古隅田川(都内部分)を歩く その1 | らんまるの街道歩き・暗渠散歩ブログ

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本日はがらっと趣向を変えて、暗渠散歩をすることに。

鎌倉街道下道の続きを歩きたいのはやまやまですが、3週連続で

アップダウン有りの道を20KM以上歩くと、「ギックリ腰になりやすい」

状態になるんではないかと思われ、短めの距離の散歩にしました。

 

歩いたのは古隅田川(ふるすみだがわ)の都内の部分。ざっくりと

表現すると、埼玉県内と東京都内にちょこっとずつあります。

単に今の隅田川の古い流路、というような意味合いではなく、

徳川幕府の治水で色々川の付け替えがあった関東では割と河川の

歴史が複雑なので、長いですがそのままWikipediaから引用します:

「かつて隅田川は利根川の下流に位置しており、武蔵国と下総国の境界線となっていたと考えられている。埼玉県と東京都にある2つの古隅田川はかつては利根川-隅田川の一部であり、現在の河川に則すれば、古利根川から古隅田川(埼玉側)、元荒川、中川、古隅田川(東京側)、隅田川という流れが利根川及び荒川の本流であったと考えられている。」

 

で、この東京都内の部分、私はほんの一部を除いては基本的に

通勤定期券のエリアにあたり経済的にもおトクなので近々歩こうと

狙っていたものです。ちなみに都内の部分は葛飾区と足立区の

区界となっています(かつては武蔵下総の国境でした)。

 

前置きが妙に長くなりましたが、本日の歩行ルートは☟。

歩いた距離は全部合わせて10KMくらいの様です。

 

朝8時前に常磐線で北千住に到着。地下のサンマルクカフェで

ゆったりと朝食を摂ります。

黒いのは愛用のカメラバッグ。昔見ていた「ニッポン 絶景街道

という、BS朝日のカメラ関係の番組で、鵜川真由子さんという

写真家が使っているのを見て、その色違い版を買ったもの。

 

と、いう余談は置いておいて、

 

朝食が終わったら、東武電車で一区間移動し小菅駅に到着。

小菅は一昨年の10月に赤山街道のゴール地点として来て以来です。

 

ホームを歩いているとちょうど特急電車が通過したので激写。

 

そのまま2、3分歩いて小菅万葉公園に到着します。

ここも赤山街道の千住道でゴールインする前に来たところ。

 

当時は親水公園としてしか認識していなかったのですが、これは

古隅田川の流路が親水公園となっていたものだったんですね。

 

公園内にはこの辺り一帯にあった、伊奈家の小菅御殿についての

案内板なども立っています。

 

そして園内では桜が満開!

ロケーションは東京拘置所のすぐ裏っかわなのですが、桜の良さには

関係ありませんね。

 

おっ、古隅田川の説明もちゃんと大々的にされていますね。

 

そのほか、小菅銭座があったことなどが説明されていました。

 

流路に沿って歩き始めます。フェンスの向こうは官舎。

 

東京拘置所をぐるっと囲う様に、最初は北向きに進んだ後、右に

カーブをして東に進みます。東向きになると流路跡の親水公園の

土手には満開の桜が!

 

木製のデッキに足音が響き、エサでももらえると思ったのか、

大きなコイが出てきて「こんちはっス!」。

この後大きく口を開けてましたが、ごめんねエサ持ってないんだ。

 

そして土手の向こうで、朝日に燦然と輝く拘置所。。。

前も書いたことがあるかもしれませんが、関東に越してきたばかりの

頃は、「立派なマンション」だと思ってました。

 

☝の写真の左端に写っている橋のところから左(北)方向には

五反野親水緑道があり、少しそちらにも寄り道してみます。

こちらも桜が今を盛りと満開で迎えてくれました。

 

そのまま緑道を進んで行くと、いつも私が通勤で使っている

常磐線の高架に差し掛かります。ちょうど電車も通ってくれました。

こういう時いつも思いますが、高架の上の電車の中から見るか、

下から見るかでは何かと大違いですね。

 

そのJRの高架下には、下山事件で命を落とした、国鉄総裁(当時)

下山定則さんを追憶する碑がありました。

下山事件は結局真相がわからないままになっているのですね。

 

古隅田川流路に戻ります。古隅田川の流路を辿る際に最も参考と

なるのは、足立区と葛飾区の区界の線ですが、この付近の区界は、

親水公園をそのまま東に向かい、途中で(今の流路を超えて)

拘置所に近い方に進んでいます(ちょっと言葉で説明しづらいです)。

 

このため、この散歩では一旦親水をそのまま東に進んだ後、

上の方にあった「朝日に燦然と輝く拘置所」の写真で見えていた

橋のところまで戻り、拘置所に沿って歩くことにしました。

 

まずは一旦親水に沿って歩きます。水面スレスレを這うように

伸びた桜の木がなかなかカッコいい!

 

遠くの方に配水場が見えてきましたので、いったんこの方向は

ここで引き返し、拘置所前の橋まで戻ります。

水面には桜の帯ができてますね。

 

こちらが、拘置所の敷地にグッと近づくことのできる新古川橋。

橋を渡った後、左方向に進みます。

 

黄色いおべべを着せた犬を散歩している老婦人がのどかに

散歩をされていました。

 

4枚前の写真の水面ギリギリに伸びる桜を反対から見てみると、

おお、こいつはまるで龍が臥せっているようじゃ風情じゃないですか。

ということで、個人的に「臥龍桜」と呼ぶことにしました。

(横に枝の広がる松や桜を“臥龍”と呼ぶこと多いですよね)

 

やがて拘置所のフェンスに「一茶と小菅」という案内板が。

「遠水鶏(とおくいな) 小菅の御門 しまりけり」をはじめとして

3首ほど小林一茶の句が紹介されていました。かつてはそれなりに

風流な句も詠める場所であったんですねえ。

 

この辺りにも桜が満開で、思わず空を見上げて桜を激写!

 

そのまま拘置所の敷地に沿ってクランク状に進み、綾瀬川の堤防に

差し掛かります。護岸を模した側溝がありますね。

やっぱり区境の通り、古隅田川がこちらを流れていたことの

主張でもあるのかな。

 

この先、流路は右に曲がり、一旦南方向に続いていたのですが、

今は何と開削された綾瀬川に呑み込まれてしまっているらしく、

しばらく綾瀬川に沿って南下するしかなさそうです。

 

と、その前に左(北)に少し寄り道すると、西綾瀬稲荷神社という

小さな神社を見つけたので、お参りします。

 

更にそのすぐ北には、さっき親水に沿って進んだ時に見えていた

配水場があったので、そちらまで回って一応記念写真を。

 

改めて綾瀬川に沿って南下し、古隅田川の流路への復帰の道を

急ぐのでした。

 

 

続きはその2でご紹介します。

 

(つづく)