清戸道を歩くその1 2/2 | らんまるの街道歩き・暗渠散歩ブログ

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2016年7月2日()の清戸道歩きの第一回、その2/2です。

 

当日の歩行ルートは↓

総歩行距離は16.6㎞ほどでした。

 

※ルートラボのサービスが2020年3月末で終了したので、4月22日に

 Googleマップを貼り直します。

 

1/2では、武蔵野稲荷神社の参道に入ろうとしているところまでを

ご紹介しました。

 

こちらの神社の創建は不詳ですが、かつて太田道灌に滅ぼされた

豊島氏の死者を祀った塚の守り神とも言われているそうです。

 

参道を奥に進み、左側にあるきれいな随身門を通ります。

金色系の色が使ってあって壮麗な感じですね。

 

中に入ると拝殿もやはり金色を使った壮麗な建物です。

 

境内には神秘的な雰囲気のお稲荷さん(身代稲荷大神)もあり、

そちらはちょっと凝った写し方を試してみました。

たま~にやりますが、赤だけ見せてそれ以外はモノクロにしてます。

独特の雰囲気になるのでけっこう気に入ってます。

 

街道に戻って200Mほど進むと環七道路の高架をくぐります。

 

その先、向かって右側の歩道は、とても幅広く、自転車と歩行者の

区間がハッキリ分かれており歩き易い!

、、のですが、向かって車道から離れた方が歩行者用なので、

いつも外側を歩いていて、街道該当部分と思われる車道が全然

見えなくなってしまい、やむなく左側に移ってみたりしました。

 

環七の高架からちょうど1kmくらい先が練馬駅近辺になりますが

その辺りで急遽我慢できないほどお腹が空いたので、付近の

ドトールで朝食を摂り街道歩きを再開します。

 

その数百メートル先の豊玉北六丁目交差点で、目白通りと

千川通りがそれぞれ右と左に分かれますが、ここは右の

目白通りに進み千川通りとはお別れとなります。

 

目白通りになるとほどなく西武池袋線の高架をくぐります。

 

その先で道路端に小さな実がなってるリンゴらしき木を発見!

 

西武池袋線の高架を潜ってから600~700Mほど進んだ先、

↓の地点で右に逸れる旧道に入ります。

 

右に入ってそのまま真っ直ぐ進むのではなく、入って100M足らずの

↓の地点で更に左に進みます。

 

そのまま進むと、途中街道右側の小さな丘の上に須賀神社が

あります。

 

須賀神社の参道階段下の左側には清戸道の石標と、案内板が

立っています。案内板の説明は1/2冒頭の、目白坂にあったのと

ほぼ同じ内容。

↑の写真の角度が妙なのは、このすぐ右側に車が停まっており

これ以上の角度が取れないからです。

 

須賀神社の後、街道はほどなく目白通りに再合流します。

そのすぐ先の右側には貫井寺があります。山門の手前

左側には「子ノ聖観世音」と彫られた文化7年(1810)の石柱が

あります。

 

お詣りを済ませ街道に戻り100Mちょっと進んだ先の練馬二小前

交差点で右に逸れる旧道に入ります。

↑の写真の奥の角には東高野山道標があります。

ここから真西方向にある東高野山長命寺への道を示すものです。

 

そのすぐ先のY字路を左に進んでゆくと、緩いS字カーブをした

緩やかな下り坂があり、これはおさる坂というそうです。

坂の途中でよくお猿さんが目撃された、、、、のではなく、

塔が二基あったそうで、「申」のさるでした。

 

坂を下りてゆくと、途中にある民家の二階の窓にたわわに

緑のぶどうが実っていて思わず激写します。

 

おさる坂を下りきったら石神井川を道楽橋で渡ります。

冒頭の清戸道のWikipediaでは、この道楽橋については

「橋の架け替え工事の際に付近の農民を集めたところ、農繁期で

あったために人員が集まらず、なかなか工事が進まなかったことから、

道楽で橋を架けているように見えたためにその名が付いたとされる」

との記載があります(他にも諸説ある様です)。

 

その先、変則的な五叉路の角(左側)に庚申塔があります。

後ろ側を振り返る様にしないと見つからないので、要注意、です。

 

その先で今度は環八通りの高架をくぐり、その交差点の左斜め前

方向に進む細道に入ります。

上の写真の左端に写っている建物のすぐ右を通る道ですね。

すごく細い道なのですが意外に車通りが多くて少し要注意。

 

少し進むと道幅も広がり、そのまま道なりに進むと、やがて東京ガスの

ガスタンクが真正面に聳え、行き止まりになってしまいます。

本当はこの200Mほど手前で曲がっておくべきだった様ですが、

今となっては仕方ありません。​この間違いで清戸道の案内板と

庚申塔を見逃してしまい残念( ̄□ ̄;)!!

 

ともあれ、ここで右折して少し坂を上り、次の信号で左折をすると

清戸道に復帰できます。

 

左折後100Mほど進むと右側には東本願寺真宗会館がありました。

 

その後緩やかな下り坂の途中にある自動車学校の横を過ぎて

ほどなく目白通りに再合流します。

 

合流後すぐの右側に練馬区立総合体育館があります。

この体育館の前(↑の写真よりもう少し左に進んだところ)には

須賀神社の階段下にあったのと同様の清戸道石標と、案内板が

立っていました。

こちらも清戸道の案内内容はこれまでとほぼ同じ。

街道としては決してメジャーではありませんが、きちんと保存が

されているのはいいですね。

 

そのすぐ先で、笹目通りとの大きな交差点に差し掛かり、ここでは

立派な歩道橋を渡り、左前方向に渡っておきます。

 

歩道橋の上から「ミニチュア」モードで下をゆくクルマを激写。

 

その後500Mほど先で清戸道は、右にカーブする目白通りから

離れて直進する旧道に入ります。

 

旧道に入ったら落ち着いて歩けるかな、と思ったのですが

かなり交通量は多く、路肩も余りないので自分の横で

クルマがすれ違う時は注意が必要です。

↑は珍しく車が切れた瞬間が撮れたもの。

 

目白通りを離れた後400~500M先にある三原台一丁目交差点を

超えて更に300Mほど進んだところの右側に薬局がありますが

その前に宝暦十一年(1761)付けの庚申塔がありました。

 

そのすぐ先の右側に昔ながら風の銭湯が見えます。

 

銭湯の奥側に沿った道に入って行くと、三原台稲荷神社があります。

ここはかつて下石神井村の鎮守だったところです。

 

150Mほど進んだ信号交差点でこの日の清戸道歩きは終了。

ここで左折をして、石神井公園駅に向かって南下します。

 

南下する途中で左折すると左側に石神井神社があります。

この神社は石神井という地名の由来になっているそうで、ここの

ご神体は石神井村三宝池から出土(出水?)した石の剣だそうです。

境内ではカラスがかなり幅を利かせており、ちょっと怖かった。

(参拝する時にふんを落としてきました←ぎりぎり避けましたが)

 

その後数分で石神井公園駅付近に到着。おしゃれなお店が

並んでいます。

 

歩きで汗だくになってしまったので、駅ビルのスーパーに入って

わざと生鮮食品コーナーなど、特に冷えているエリアをうろつき

クールダウンを済ませてから、西武線に乗って帰宅しました。

 

清戸道、地味と言えば地味なのですが、元々野菜を運ぶための

いわば生活道で、今も生活に密着したエリアを通っている感じが

非常に親しみやすく、いわゆる高名な旧東海道なんかとはまた

全く別の楽しさがある様な気がします。

 

次回でもう終了してしまいますが、残りの距離も楽しんで

歩きたいと思います。