県を跨いだ移動が可能になった6月19日(金)の夜、忍び寄る夜の闇と共にこっそりと新幹線で名古屋に移動し、その翌日と翌々日の二日間、名古屋を拠点に太田宿から間の宿の新加納、そして新加納から美江寺(駅)までの道のりを歩いた、21回目の旧中山道歩き記事、その19、二日目の旅の第九弾、この旅の最終回です。
今回歩いた区間は↓。
二日目に歩いた新加納~美江寺駅周辺までは17kmほどでした。
その18では、何度も何度も見かけた、「絶対にお参りさせないもんね~」的にガードの堅い秋葉神社を見て、この火伏の神を固く守り抜いた先人たちのこころに想いを馳せたところまでをご紹介しました(☟再掲)。
さていよいよ旅も大詰めですが、私は美江寺宿の手前の樽見鉄道の美江寺駅でこの日の旅を終えるため、この本田(ほんでん)の立場が最後の見どころとなります。
時折、古そうな民家が混じってる感じですね。
上の写真の右端に見切れている建物が本田代官所跡です。
由緒正しい出桁造りの建築ですが、トタン板とアルミサッシで、建築に詳しいブロ友さんの言う「魔改造」がかなり進んでいる様です。
一階の真ん中の格子辺りに微かに昔の名残が残ってますか。。
せっかくなので説明板も激写(私はその場ではあまり詳しく読まず、後でじっくり写真で読む派、です)。
この辺りは幕府の直轄地だったんで、代官所があったという訳ですね。
おお、見事な塀ですね!!
母屋はけっこう普通に現代的です。
そこから100Mくらい進むと、次の歴史遺構があります。
赤い矢印の先に赤丸で囲んだところですが、これは事前に知らないと、江戸から京に向かう旅人には見つけにくいです。
通り越してから江戸方向を振り返ると、、
ここに高札場があったんだそうです。その「中山道分間延絵図」のコピーを見たいものですねえ。
はるか前方に見えてきたのはひょっとして伊吹山?
そうなら嬉しいです。伊吹山は、愛知県豊田市にある私の実家から坂を登って西の方が遠くまで見渡せる丘から見えていた山で、冬の頃などは、雪を纏ったその姿を毎日のように眺めていたのです。
(今だと距離間的に筑波山や富士山が同様の存在感です)
岐阜県や三重県(それに静岡県)は家族旅行などで何度となく来ているので、やはり当時の思い出とリンクするものが多いですね。旧東海道の時もそうでしたが、これは東海地方出身の私ならではの旅の特典です(^^)。
突如右に聳え立つ三甲株式会社のビル!
プラスチック製のパレットなどの物流資材の会社です(その場でスマホで調べました)。
五六川という川の手前であるものに気づきました。
トイレ←って書いてある!!助かったぁ!
川の手前で左に折れ、300mほど奥にある公衆トイレに向かいます。
コンビニなどの店舗が少ないエリアでは貴重ですから、こういう時にちゃんと行っておかないといけません。
改めて五六川前に戻ります。
この五六川は何でもこの先にある美江寺の宿場が中山道で56番目の宿場であることに由来するのだとか。
そーか、そーか。。 あれ??美江寺ってたしか55番目の宿場だったんじゃ。。。 と先人の記録などを例によってその場でスマホで調べて見ると、スタート地点の日本橋をすでに1としてカウントするからそうなるのだそうです。そうだったんだ!
ここから先では暫くの間、田園風景が楽しめました。
奥州街道シーズン2で仙台を目指した頃から、こうした「空と山と田畑」みたいな風景を求めて旅をするという要素がかなり大きくなった気がします。やっぱり美しいですよ、日本の田園風景は。
しあわせー!という気持ちになります。終盤のクライマックスは個人的には立場よりもこっちだった様です。
いよいよ大きく聳えてきた伊吹山!お久しぶりです!!
強いて言えば路肩が狭くて、というよりほぼ無くて時々怖かったり。
さっきの写真は思い切り望遠を最大に効かせてたので、右に写ってる白い建物が却って小さくなってしまいました。
心が癒される景色です。
こういう風景を愛でられるようになったり、昭和の建物を貴重に思えるようになったことから、私の街道歩き中の「やや退屈な時間」は激減しました。
今では景色が延々と変わらない国道歩きを除けば、だいたいの風景を楽しめるようになったのではないかと思います。
あ、あれは樽見鉄道の踏切ですね。長くて楽しかった旅もいよいよ終点が近い様です。
ついさっきまで結構ゴールを目指して急いでいたのに、ゴール近くになると急に名残惜しくなるのはいつものこと。
未練たっぷりに大垣方向(南)を見て、、
本巣方向(北)を見ます。
遠くには、この後電車に乗って帰途に着く美江寺駅が見えています。
あと100Mほど旅は続きます。その丁字路辺りが美江寺宿の入口で、直進するのが中山道ですが、私はそこで右折して美江寺駅に向かいます。
おや、右側の水路脇に石柱が立ってますね。
道標でした。「右 岐阜 加納 ニ至ル
左 北方 谷汲 ニ至ル」
と刻まれています。
表現や字体、カタカナを使ってるのを見ると明治以降のものですね。
さ、この厳めしい建物が今回の旅の最後の建築物で、次回の旅の最初に見るものですね。
またね!
やはりここが美江寺の東端なのですね。少しだけ見たい気もしますが、1時間に1,2本しかない電車が10分後に迫っているので、次回の楽しみとします。
無人の美江寺駅に着きました。右に写ってるコカ・コーラの自販機はCoke-Onというアプリに連動しています。
アプリと自販機を繋いだ状態で購入すると1本につきスタンプ1つ(月曜午前中は1本につきスタンプ2つ)、更に一週間の間に49,000歩歩くと更にスタンプ1つがもらえ、15個溜まると無料でドリンクが貰えるチケットに変わるという仕組みで、私はこの時スタンプを何と3つもため込んでいたので、リアルゴールドなどを無料で頂き有難く飲んだのでした(≧∇≦)。
(小口株主なので少し宣伝臭が入ってしまいました)
電車が通らないのをいいことに思い切り線路のど真ん中からホームを激写します。
樽見鉄道、きっと鉄道ファンの方には有名なのだと思います。
駅前の鄙びたアパートにもののあはれを感じてこれも激写。
入居者募集中かあ。
小さな駅舎にはこの辺りの見どころが紹介されていました。
富有柿が名物なんですね。
さーて次はいつここに戻って来れるかな。。
あっ、電線ジャマですがまだ金華山と岐阜城が見えてますね。
見送り、大儀である!!
ということで数分後にやってきた電車で大垣に向かい、電車を乗り継いで帰宅したのでした。
さーて、さて、次はいつ美江寺から歩けるものでしょうか。早く帰って来れるといいなあ。