ゆっくり中山道を歩く第9回 高崎-安中3 | らんまるの街道歩きブログ

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2017年10月28日()に、旧中山道歩きの第9回として、前回ゴールの

高崎から安中駅までの15㎞弱(駅⇔街道や神社仏閣参詣もすべて

含めた総距離)を歩いた記録の3/3です。

 

当日の歩行ルートは☟。

今回もガイドブックは『ちゃんと歩ける中山道六十九次 東』。

 

2/3では、板鼻宿の入口あたりで、「やはたみち」と刻まれた

道標を見て、宿場への期待を膨らませたところまでをご紹介

しました(☟再掲)。

 

宿場に入ってすぐの右側には板鼻館があります。こちらは4代続く

かつ丼屋さんですが、実は旅籠「角菱屋」跡です。

時間も御昼過ぎだったので入りたかったのややまやまですが、

ここで時間を過ごしてしまうと、ゴール付近で暗くなりそうなので、

我慢!

 

その先、なかなか街道の宿場らしい風景が続きます。

☝の写真で右に見えているのは越屋根が二つある構造の建物

ですが、そんなに古くは無いように見えました。

 

途中で見かけた唱和美容院が昭和を感じるいい風情でした。

 

その先右側にある公民館は板鼻宿本陣跡。

 

注目すべきはこの公民館の敷地奥にある建物。

こちらはかつて皇女和宮も一泊された、かつての本陣の書院。

現在は和宮資料館となっており、拝見したかったのですが、公民館に

予約が必要とのことで断念。

 

公民館を出て街道に戻ろうとすると、公民館の前、先ほどの本陣跡碑

とは反対側(左側)に中仙道板鼻宿の碑がありました。

 

そのすぐ先の右側にあるのは旧てうちん屋。

現在は土蔵造りの花屋さんになっています。

 

その先、小さな公園の様なスペースに石仏石塔群がありました。

こういうのは雨に濡れていると風情が増す気がします。

 

自然な道の緩い曲がり具合や民家の並び具合はやはり宿場らしい、

旧街道の風情が潜んでいる様に感じます。

旅篭や本陣がそのまま残っている宿場はもちろん素晴らしいですが、

こうやって「かつての宿場がそのまま自然に現代に移行しました」

といった雰囲気の風景も最近は好きだなあと感じます。

 

その先に板鼻堰という慶長年間につくられた用水路の豊富な水量が

目に入ります。これは、鷹之巣山麓から烏川まで15㎞も続く用水路で、400年ほどの歴史を持つ、歴史的な遺構です。

溢れそうに水が豊かですね。

 

下流方向を見ると、My橋的なものがあったので、落ちない様に

気を付けながら用水の真上で激写してみます。

 

街道に戻り進んで行くと、碓氷川を超える鷹之巣橋の袂に出ますが

その交差点の手前右側に鷹之巣神社入り口の碑がありました。

奥の山に鷹之巣神社がある様ですね。

 

その先の鷹之巣橋東で左折し、橋を渡ります。

左折といっても緩やかに左にカーブする、程度の曲がり方です。

旧道は☝の写真のほぼ真っ直ぐな方向に伸びて、ちょうど写真

中央の方向に渡し場があったとのこと。

 

信号を渡って、鷹之巣橋を渡ります。

写真の右端方向辺りに渡し場があったと思われます。旧中山道は

この橋の少し右側で川を渡り、その先に続いていた様ですが、今は

ともあれこの鷹之巣橋を渡ります。

 

雨が多いせいか流れもやや激しい印象。

 

碓氷川の脇にはものすごい崖が見えています。

 

橋を渡ると☟の交差点に出ますので、ここで右折をして、一本

右の通りに入ります。カシミール3Dを使って地形を見てみます。

ピンクの線が実際に歩行した中山道のルート、黄緑の線が☝の

写真の崖ですが、碓氷川が削った河岸段丘の様ですね。

すごい削り方ですね、しかし。

またその崖の向こうからは絶えず発破の様な爆発音が立て続けに

聞こえていました。

 

橋を渡ったら、☟の交差点で右折をして、一本右を走っている

中山道のルートに入ります。

 

旧道筋を見たらそのまま左折すれば順路ですが、江戸方向を

振り返るとかつての渡し場から続いていた旧道が残っていたので

そちらも激写します。

何かの倉庫が見えていますが、あの向こうにこちら側の渡し場が

あって、中山道を京に向かう旅人はこちらに歩いて来たんでしょう。

碓氷川は徒歩渡しだったそうですからまだ草鞋も濡れていたと

思われます。

 

すぐ脇には中山道の標識もありました。

 

その先、旧道らしい、私の好きな感じの風景が続きます。

侘び寂びの利いたいい風情です。

 

こちらはただの民家というよりは何か商売でもしていた様な

感じですね。

 

途中の左側にある蔵の付近に、二十九里目の中宿一里塚跡碑が

ある、とガイドブックにありましたが、見つけられませんでした。

左下に見えている緑っぽい色の石は一里塚跡碑ではなく、残念。

 

寂びれてしまったバラック風の廃屋は、破れっぷりが半端では

なかったです。

どんな人が住んで、どんな風に廃屋になったんでしょうね。

 

その先の左側にある門には庚申塔道標が立っています。

「従是 一宮大日街道」と刻まれています。

 

どことなく風情のある旧街道風景が続きます。

日本橋から百キロ以上離れていると、風情のある景色もちょくちょく

見られるものですね。

 

やがて☟の地点に出ます。車道は左にカーブして行きますが、

中山道は直進方向。

追分部分の又にある建物がなかなかいい感じ。

 

石垣の堤防が見えてきます。

 

本来中山道はこのまま真っ直ぐ進み仮橋で碓氷川を渡っていた、

とのことですが、今は堤防に沿って左に曲がります。

 

堤防の石垣の脇には再び中山道標識がありました。

 

そのまま道なりに左カーブをするのが順路ですが、その前に

折角なので堤防に上がって辺りをしげしげと眺めます。

 

ちょうどこの方向に向かって仮橋が架かり、向こう岸に渡っていたと

思われます。

 

今回の街道歩きはここまで。南にある安中駅に向かいます。

駅に向かい始めてすぐに道祖神を発見。

 

安中駅に到着し、高崎経由で帰宅したのでした。

 

このところ職場でハードな仕事が多かった一方、ほとんど歩けて

おらず少々ストレスも溜まっていたので、雨の中でしたが、存分に

旧街道の風情を楽しむことができ、「行って良かった!」と思える

旅になりました。

 

十一月中にもう一度歩いて横川まで行ければ、「12月にクマが出なく

なってから碓氷峠を登る」という目標は達成できそうです。次回を

楽しみに地図でも描き進めておくとしますか。