、撮っといてよかったです(^^)。

 

その先で右折して南に進みます。

右に写っているアパートは1Fが完全にガレージなのですね。ちょっと珍しい。。奥に見えているのは國分寺幼稚園。そろそろ旧常陸國分寺跡のエリアに入っている頃です。

 

国分寺幼稚園の向かって右側を通りなんかすると右側にだだっ広い緑地があり、そこに国分遺跡の案内板が。。

 

すでに広大な國分寺の敷地の一部なんですねえ。緑地広っ!前回から時々広さをお伝えしたくてフレームの比率を4:3→16:9に替えるなど姑息な手段を駆使しているのは内緒でお願いします。

 

その付近で東に進み、常陸國分寺跡に残る現在の国分寺入口に到着!

ここはやはり11年前の水戸街道歩きで訪れた、とても懐かしい場所です。

 

向かって右側にあるのが常陸國分寺 注文阯(跡じゃなくてここは阯の字なんですね)

國分寺跡には今も真言宗の寺、常陸国分寺があります。これは、あれですね。律令時代の國分寺跡に今も国分寺が立っていて、国分尼寺跡が公園になっているのは2018年に尋ねた上総国分寺や国分尼寺と同じパターンです。

 

中門跡丸い石は柱の礎石跡なのかそのイメージのデザインなのか。。

 

参道を進みます。こちらは弘法大師堂。

 

薬師堂はかなり立派なもんでした。明暗差が激し過ぎてぐちゃぐちゃになったのでHDR撮影モードで撮ってみました。

 

赤いポンチョ(?)のお地蔵さん、暖かそうですね(*´∀`*)。

 

こちらが市の指定文化財、国分寺の山門です。こちらも細部をお見せするためやむなくHDR撮影。

 

彫刻が素敵だ!

 

本堂でお参りします。

 

「國分寺」の扁額は絶対に撮ろうと思っていました。

 

本堂の横にあるお堂は都々一坊扇歌堂。

都々逸節(和歌の「57577」ではなく「7775」調の定型歌いや詩?)の創始者都々逸坊扇歌がここ府中で亡くなったことから建てられたものだそうです。

 

国分寺入口から参道を南に進みます。元の門前町ですよね。

 

おおっ、レンガ壁の土蔵。これはただならぬ実力の物件に違いありません!

 

このお向かいにもやはり立派な建物が!煉瓦壁の煉瓦袖壁のある房総スタイルの蔵、、だと!?なんだこの凄い盛沢山感!

 

これらは全部一つの世帯。めっちゃ蔵がたくさんあります。青柳新兵衛商店といいます。大きなお米屋のようでした。

 

この立派な門の門柱には「剣道居合道指南 青柳道場」とあります。米屋を営みつつ武道を教えていたのですね。シブいなあ!

ん?あれ?何か見覚えあるなこの道場の表札。。たしかに水戸街道で来た時に通っている筈だが、、

調べて見ると覚えがあるのも道理、やはり11年前の、街道歩き駆け出しの頃の自分がここにきてよく似たアングルで激写してました。

 

さて、この辺りでまた歴史散歩から、昭和ロマン散歩に戻りますが、残りはその6でご紹介します。

 

(あと1回つづく)