長期企画 東海道歩きその29 水口-南草津 1/3 | らんまるの街道歩きブログ

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2015年9月19日()、シルバーウィークの初日のこの日、
旧東海道歩きの第29回として前回ゴールの水口石橋から
南草津までの27.6㎞(最寄り駅から街道までの部分などを
含めた総歩行距離)を歩きました。

歩行ルートは↓

※Yahoo地図がサービス停止となったため、新たにGoogleマップを貼ってみました(2020.12.30)



新幹線で米原まで出た後(シルバーウィークなのですごく混んで
いました)、近江鉄道に乗り換えて揺られること2時間弱。
家を5時そこそこに出て出発点の水口石橋駅に着いたのは
10:00ちょうど頃。先週に引き続けての旧東海道歩き再開です。

駅を出て西に向かってすぐの街道右側には、前回水口城に
向かう時には気づいていなかった水口宿の石柱がありました。1

そのすぐ先の右側に水口コミュニティーセンターがあり
その奥でお手洗いをお借りしました(水口石橋駅には
無かったため)。その後湖東信用金庫のところで
右折し、城下町特有の七曲り的なルートに入ります。2

100Mちょっと歩いて左折(西向き)、300Mほど歩いてまた左折
(南向き)、70Mほど歩いたところを右折(西向き)に進みますが
その右折して西向きになるところの角に水口石があります。3
歌川国芳の浮世絵の題材にもなった力石だそうです。

そのまま西に進んでいくと左手の公園の看板に
「百間長屋跡」の説明板がありました。この辺りに
棟割長屋があり、下級武士たちが住んでいたとの事。4

その道路向かい(右側)の路地を奥に入ると真徳寺という
お寺がありますが、入り口はなぜか武家風の長屋門。5
左側にある説明板によると、お城勤めの家臣屋敷の
長屋門を移築したものだとの事。

街道に戻り200Mほど進むと右側に五十鈴神社があり、
その前に百十三里目の水口一里塚跡碑があります。6
分かりにくいですが少し盛り上がっており、一応
一里塚を復元したものと思われます。

一里塚の地点でまた左折(南向き)、すぐに右折する
辺りが水口宿の西見付跡に当たりますがそれらしい
表示などは無い様でした。 西見附跡から西に進んでゆくと、
左手に美冨久酒造という造り酒屋がありました。
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山廃仕込みの名酒「蔵の音」が有名だそうです。

その先旧東海道は田園地域に入り、日本のこの時期ならではの
綺麗な田園風景を見ることができます。
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その先、北脇縄手という長いまっすぐな道に入ります。9
(写真左手前に移っているのが北脇縄手説碑)

この日はご覧の通り晴天ながら細かい雲がたくさんあって
晴れたり曇ったりがものすごく速いペースが繰り返されます。
また風も強く、汗をかいてるそばから乾いてゆく感じで
これ以上無いという位の街道歩き日和。

そのすぐ先には松並木。
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元々あった松並木を復元したものとの事ですが、3本ほどは
枯れてしまったらしくすでに切り株になっており、わずか
2本を残すのみとなってしまっていた。この2本には頑張って
欲しいものです。

ふと曇った瞬間などには田畑、山、空と雲がなんとも
きれいになり、嬉しい気持ちになります。
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(おかげでなかなか歩が進みませんでした)

やがてまっすぐな道が終わり泉の集落に入ります。
家々は比較的新しいですが、旧街道の香りの高い街並み。12

街並みを抜けると再び田園風景に入り癒されてしまいます。13
これはここに来た人だけが見られるものですね( ̄ー ̄)ニヤリ。

車道が右にカーブするところで旧東海道は左手の舞込橋を
渡り泉川を渡ります。
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橋を渡ってしばらく進むと街道の右側に百十四里目の
泉の一里塚があります。

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この小ぶりな一里塚は復元したもの。ちゃんと一里塚の
形をしたものを復元してくれると旅情を感じて嬉しいです。

道なりに進むと県道553号に突き当り、その道路向こうに
かつてここにあって横田川(野洲川のこの辺りでの名称)の
渡しの跡があります。
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写真に写っている常夜燈、文政五年(1822)のもので
何と高さは10,5M。かつては一晩中火が入り、
旅人の足元を明るく照らしていたそうです。

川によって対岸を見てみます。
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今は渡しが無いので、ずいぶん下流まで移動してから
川を渡らねばなりません。その下流方向を見ますが
ずいぶん美しい景色です。
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一旦県道に戻り下流方向に進むと、国道1号に
合流して湖南市に入ります。暫く進むと歩道橋が。19
他にルートが無く、歩行者はこの歩道橋を必ず渡らねば
なりません。歩道橋で交差点の右斜め前側に出た後
改めて信号で左側に渡り戻る感じです。

橋から更に下流を見ると遠くに三上山(近江富士)が見えます。20
(右端のてっぺんだけ見えてる山)

橋を渡ったらすぐに道路の下を潜ってそのまま左に
進んでゆきます。JRの三雲駅が見えたらそこで右折。
右折する角に微妙大師萬里小路藤房卿墓所と刻まれた
道標が立っています。
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因みに反対方向はさっきの横田の渡しを渡った東海道で
少し戻ると少し小ぶりながら常夜燈があるそうです。

右折した後すぐの右側にある民家の前に明治天皇聖蹟碑が。22
この何回かで何度この聖蹟碑を見たことでしょう。
けっこうあちこちでお立ち寄りだったんですね。

その先暫くは旧街道沿いらしい趣深い風情の街並みを
通ってゆきます。
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道なりに進み、荒川橋という小さな橋を渡った先の
左側には道標が3基も並んでいます。
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「立志神社」の社標、「田川ふどう道」及び「雲照山妙感寺
従是十四丁」の三基が並んでいます。

更に進んで行くと300~400Mほど進んだところでJR草津線の
踏切を渡ります。渡った先には東海道の現代の道標が
あります。
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相変わらず暑すぎず、適度な風も吹き素晴らしい気候。

そこから500Mほど先、大沙川という川を超える筈なのですが、
なぜかトンネル。
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実はこれ「天井川」と言って、トンネルの上が川なんです。
流れてきた土砂で川底が高くなり止む無く土手を高くすると
また土砂が流れて高くなり土手を、、、と繰り返してる間に
とうとうトンネルで下を潜るような高さになってしまったと
こういう訳です。

トンネルを潜ってから左側にある階段を登ると
この川を見に行く事ができます。
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今はもう流れてないんですね。因みにこのトンネルは
明治十七年(1884)のものだそうで、このすぐ横には
弘法杉と呼ばれる大きな杉の木が聳えてます。
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弘法大師がここで食後に杉の箸を突き刺したらここまで
育っちゃったという伝説の杉だそうです。また杉の下には
御堂もあったのでお参りさせて頂きました。

さらにこの左奥(南)方向には三雲城跡がありますが
割愛して街道を急ぎます。

そこから少し進んだ先、右側に商店が。店先にベンチが
あり、そろそろ全行程のほぼ1/3にあたる8㎞ほどを
歩いたかと思われるので休憩させて頂きます。
タダで休憩は失礼なので、商店の自販機で栄養飲料を
購入し飲みながらの休憩。4分程休みませて頂きました。

その先も三重県に入って以来続く、街道風情の豊かな
街並みが続き、本当に飽きる事がありません。
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自然なカーブ↑や自然な上り坂↓は旧街道ならではの
古い地形が残っているものですね。
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街歩きでタモリさんを心の師匠として仰ぐ私としては
こういった自然な上り坂も見逃せません。

休憩した商店から1㎞ほども歩いたところでしょうか、
左側の民家の前に百十五里目の夏見の一里塚跡碑が
地味に立っています。
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そのお向い側の少し奥には小さな社もありました。

更に進むとトンネルの手前右側に「新田道」の道標。32

この真ん前にあるトンネルは再び天井川の由良谷川です。33
工事中で自動車・バイクは通行禁止ですが歩行者及び
自転車はOKなので有り難く通らせて頂きます。
残念ながら上に上がれるところは付近に無さそうでした。

由良谷川から700Mほども進むと左手には文化二年(1805)
創業の北島酒造があります。造り酒屋さん、多いですね。34

200Mほど進むと家棟川という川を渡りますが渡った先の
すぐ右側には常夜燈があります。
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「奉両宮常夜燈」と刻まれていますね。伊勢神社の
外宮と内宮を意味しているとのこと。

更にその1㎞ちょっと先、右側に光林寺という立派な
お寺のあるT字交差点の左側の角には道標が。
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「八嶋寺地蔵堂」と刻まれているとの事です。

そこから500~600Mほど先には石部東交差点があり、
少し進むと東側のごみ収集所の前に石部宿の
東見附跡の案内板がありいよいよ石部の宿場に
入ってゆきます。
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ここまでを1/3として、石部宿以降を2/3で紹介致します。

(つづく)