中山道を歩く22 1日目 美江寺-関ヶ原 その1 | らんまるの街道歩き・暗渠散歩ブログ

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先日の予告記事でお知らせした通り、9月19日(土)と20日(日)に、3ヶ月ぶりに中山道を歩いて来ました

今回は初日に前回ゴールの美江寺宿から関ヶ原宿まで、2日目に関ヶ原宿から醒ヶ井宿までと、併せてだいたい40kmほどの歩き旅です。

 

今回歩いた歩行ルートは↓の通り(歩く前に描いたものなので、実際に歩く時には少し違いが出たりしました)

 

朝6:10名古屋駅発の大垣行き電車で大垣に到着したら樽見鉄道に乗り換えします。定期券などを持っていない人は時間に余裕があれば一旦改札から外に出て、JRと共通の切符販売機で切符を買った方が簡便です(スイカ、マナカ等は使えないため)。

右下に赤丸で囲んだ「樽見鉄道」というボタンを押すと、樽見鉄道のチケット販売モードに変わるので、頭上の路線地図を見て、自分の目的地までの料金を選んで購入します(切符そのものはJRのと共通のオレンジのものが出てきます)。

 

切符でまた改札内に入場し、樽見鉄道のホームへ。待っていたのは観光列車ねおがわ。

 

出発してからふと上方向に目をやると、観光列車のためか可愛いらしいつり革が使われていました(^^)。

 

10分ちょっとで前回ゴールして美江寺に到着します。

太陽は照ってないけど、空は所々青空、気温はちょっと肌寒いくらい、しかも湿度も低め!これは街道歩きにはベストの天候です。

 

今大垣から乗って来たばかりの線路と変更な道を南に下りること2,3分、前回街道歩きを終えた地点に到着します。

その先の角を曲がったら即美江寺宿に入ります。

 

美江寺は、小さな宿場な上、大雨になる度に長良川の逆流で水浸しになる悪条件の宿場だったことから、幕末にはガラの悪い宿場と化していたそうです。天保の頃の記録では本陣一軒、旅籠十一軒、宿場の人口は582人だったそうですが、今は静か、、ながらクルマ通りが多く街道ウォーカーにはやや要注意な宿場になっていました(写真はクルマの居ない時を狙って激写しています)。

この道幅でクルマがすれ違いますから時々ちょっと怖かったりしました。

 

昭和文化遺産的な建物は豊富です。

やはりこの辺りの住宅も二階が袖壁仕様になっていますね。黒漆喰がシブくて素敵です。

窓枠のデザインがまたいいなぁと思います。

 

更地が目立ちますね。あまり宿場らしい雰囲気はこの辺りでは見られず、強いて言えば緩やかに湾曲したこれ位の幅の道は街道っぽいなあという位でしょうか。遠くの方には古そうな建物も見えているようです。

 

↑の写真の右手前に見えている民家の前に美江寺一里塚跡碑が立っています。

江戸から百八里目に当たります。旧東海道なら間もなくゴールできそうな距離を歩いて来た訳です。

 

もう少し京都寄りの方には風情のある建物が更に期待できそうですね。左奥の黒っぽい建物、奥の右側に写ってるかなり大きな建物がここからでも気になります。

 

おっ、ここで街道左側には造り酒屋の布やがあります。こちらは元禄九年(1696)の創業。宿場の中では濃尾地震で唯一崩れなかった建物との事。さすがに歴史の重みを感じさせる風情があります。

反対の角度からも激写!

 

こちらも昭和遺産系ですね。奥に見えているのは、この辺りからよく見られる様になった、屋根が幾重にも重ねられたデザインの家です。

 

さっき遠くから見えていた建物ですが、やはりかなり大きな建物の様です。

 

建具、ふすま、アルミサッシという看板が架かっているので、工務店といったところですか。こちらは右の建物と同じ店舗なのかどうか判然としませんが、屋根は二重に重ねた構造になっていますね。

よく見ると更に奥にある、二階に袖壁のある建物も気になります。

 

うーん、一階には道路に対して斜めに切った、摺り硝子張りの木枠のドアがありますね。昭和前期の建物に見えます。

この手の建物をいちいち激写しているせいか、全然歩みが進んどらん(^^;)!!

 

その先の信号交差点が枡形になっていて中山道は左折しますが、その前に右側にあるものを幾つか見ます。

 

まずは↑の写真のすぐ先の右側。

こちらは美江寺観世音道という現代の道標と北の方に続く道路があります。

左側に見えているのが美江神社で、その裏辺りに観音堂があったのですが、斎藤道三が岐阜に持って行ってしまったので、廃寺になってしまったのだと、ガイドブックにありました。

 

で、こちらが美江神社です。

 

境内で色んな写真を撮る前に本日の道中の無事を祈ってお参りします。

 

境内には高札場が復元されています。

 

個別の高札も本格的な復元!

 

先ほどの枡形の交差点で左に曲がっていくと曲がり角には、虫籠窓のある大きな古民家がありますが、こちらは庄屋の和田家。和田家はこの近くにある美江寺城主和田氏(美濃源氏である土岐家家臣)の末裔とされています。

 

曲がった先はなかなか風情がありそうですね。こちらの方が宿場としては本番というところでしょうか。

 

こちらの袖壁付きの古民家もけっこう年代ものな気がします。

気に入ったので何枚も激写しました。

 

その先、鰻屋のある角で左に曲がって寄り道をします。

 

しばらく進むと、左に瑞穂市立中小学校があります。芝生みごとだな。

 

向かって左奥の方に、石垣で囲んだ美江寺城跡碑が立っています。

んー、出発してかれこれ1時間くらい経ってるのに1kmちょっとくらいしか進んでないんじゃないかと思います(^^;)。焦らず歩き、焦らず旅の記録も進めることにしますね。続きはその2で御紹介します。

 

(つづく)