師走の前半12月11日(土)に、甲州街道歩きの第9回として、初狩から甲州街道最難関の笹子峠を越えて駒飼(こまかい)宿までを歩いた徒歩旅の記録、その4です(ゴールの最寄り駅は甲斐大和)。
当日の概ねの歩行ルートは↓。トラブルで戻ったことなども含めると歩いた距離は20km弱です。
その3では白野宿を出た後 立石坂を登り、営業しているんだかどうか微妙な工芸社の建物を激写したものの、何となく締まりがつかないまま記事が終わってしまい反省しています。
そこから少し進むと右上の段上に萬霊塔がありました。萬霊塔とは正確には三界萬霊塔といい、三界(過去、現在、未来)の人、獣など生きとし生けるもの全ての霊(萬霊)をずっと祀るためのものです。
具体的にはこの辺りの土砂災害で亡くなった人の供養のためのものです。
S字状に屈曲した旧道の向こうに聳える山、甲州街道や中山道ではよくあるものですが、山の街道の醍醐味の一つです。
原という集落に入ると火の見櫓と笹子町原公民館がありました。公民館が円形の凸型看板建築。
集落の建物はやはり関東とは趣の異なるものが多く、見ていて興味深いです。
とび出し坊やならぬ飛び出し、、ガール?とび出し娘?ですね。
こんな嬉しそうな顔で飛び出しちゃってまぁ。。気を付けるんですよ!
右奥に大きな木が見えますが、たぶんあれが今通ってきた原村と次の吉ケ窪村の産土神社、稲村神社だと思います。
稲村神社に到着し、境内端っこの隙間から中に入ります(後で思うとこれで一つ失敗しました)。こちらの大きな杉、さっき遠くから見えてた木だと思いますが、近くに来てみると何と一つの根っこから3本に分岐しています。
社殿右側にある広めのスペースには石塔や石仏群が多数並んでいます。中央は廿三夜塔ですね。
上の写真の地点から左に目を移すと男女合体道祖神がありました。房総でよく見かけた割と露骨な陰陽石に負けず劣らずなかなかオープンな感じです。
本殿でお参りしてそのまま街道に戻りましたが、ここで一つ見逃しがありました。
メインの参道の入口のほぼ正面には「親鸞上人念仏供養塚」という街道遺構がありました。境内端っこからへんな入り方をしたので見逃してしまったようで、やむなく必殺技のGoogleストリートビューで補完します。
ここに「毒蛇済度舊跡」碑があります。近所の地頭 小俣左衛門尉重澄の娘「よし」が、失恋の傷心から身投げし毒蛇になって村人を困らせていたのを親鸞が成仏させたという伝説の遺構です。
この後もこれに関連した街道遺構が出てくるのでこれは見逃してはいけない奴でした。「これに関連した街道遺構」はすぐ後でご紹介します。
右から左にかけて崖近いになっているような地形の集落を歩きます。崖上には中央高速自動車道。
左下は畑のようですが抉れたような地形になっています。
その先で街道はいったん直進(ピンク矢印)しますが、その先で線路によってぶった切られているのでいったんそこまで行ったらここまで戻り、黄緑方向に進んで国道から迂回します。
道に沿って進んで行くと、↓の地点で街道は行き止まり。
一旦国道に出たらこの反対側も見て見よう。
この行き止まり地点の真ん前に立派なお宅がありますが、こちら小俣さん。
先ほど親鸞上人念仏供養塔のところで地頭の小俣左衛門尉の娘「よし」が失恋で身投げして毒蛇になって(以下略)と書きましたが、その小俣さんですね(ガイドブック「ちゃんと歩ける甲州街道」にも記載あり)。
さて、この地頭 小俣左衛門尉重澄の小俣氏ですが、私前回の旅の犬目峠の入口辺りで小俣さんというお宅を見て、「甲州街道を進むと小俣さんという地頭の末裔の家がある筈」と書きましたが(↓旅第八回その2からの再掲)、その回収となります。
4枚上の写真の分岐点まで戻り黄緑の矢印の方に進みます。JRの高架を潜って国道に向かう道。
上の写真で高架を潜る手前の左側に車が停まっていて、広場みたいになってるところがありますが、いったんそこに寄ります。親鸞上人念仏供養塔に関連した遺構があります。それがまずこれ↓。
「葦池」(あしがいけ)跡碑。先ほどからホットな話題になっている、小俣さんの娘さんが身投げし毒蛇となった後棲んでいた池の名前です。葦草が茂り低地だったので葦ケ窪という地名になったのだそうです。
実際の場所が概ねこちら。
先ほど「抉れたような地形」と言っていたこの辺りです。
さて見るべきものも見たので高架を潜って国道に出ましょう。高架を潜るとちょうど甲府行きの普通電車がさーっと通って行ったので激写しました。
自分が甲府に着くのは次回の旅になります。甲府か、、ちょっと楽しみだな(≧∇≦)。電車に乗っちゃえばすぐですが、それじゃ面白くも何ともないんで頑張りますね(^^)。
国道に出ました。笹子川も流れてるし山あいの景色だし国道にしちゃ本当にいい景色です。
おっ東京から105km。
むっ!寂れたスナックが哀愁を放っていました。「シルビア」、、ママがシルビアさん?国道の際に立ってるので、少々入りにくそうではあります。
暫く進んでから右斜め後ろ方向に伸びている道に入ります。さっき線路で途切れていた旧街道の痕跡です。
せっかくなので奥まで行きますよ。
道路の舗装も無くなってある種それらしくなりました。
一番奥まで行くのはちょっと疲れそうなのでここまでで旧道追及終了とします。
国道に戻ります。少し先の国道左側には地元の酒造会社、笹一酒造のロゴ、更に奥には高い山が見えてきました。
笹子川橋バス停。今日は何となくバス停をやたらと激写してしまうトーンの様です。
ここから笹子駅周辺、ひいては阿弥陀街道の宿場跡に入って行きますが、続きはその5でじっくりとご紹介します。
(まだどんどんつづく)