2017年12月8日(金)、年末で忙しくなりつつあるこの時期に、
こともあろうにお休みを頂き、中山道歩きの第10回として、
安中から横川までの区間を歩いた記事のその3です。
当日の歩行ルートは☟。
寄り道なども含めると、総歩行距離は21.5㎞ほどでしたが、行程の
大部分が上り坂だったせいか、距離以上に疲れました。
今回もガイドブックは「ちゃんと歩ける中山道六十九次 東」です。
その2では、松井田の宿場の入口に差し掛かったところまでを
ご紹介しました(☟再掲)。
100Mほど進むと、街道の左側にかんべや、という商店があります。
かんべやのすぐ手前を左折する道が妙義道で、ここが妙義山の
登山口となります。
数十メートルくらいしか見えてませんが、どことなく古道っぽい趣が
感じられるような気がします。
かんべやをお向かいから激写したのが☟。
ちょっと見づらいですが、建物左端の看板が「妙義登山(口)」と
書かれているのが分かります。
そのお向かいあたりには徳右衛門脇本陣があったそうですが、
どれがそうだったかは分かりませんでした。
古い建物が色々並んでいて趣深いですね。
その先の右側にある山城屋酒店は、かつて小田原の「ういろう」の
分家のういろう屋があった場所です。
東海道沿いから分家して中山道沿いに出店していたのですね。
今もういろうを売ってくれていれば買いたかったものです。
その先街道左側にある群馬信用組合は、金井本陣跡。下の本陣
(下、は京から見ての話ですね)と呼ばれ、問屋を兼ね、上の本陣と
一か月交代で勤めた、とのこと。
その先、交差点の右奥の角に旧家があります。剥げた看板には
「畑中医院」という跡が残っていました。
素晴らしいな、松井田宿。建物の右下部分に小さな石標のような
ものが見えるので近寄ってみると松井田の道路元標でした。
そのすぐ先の左側にあった、寂れ切った看板建築。
看板には「横山洋品店」と書かれていたのだろうと思われます。
かつてはハイカラな洋服などを売って、賑わっていたんだろうな、と
何となくしみじみ。最近は廃屋を見ると、勝手に過去を想像して
しみじみする事が多くなってきました。年齢によるものかな。
町が閑散とした感じですが、これもまた一種の風情かな。。
やがて宿場の中心部を外れたあたりから再びあからさまに
上り坂になります。
上り坂の左側にあった、立派な構えのお宅の門前には
中山道のルート地図の写しが刻まれています。
その先、右奥に安中署の松井田分署が見えるところで、中山道は
県道から左に逸れて旧道部分に入って行きます。
分岐したその先はかなりの旧街道風情。
この水準の風情ある風景が連続して見られるようになってきたら
街道歩きももうこっちのモン(?)です。
その先、右側が畑になったところで、街道の右側に道祖神などが
立っていました。
そのほんの少し先の左側にある民家の敷地には、三十三里目の
新堀の一里塚の案内があります。
案内に従って、少しだけ奥にお邪魔させていただくと、、
こちらが一里塚の様です。
その先、本来の街道は☟の踏切の方向に伸びていたのですが、
その先で道が消失してしまっているので、ここで踏切を渡るのは
見合わせ、しばらく直進します。
やがて☟の中山道第十踏切で、信越線を渡ります。
中山道第○踏切も十まで来ましたよ。
山はいよいよ大きく聳えてきます。厳密にはこの部分は旧街道では
ないですが、なかなかの風情。
街道でもないのに、というと失礼ですが道中何やら小さな
道しるべ的なものを発見。
下の地点で左折します。
左折した先で、先ほどみた踏切の先で消滅していた、旧道の
延長戦にある街道に合流できるのです。ちなみにこの地点から
直進してもいずれ中山道には合流できますが、旧道の続きは
見損なってしまいます。
この辺りにくると妙義山の全貌が思い切り見えるようになります。
☟の地点に突き当たりますが、ここで左右に伸びているのが
旧中山道です(左が江戸側)。一旦、左側の江戸方向を見ます。
今のどうろ道路は写真奥で右側にカーブをしていますが、本来の
中山道はほぼ直進コースでこちらに向かっていた様です。
京の方向に向き直り、先に進むと☟の地点で、ここまで着かず離れず
並走してきた国道18号に突き当たります(3枚前の写真で直進を
してもここに出ます)。
国道を斜めに横切った向こう側に道が見えていますが、それが
中山道です。ここは得意技、「脱兎の様に渡る」で向こう側に
出ます。
その先でもまた、いい風情の街道が続きます。
しかし、微妙に登り坂が続いていますね。この日の大部分の行程が
登り坂なのでけっこう疲れも溜まってきていますが、労力を払った
だけの価値はある景色を見させてもらっています。
その先にある床屋さんの横に庚申塔と二十三夜塔が立って
います。
☟の地点で右折をして寄り道をします。
右折をした先には、五料茶屋本陣があるのです。
五料茶屋本陣はそれは素晴らしいものでしたが、ここまでを3として
続きは4でご紹介します。
(つづく)