甲州街道を歩く 第8回 談合坂ー初狩 その1 | らんまるの街道歩き・暗渠散歩ブログ

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2021年11月20日()、人によっては四連休の方もいらっしゃるかも知れない土曜日に、甲州街道歩きの第八回として談合坂SAから初狩駅までの区間をややダッシュ気味に歩いてきました(ちなみに一昨日の土曜日はすでに次の区間、初狩から笹子峠を越え、甲斐大和まで歩いています)。

 

前回と兼ねることになった歩行ルートは↓の通り(中央道下りのSAから初狩まで)歩いた距離は、寄り道や、道を間違えて戻った分も全部含めて、峠越えも込みの24~25kmくらい。

 

7:05バスタ新宿出発の高速バスで談合坂に向かいます(↓先月の予告記事からの再掲)。

 

予定では8:10談合坂SA到着でしたが、初台辺りからひどい渋滞で、府中辺りですでに8:10を過ぎてしまいました(^^;)。社内から遠くに見える富士山で少し焦る気持ちを鎮めます(ケータイで無理やり拡大して撮ったので画像がめっちゃ粗いです。注:これはもう山梨に入ってからの写真)。

 

予定からおよそ1時間半遅れの9:30過ぎに談合坂SAに到着。おおっ、何かいい感じの秋の景色!

 

トイレに行ったり、地図・ガイドブックや熊ベルなどを出したり、以前歩かれたブロ友さんが紹介されていたこいつ↓(談合坂あんぱん)購入したりしていると時間はほぼ10時に。

8:10についていたとしたら8:30には出発できていたでしょうから、一時間半の遅れ。この日はできれば初狩駅まで進みたいのですが、日没16:25予定なのに10時出発では間に合わない可能性あるなあ。とりあえずこの日はコースアウトのお参りなどを控えめにしてとにかくさっさと進むことにしよう!そうとなったらこのらんまる、急ぐことに容赦はしません!

これが一発で分かる人は概ね同年代の方だと思います。

 

準備が整ったら↓の場所の右奥から徒歩でSAの外に出ます。

 

さて、前回と今回お世話になりました。

 

ちょっとガスってますが、この日の天気も良好な予報です。

 

おっ、富士山も見えてますね。時間は計算違いですが、幸先良さそう。

 

北の方向に向かって前回最後に訪ねた西光寺が出発点です。西光寺の右奥に伸びる道を進みます。

 

進んで行くとすぐに西光寺を巻くように左に曲がる登り坂に差し掛かり、街道右側の階段を登ったところに小さな祠のような天満宮の社があったので、この日最初のお参りをします。

 

パンパンッと。無事に歩ききれますように、クマさんに遭遇しませんように。

 

お参りを終えたらすぐにけっこうな上り坂が続きます。急斜面ではありますが、この程度の坂道なら自宅近辺に何本もあって、ここしばらくはずっとこんな坂道を登っていたので以前よりぐんぐん進めます。

この坂の途中で右に曲がったところに石仏石塔群があり、認識もしていたのですが、ちょうどここで早くも暑くなりジャケットを脱いだりしているうちにすっかり激写するのを忘れてしまいました(-_-;)。

 

坂を上がったら↓の地点で左折して高速の跨道橋を渡ります。

 

高速の真上からの景色(甲府方面)。高速道路にしてはずいぶんといい景色ですねえ。これは高速を走っている人たちよりも私の方がいい場所で見られてますね( ̄ー ̄)ニヤリ。

 

跨道橋を渡って少し進むと、江戸時代の旧街道さながらの景色が続きました。美しい景色だ!

とはいえまだ安心できる季節ではないのでセットしておいたクマよけベルをオンします。

 

杉の間を登ってゆくとほどなく車道に合流し、そのすぐ先の街道右手に「大先達白倉宝行」と刻まれた富士講碑がありました。

元来はこの先に跡碑のある萩の一里塚の脇にあったものですが、道路工事の際に移設されたそうです。

 

少し進むと街道右側の擁壁の上にその荻野の一里塚跡碑が立っています。日本橋から二十二里目。

 

これがその標柱ですが光の明暗さで字が読みづらくなってしまいました。

ま、大体この標柱の高さくらいにあったのではないか、などと見当を付けて先に進みます。ここから暫くは概ね中央高速道の近くを進んで行きます。

 

暫く進んで行くと、街道左側の階段の上に神社があります。ガイドブックにも「小社」とのみ説明が。

まあこの位の登りなら大したことないので上まで登って素早くお参りをして街道に戻ります。

 

更に進んで行くと、街道左側が崖になりますが崖下には、すでに植物に埋もれかけている廃墟があって反射的に激写してしまいました。

 

今はもう屋根がすべて一面枯れた植物で埋もれてしまい、一瞬「まさか茅葺き?」と勘違いしかけるほどでした(・・;)。

廃墟になって久しい感じですが、それ以前から住むにも不便だったのではないかな。。

 

いわゆる「古民家」ではないものの、赤い屋根の甲州街道っぽい民家の背後に先ほど跨道橋から見た山がいいコンビになっているのでこれまた激写。こういう山系の街道は秋がいいね(≧∇≦)。

 

そこから暫く進むと↓の地点に出ます。甲州街道は右に曲がりまた跨道橋(矢坪橋)を渡ります。

因みに直進すると、上り方向の談合坂サービスエリアに入れます(バスを降りたのは下り方向)。行けば何かおいしい物など食べられそうですが、さすがにここで休憩はないのでそそくさと右に進みます。

 

矢坪橋のガードは少々高めで手をいっぱいに伸ばして画面を下方向にチルトして無理やり写真を撮ると、うっすらと富士山が写っていました(画面中央近くのうっすらと白い物体)。

今日は富嶽にご縁がありそうで楽しみ!

 

橋を渡ると、街道も右側に大乗妙典 日本廻国供養塔が立っていました。

文化十年(1813)のもので、「六部」が全国66ヵ国の霊場一つずつに法華経を備えたことの達成記念碑だそうです。

 

そのまま進んで行きたい感じの景色ですが、甲州街道はここで右側のより厳しそうな坂道に入ります。

 

坂に入ってすぐ右に見えていた解説板がこちら。「矢坪坂の古戦場跡」の案内板。

かつては要害の地だったこの矢坪坂でかつて甲斐国の武田家の配下小山田氏と相模の後北条氏の間で戦があり小山田氏側で多数の死者が出たという説明があります。

 

坂道を登って行きます。この坂道は犬目峠を超える坂道。序盤からいきなりの峠越えです。

 

うん、イチョウがきれいじゃないですか♪

 

だいぶ見晴らしがよくなってきました。正面下方に見えている銀色の屋根の建物などが上り方向の談合坂SA。ずいぶんと近代的な施設に見えますが、ずいぶんと近いのに私はむしろNHKの「小さな旅」に似合いそうなのどかな景色の中を歩いている、、不思議な景色です。

 

旅はまだ見当もつかないほど続きますがこの続きはその2でご紹介します。

 

(まだ相当長いことつづく)