奥州街道を歩く シーズン1 第4回 3/3[最終] | らんまるの街道歩きブログ

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2016年5月2日(月)の奥州街道歩きシーズン1(道中奉行
管轄区間)、第4回の3/3です。

歩行距離は、ゴールの女石追分から白河駅まで戻った距離などを
含めた総距離で、過去最長の32㎞となり、歩行ルートは↓です。

上の地図をクリックするとYahooの地図ページに飛び詳細が
見られます。一部の区間(芦野~白坂)までは拡大が効かない
のですが、右上のボタンで「写真」に切り替えると拡大可能と
なります。

2/3ではいよいよ福島県内に入り張り切っているところまでを
ご紹介しました。

福島県側の境の明神である住吉神社のちょうど向かい側、少し階段を登って右を見ると白川二所之関跡碑があります。

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片仮名と感じの文章で大変読みづらく理解し切れなかったですが、昔からここは二所ノ関と呼ばれ、古代の白河の関ももしかしたらここだったのではないか、という趣旨かな?と推測。

同じ敷地内の民家は南部屋という茶屋の跡とのこと。
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往時はみちのくと関東を行き来する旅人でにぎわっていたのだろうな、と思いますが面影はありません。

その先しばらく下り坂が続きます。しばらく歩くと坂道を下りきった辺りの右側に自販機コーナーが有ります。
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体力残量が少なくなった私は自販機の付近に置かれた古タイヤに座ってしばし休憩。

その先から白坂の宿場に入ります。
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ぱっと見て「Oh!宿場デスネ!」という風情ではなく宿場の痕跡はあまり感じられませんが、少し進んで行くと右側に「かめや」という札の掛かった門柱のある家があります。旅籠かめや跡です(ご子孫は亀山さん)。

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かつてはずらっと軒の並んだ宿場だったとの事ですが、今はどうやらこれが唯一の宿場らしい遺構の様です。

かめや跡から200M弱ばかり進むと左側に観音寺があります。

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戊辰戦争で戦死した大垣藩士のお墓もあるお寺だそうですが、参詣の方もおられたのでざっとお詣りして街道に戻ります。

少し進むと信号交差点を越え、奥州街道は右にカーブする登り坂に差し掛かります。途中桜の花びらが降ってきたので見上げると、咲き残ってくれていた八重桜を発見、激写します。7

坂の途中の右側にある小山の麓部分には木と木の間の細い参道らしきところに立っている鳥居がありました。

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小山の上の神社か祠に続く参道なのだろうと思いますが、先程の大久保の集落でみた鳥居も併せて、静かな風情があっていいなぁと思います。

坂を上りきった後下り坂を下って行くと、皮籠地域に入る手前の左側に牧場があります。少し覗いてみると奥の方の牛舎に居た牛2頭とバッチリ目が合いました。
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その後大き目の信号交差点を渡り皮籠地区に入ります。立派な旧家らしい家をちらほら見かけます。
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交差点から200Mほど進むと左側に吉次八幡があります。

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左側にある杉並木を300Mほど進んでゆくと、ここで盗賊に殺害されたという金売り吉次兄弟のお墓があるそうです。そういえば日光壬生道を歩いた際にも金売り吉次のお墓がありましたね。

ここら辺りで一旦疲れも空腹もピークに達します。まだカロリーメイトは2本ばかり持っているのですが
端的に言って食べたいのはそういうものではなく「肉っ!」というルフィの様な状態です。
しばしフラフラと進んで行くと右手にセブンイレブンが!!大喜びでスペシャルジャンボフランクを購入。冗談みたいですが食べたらウソの様に元気になり、街道に復帰します。

その先は一里段という地名でかつて一里塚がこの辺にあったそうですが、どこにあったかなどは分かりません。

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しばらく進んでゆくと左側に池が2つあって男女のカップルが釣りを楽しんでいましたが、旧道はそこで右に進みます。

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400~500Mほどで旧道は再び国道に合流します。そのすぐ先は国道289号との交差点になっていて、一番初めはここで左折して新白河駅に直接向かいホテルに行って休んでしまおうかという計画でしたが、、
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この時点でまだ14:26。おネンネするには早すぎるし何よりまだ歩けそうなのでまずは白河駅付近まで歩きそこで更に追分まで歩くかどうかを決めることにします。

 

この交差点を直進し、白河市の中心地を目指します。
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上の写真の交差点から400~500M進むと道は稲荷山という小山に当たりほぼ90度右に曲がります。
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曲がり角部分にはかつての街道時代のこの場所の写真があります。
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上の私の写真と見比べても面影がありますね。

 

この曲がり角は戊辰戦争の折の白河口古戦場です。曲がり角の外側(北側)には戊辰の役古戦場碑や鎮魂碑などがあります。
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同じく内側(南側)には長州 大垣藩戦士六名墓と、ここに立寄られた明治天皇が供養された碑がありました。19

その先は街道時代の道幅がそのまま残っている様な、国道にしてはやたらと狭く、しかし交通量がけっこう多い通りをしばし進むと丁字路にぶつかり左折します。

左折後暫くすると街道は右にカーブをし、ほぼ真北方向に進路を変え白河の宿場に近づきます。
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やがて谷津田川(やんたがわ)を越えた後400Mほど進むと奥州街道は右折します(国道もそのまま右折)。右折する際、正面の角には「月よみの庭」という表題のついた小さな庭が見えましたが詳細は不明でした。
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この辺りはもう白河の宿場に入っている様です。

右折すると天神町という町の通りを進んで行きます。途中右手にある今井醤油店があります。
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麹づくりが盛んだったという白河の歴史を留めるお店です。

その先街道左側に黒い立派な蔵があります。江戸時代末期の文久の頃からの薬問屋、松井薬舗の
蔵で、白河市の歴史的風致形成建造物にも指定されています。
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隣接する現在の松井薬局はすごく普通な薬局の感じでした。

そのすぐ先で奥州街道は左折⇒即右折の桝形になり、鷹匠町から中町に写ります。
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既に白河小峰城の城下町なせいか道筋も複雑。

桝形を通り中町に入ると先程の松井薬局と同じく歴史的風致形成建造物になっている吉田屋(左側)や、
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大谷家住宅(右側)などを見ることができます。
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その先でJR白河駅へ続く道を超えると白河信用金庫がありますが歴史を意識した建物になっていました。
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その先で右折⇒左折する桝形を再び通って進むと右側には芳賀本陣跡があります。今は「古楓堂 堀川印刷所」になっており、案内板を除けば面影はありません。
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そのほぼ真向いの格子戸の奥は脇本陣の柳屋跡です。

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こちらは明治天皇が留まった蔵座敷や御膳水の跡があるそうですが、残念ながら工事中で立ち入り禁止でした。

そこから百数十メートルほど進んだ先の左側には大谷忠吉本店、白陽酒造がありますが、こちらは萩原朔太郎の妻、美津子さんのご実家だそうです(入籍しなかった晩年の奥さんの様です)。
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その100Mほど先の交差点で、国道294号と一緒に奥州街道は左折をして女石の追分の方に進みますが、その右側手前の角に道標その他の歴史的なものがあるので寄ってみます。31

交差点角はちょっとした広場になっていて、奥の方にはかつての街道図が掲示されています。
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これは北西方向から俯瞰した図になりますが、確かに今正に歩いて来たルートが分かります。

また道路ぎわには少し大きめの道標があります。
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北側(写真向かって左)んは「右 日光 江戸 左 たなくら い八き(=いわき) 水戸」と刻まれ、西側(向かって右)には「左 せんだい あいづ で八(=出羽) ゑちご」と刻まれています。

既に疲れ切っていますが、ゴールの追分まではあと少し、ドラゴンボールのZ戦士たちのイメージで「はあああ!」と気を高め、ラストスパートに向かいます。


北上を開始すると暫くしてJR東北本線の高架を潜ります。
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写真向かって左側(西側)方面には白河駅があります。

更に北上して行くと下の写真の表示を見つけ、いまだに2011年の東北大地震の被害がまだまだ終わっていない事を改めて認識します。
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やがて阿武隈川に差し掛かります。地理に疎い私でも阿武隈川と聞けば東北地方の河川の一つで、智恵子抄に『あれが阿多多羅山 あの光るのが阿武隈川』という一節があるのは憶えています。
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歩いて阿武隈川を渡ってるなんて自分は本当に東北地方の入口まで歩いてきたんだなと非常に感動し、阿武隈川の流れをしばし眺めてから歩きを再開します。

やがて街道はやや登り坂気味になり、体力残量の少ない私はのろのろ歩きで追分を目指します。
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坂を上った後、右にカーブした後、左カーブの下り坂を下って歩く事しばしで女石地区に到着します。
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(上の写真は後ろの白河方面を振り返って撮ったもの)

そのすぐ先の左側には戊辰戦争での仙台藩士の供養碑がありました。
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日光街道や奥州街道を歩くと自然に戊辰戦争の傷跡をそこかしこで見かけることになりますね。

そのすぐ先で道路が二股に分かれていますが、これが女川の追分、幕府管轄としての奥州街道の終点であり私にとってはシーズン1のゴールです。
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向かって左が会津街道、右側が幕府の管轄を離れ更にみちのくまで続いてゆく奥州街道です。

もう少しだけ奥州街道を進んでみると遊女志げ女の碑が立っています。
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人の良い遊女だった志げはある誤解から会津藩士に殺害されてしまい、遊女屋の下男がこの場でその会津藩士を殺し仇を討ったという戊辰戦争寺の悲しい話に基づくものです。

さてゴールインはしたものの、ここから最寄りの交通機関まで歩いて帰らねばなりません。アップダウンのある道も含め既に30㎞ほど歩いている上、さっき「はあああっ!」と高めた力もゴールインした途端無くなってしまいました。

来るときのペースがまるでウソの様なのろいペースでとろとろと来た道を南に戻ります。ようやっとで先ほど通ったJRの高架までたどり着き、右折して白河駅に向かいます。途中パチンコ店でお手洗いを借り、ほうほうの体で白河駅に到着。

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レトロな雰囲気でいい駅ですねぇ。

電車の本数が少ないので心配していましたが、駅に到着してわずか3分後に黒磯行きの電車が到着。
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おしゃれな駅舎から新白河まで電車に乗り、ホテルに到着してしばし休んだ後、先日ご紹介した祝杯記事に繋がった訳ですがそれにしてもこの日の歩きは疲れました。

翌日は白河駅のすぐ北側にある白河小峰城を見物してから帰った訳ですがその模様などはまた次の記事でご紹介します。

奥州街道シーズン1、結構な速さで駆け抜けましたが本当に楽しい行程でした。別途まとめ記事なども書きたいと思います。