甲州街道を歩く 第9回 初狩ー駒飼 その2 | らんまるの街道歩き・暗渠散歩ブログ

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師走の前半12月11日(土)に、甲州街道歩きの第9回として前回ゴールの初狩から出発し、甲州街道最難関と言われる笹子峠を越えて駒飼(こまかい)宿までを歩いた徒歩旅の記録です(ゴールの最寄り駅は甲斐大和)。

 

当日の概ねの歩行ルートは↓。トラブルで戻ったことなども含めると歩いた距離は20km弱です。

 

その1では甲州街道沿いの擁壁の上の住宅にレンガ造りの蔵があるのを見てたまげたところまでをご紹介ました(↓再掲)。

 

国道なんで道そのものは色気が無いですが、もうこのシリーズで何度も書いてる通り、山を通る街道の景色はいいなあ。

 

その先船石橋で笹子川を越えます。

 

水はきれいでめっちゃ澄んでます。

 

船石橋を超えると、その橋の名の由来になった船石の碑(船石碑銘)が街道左側にあります。これはその昔親鸞聖人が船の形をした石の上で説法をしたことに由来するものですが、当の船石は明治四十年(1907)の水害で流れてしまったそうです。

尚、ガイドブックにはこの碑の近くに道標がある、としてありますが見つかりませんでした。

 

街道から少し奥まったところには板壁の古風な民家が。微か~に屋根が歪んでいるのも心憎い感じです。

正面に向かって破風のあるところがシャッターになっちゃってますね(・・;)。

 

なんでツギハギ状のモザイクみたいなものを飾ってあるのかと思ったら、劣化した交通案内板でした。

とても見づらいですが「路面凍結 スリップ注意」と書かれています。躍起になってこれを読もうとしたりすると却ってスリップよりも危ないような気がしないでも。。

 

街道右側には、国道より一段低いところに建てられた、越屋根のある古民家が、、いやこちらは物置で奥に見えているのが母屋っぽいですね、がともかく鄙びた風情を醸していました。

崖の上には中央高速が伸びています。

 

この辺りの棚田は細かく石垣が設けられているようですね。珍しい景色です。

 

さて、本日最初の難関が見えてきました。写真中央より少し右下に白っぽい工場の建屋が見えていますが、あの辺りから100mばかり、両側とも歩道も路肩も殆どない割にトラックがビュンビュンすっ飛ばすエリアがあります。

ただご覧の通り恐らく遠くにある信号の関係で不意に一分近くクルマが途切れることがあるので、このタイミングを見計らって奥に見えているJR中央線の高架の向こう=急に広い路肩がある、まで脱兎の様に駆けるのが私の作戦です。もちろんそれでもクルマが来てしまったら何ならガードレールの外側に避難するつもり(注:走ったりしないならば、常に30cmほどの路肩がある街道左側の方が微かに安全かも)。

 

工場の手前で犬と一緒に日なた、、ではないな、日陰ぼっこをしているおじさんに挨拶をしたらGO!

なんだこれ、路肩10cmくらいしか無いんじゃないの?スペースもあるのに信じられないな!

結構距離があるのでこの距離を短距離走はしんどいな。会社員53歳、頑張っとるっちゅーねん!!

 

ブレた写真撮ってる暇があるならもっと真面目に走れよ!とセルフツッコミ(^^;)。

 

高架を過ぎて路肩に入るその瞬間軽トラックがかなりのスピードで突っ走ってきましたが、2秒ほど私の勝ちで路肩エリアに安着!(間に合わなそうならガードレールの外側に入る手はありだと思います。せいぜい溝に嵌るくらいなので。夏だと植物が伸びて苦しいかな。)。

 

街道の左側には笹子川の清流が流れています。

 

実は↑の写真には写っていない、自分の居るところの真向かいが滝のようになっているので、再びクルマが途切れるタイミングを見計らって脱兎の様に渡り、激写、脱兎の様に渡り返します。

ダッシュした甲斐はありました(*´∀`*)。

 

街道を暫く進むと右の山奥の方から笹子川の支流、滝子川が流れてきています。

 

そのすぐ先で右折して滝子川に沿って山に登ってゆく道があり、そちらを登って行きます。実はこの道甲州街道の旧道に当たるのですが、今は途中で消滅してしまっているので、見たいものだけ見たらまた国道にもどります。

 

JRの高架を潜りちょっと振り返るとすぐ近くのトンネルが見えていました。

これで特急電車でも通りかかってくれるとちょうどいいのですが、そういう時に限ってうまく通りかかってはくれないものですね(^^;)。

 

更に少し登ると目標物発見。双体道祖神と、見づらいですがその左側にある白野の一里塚跡碑。

 

江戸日本橋から二十六里目にあたります。

 

さて国道に戻りましょう。国道に下りていく時の景色。ちょうど線路の向こうの国道が死角に入って見えなくなっているのですごい山の中に居るみたいですね。

みたいというかすごい山の中に道を通したんですね。

 

国道には日が当たりずいぶんと暖かくなってきました。先ほどの一里塚跡碑のあったところから少し進んだ↓の地点で国道から右の旧道で白野宿に入って行くのが進路です。

さきほど一里塚跡碑のあった本来の旧道はぐーっと山のあたりを迂回して白野宿の入口付近にたどり着いていたようです。

 

宿場に入って行くとさっそくこんなバス停が!

ちなみにこの白野宿も、続く阿弥陀海道宿、そして黒野宿と交代で問屋業務を勤めており、この白野宿は月末付近を担当していたそうです。

 

早速雰囲気のある建物が出現します。江戸時代とかのものではありませんが宿場風情はありますね。

 

白野宿の町並。

 

街道右側には右から順に石仏、庚申塔、そして小さな常夜灯があります。

 

この先、江戸の風情は残っていませんが宿場がそのまま現代になったよな町並みが続きますが、この続きはその3でご紹介します。

 

(まだまだつづく)